星の導くその先へ
 〜 山は夜には陽を抱き、空はいつでも森に添う 〜




   慣れない白い部屋着で素振りを終えたときは、すでに空は紺碧に光っていた。
(これでは駄目だな…)
 毎夜恒例の剣の手入れをしながら、今日の自分の身の入りようを反省していた。
(まるで新兵以下だ…)
 自分が目指してきたもの、自分の生きる目的を成すことが、生きる目的そのものだったラグを殺した…素振りを しながらそのことが頭をよぎると、とたんに剣の筋が曇る。
 剣に錆止めを塗る。それをくまなく延ばしていく。慣れた作業を繰り返しながら、ライアンは苦笑をした。
(…それでも…私はデスピサロの1/7でしかないのだから…当然なのかもしれないな…)
 自嘲的な笑み。それはかつての自分に一番似合う笑みだったもの。だが、今その表情を作ると、顔の 筋肉が少しこわばって、それがまたおかしかった。
 どうしたらいいかなんてわからない。自分は今、確かに力不足で、何も出来ることがない。けれど。
 取り戻したい。ラグを。それは自分の生きる目的とか、勇者とか、そんなものではなく、戦友として、 ラグは大切な仲間だから。
 だが―――。ライアンは、剣をそっと置いて両の手をみつめた。
(私は、無力だ。何も出来ない。…ラグ殿を助ける知識も、魔力も何もない…)
 出来ることからすればいい。無力に苛まれる新兵によくそう言って慰めたことがあった。だが。
(なにができる?魂に刻む術など…自分にはわからぬ…)
 生きる目的がなかった頃とは違う無力感。何も持っていない自分の手が、妙に小さく感じた。

 気が付けば月は晧晧と夜を彩っている。ため息をつき、そっと剣をしまいこんだ。手元の灯りを消す。
(このまま寝てしまうか…?)
 しかし眠れるのだろうか?無力感にただ苛まれ…このまま時を過ごして、自分にラグを救うことなど出来るのだろうか?魂に… 刻むことなど、出来るのだろうか?
 答えの出ない問い掛け。けれどせずにはいられなかった。今の自分の出来ることなど、ただそれだけなのだから―――。

 ライアンは扉を見る。
 ”コンコン”
 控えめな音。木のやわらかい響き。もう一度、響く。
 そこでようやくライアンは立ち上がり、扉を開ける。
 董の髪。くるぶしまで覆う真っ白な服。褐色の肌。装飾もない、服も違う。他の人間ならば、どちらか判らなかったかもしれない。 だが、ライアンは間違えずに呼んだ。少し迷うようではあったが、それでも全てを刺すような強いまなざしの女性は この世でただ一人しかいない。
「マーニャ殿…?」
「良かったわ、あんたがここにいて。入ってもいい?」
「かまわぬが…このような夜更けに一体何用で…?」
 ライアンが身体をずらすと、マーニャはするりと部屋に入り込む。
「今日は大変だったわねー」
「そうだな、デスピサロを倒し、ラグ殿が倒れ、マスタードラゴンに立ち向かい…一生分、働いた気分だ。」
「ははは、そうね。…こんなことに、なるなんてね。」
 笑いながらため息をつくマーニャ。顔がうつむいていて、ライアンからは頭しか見えなかった。
「しかし一体どうしたのだ?」
「あら?迷惑だった?何かしてたの?」
「いや、剣の手入れをして、寝ようと思っていたところだ。」
 マーニャが上を向き、少しだけ笑顔を見せた。
「邪魔だった?」
「…いや、どの道、眠れないだろう…何かに備えるならば、しっかりと睡眠をとって体調を整えておくのが良いのだが…」
 マーニャが声を立てずに静かに笑った。
「あんたらしいわね。それがあんたができることなのね」
「いや。…私には何も出来ることがない。何をしたらいいのか判らないのだ」
 ライアンは首を振った。マーニャはライアンの肩をぽんと叩く。
「そんなのあたしだって…ううん、みんな一緒よ。」
「いいや、マーニャ殿。マーニャ殿は少なくとも成し遂げたではないか。おぬしは良くやったよ」
「…あんた、前にもそんなこと言ってたわね。」
「そうだったか?…おぬしと、ブライ殿とミネア殿のおかげで ラグ殿の身体は保たれた。クリフト殿とアリーナ殿はまっ先にマスタードラゴンへと立ち向かった。トルネコ殿は 大切にラグ殿の身体を運んだ。…私は何も出来なかった…」
「ライアン・・・」
 少し沈んだライアンに、マーニャが手を伸ばした。だが、手がライアンに当たる直前、ライアンが気を持ち直すように言う。
「いいや、悔やんでいる時ではないな。悔やんでいてもおそらく魂に刻むことは出来ないだろう。… これから出来ることを考えなければな。」
 触れられる事のなかったマーニャの手が、そっと戻される。それに気が付かぬまま、ライアンは言葉を続けた。
「迷惑ではないのだが…しかし、用もないのにこのような夜更けに男の部屋に尋ね入るのはあまり感心せぬぞ。」
「用ならあるわよ。」
 あっさりというマーニャを少し驚いたように見返す。
「そうだったのか。それで用とは…?」
 マーニャは顔を伏せる。暗くて顔が良く見えない。
(灯りでもつけようか…)
 マーニャの言葉を待つ。その間、ライアンはそんなことを考えていた。だが、次の言葉を聞き、その心は吹っ飛ぶ。
「…なきに、来たのよ」


