まだ世界が平和な時代。…まだ、時が動く以前のお話。 世界が色あせて見えた。…いいや、色がある町に、ただ一人色がない自分がいるのをずっと感じていた。 「どうしたんだ?ライアン!」 (くだらない…) ここは、いくばくかのお金と引き換えに、夢に誘う町、モンバーバラ。ライアンの部隊が手柄を 立てた褒美と慰安にと、旅行に来ていた。 …いいや、来ざる得なかった。 薄絹をまとった女が夕暮れにもなると町を歩き、男を酒場へと誘う。やたら露出度の高い客引きが 、劇場へと男を誘う。酔っ払いは町を歩き、町に並べられたアクセサリーを、若い女が買っていく。 なにもかもがくだらない。 「どうしたんだよ、ライアン!ほら、いこうぜ!」 そして、ぼんやりと立っている自分に嬉しそうに誘いかける同僚も。すべてがくだらない。 色あせた町に…いや、色にあふれた町に、一人色がない自分が滑稽で。 「…いや、この町の気風は我には合わぬようで。悪いが先に港町まで帰還させてもらおう。」 「それなら宿屋でやすんでいたらどうだ。もう夕方だぞ、途中で日が暮れるぜ。」 「いや…気遣いはありがたいが、任務では多々あることだ。」 それだけを言うと、ライアンは夕暮れの町を背にした。 振り返らなかった後ろに、心配そうに見ている友が居ることを、最後まで気が付かぬまま。 出た時が夕方だけあって、すぐに日が沈んだ。そして不幸なことに、今日は新月だった。手に持った 灯りの届かぬ先は闇。そして 慣れぬ土地でむやみに歩くことの愚かさを知らないほど、ライアンは無知ではなかった。 手近にある枝を拾い集め、火をつける。圧倒的な闇とは比べ物にならない、ささやかな灯りが点った。 目の前も、空も闇だったが、ライアンは孤独を感じなかった。わずらわしい人がいるよりは、むしろ独りでいたかった。 ずっと、生きる意味を探していて。何のために生まれたのか、実感が欲しくて。自分がいる意味を探したくて。 そうしてようやく入った王宮は、やはりくだらない人間事に満ちていた。愛や信頼でもめて。出世や金のことで いがみ合って。とてつもなくくだらないことを、みんな真剣に取り組んでいた。 そして、その中で自分を見せずに動き回るっている自分がうそ臭くて。誰とでもすげ替えがきく自分が、ライアンには苦痛だった。 自分と言う存在は、一体何が出来るのか。それとも、『自分』はそもそも無意味なのか。 自分がしたいこと。生涯をかけて『求めたい』こと。それは一体、なんなのだろうか。 「…おや?」 あらぬ方向から声がした。ライアンは即座に剣の柄に手をかけ、顔を上げる。 (不覚!) あまりにも深く思考していたせいだからだろうか。人の気配に気が付くことが出来なかった。 声の方向には、少し野性味を帯びた青年が立っていた。服装は一般的な村人のそれで、怪しげなところはなさそうだった。 (だが、ただの旅人に一体何のようだ?) 不振に思うライアンの気持ちに気が付いてはいないようで、男は明るく話しかけてくる。 「こんなところで、何をされているのですか?」 どうやら敵意はなさそうだった。ライアンは簡潔に理由を述べた。 「ハバリアに行く途中なのだが、日が暮れてしまってな、危険なのでここで野営をしている。」 「そうなのですか?すぐそこに、コーミズ村がありますよ。小さいけれど宿屋があるはずです。そちらに行かれては?」 男にそう言われて、一度目を通した大陸地図を思い出す。確かそんな小さな村が記載されていたことを思い出した。 「…ふむ。そうであったか。すまない。あまりにも灯りがないものでな、つい何もないものだと思い込んでいたようだ。」 自分の失態に舌打ちをしながらも、疑問はすべて氷解した。村の近くでわざわざ野営を組んでいる男がいれば、 地元のものにとっては怪しいだろう。剣の柄から手を離す。 男にとってもそれは同じようだった。周りを見渡し、明るく笑う。 「それもそうですね。コーミズは農耕が盛んな田舎ですから、街灯もありませんしこんな時間に起きてる村人もいないので、 真っ暗ですからね。勘違いされたのも無理はない。 よろしければ案内しましょうか。もう、すぐそこですよ。」 そう言われ、立ち上がろうとしたライアンだったが、少し考えてまた腰を下ろす。 「いや…さすれば村人はもう寝ているのだろう。わざわざ起こすのも忍びない。野営はもともと慣れておるからな、此処で一晩を 明かすのもさしたる障害ではない。親切には感謝するが、我はここで一晩を明かすことにしよう。」 その言葉に、男もしばらく