「それは…?」
 困惑するライアンの胸に、うつむきながらこぶしをぶつける。
「マーニャ殿?」
 マーニャは一気にまくし立てた。
「あんたが言ったんでしょ?あたし自身が泣かないと、あたしの傷は癒えないって!あたし哀しかったわ!ラグが死んで、 哀しかったのよ!でも、泣くもんかって絶対泣くもんかって…これで泣いたら本当にラグが帰ってこない気がして…絶対 そんなこと認めないって、涙を止めたわ!」
 一言叫ぶたびに、マーニャは両手でライアンの胸を叩く。
「魂に刻めって言われた時、あたし全然わかんないけど、とりあえず泣こうと思って! ちゃんと泣いて、すっきりして!それで色々考えようって思って!あの時も、すっきりしたから!」
 マーニャがバルザックを討った夜。…ライアンもマーニャも決してわすれない夜。
「だけど、駄目だったのよ…前の時もそうだった!もう泣いてもいいのに、どうしても泣けなかった!あたし、本当は ずっと泣きたかったのに、もう涙の流しかたなんて忘れてるのよ、あたし!」
 ライアンはただ、叩かれるまま、ぽつりと言葉を出した。

「ずっと、泣きたかったのか?」
「泣きたかったわ!」
 今までで一番力強く、こぶしが振るわれる。
「あたし、ずっと泣きたかったのよ!…どうしてラグに何も言えなかったの…どうして、また逢おうって言えなかったの… ラグのこと、勇者じゃなくてラグの事が好きだって、言ってればラグは死ななかったかもしれない!…またいつかの機会にって、 先延ばしにして…あたしは馬鹿よ!知ってたのに…先があるなんて限らないって、知ってたのに!」
 終わらないと信じていた、少女の頃。いつもバルザックは一緒だと信じていられた。頑張って大人になれば、 バルザックの一番近くにいると、信じていた。
 だけど、大人になった今、こぶしをぶつけているのは――――――――。
「…私も思っていた。落ち着いて、しばらくしたらラグ殿にバドランドに来ないかと誘ってみようと。… 確かな未来があるのだと、信じていた。…それが確かに信じられるようになったのは、ラグ殿のおかげだというのに、 皮肉なものだ…」
「だから、あたし泣こうと思って!でも、涙が出なくて!どうしても、どうしても泣かなきゃ、こんな気持ちのままで、ラグを 助けられる自信なんてないから…」
 マーニャのこぶしが止まる。
「あのときも、あんたの…ライアンの側なら素直に泣けたから…だからあたし…」
 ライアンがマーニャを包んだ。言葉もなく、そっと力強く、やさしく。
「ずっと辛かったのだな。」
「怒ってるのよ!ラグの馬鹿!なんであたし達みんなの事忘れて、のこのこ死んじゃうのよ! ずっと旅してたあたしたちより、死んだシンシアのほうが大切ってわけ!ふざけるんじゃないわよ! もうもう、今度あったら殴ってやるわ!!!」
 激しくライアンの胸にこぶしをぶつける。ライアンがまたそっと頭を撫でると、マーニャは最後に 両手でライアンの胸を叩いた。
 そして、マーニャはライアンの胸で、ただ泣いた。


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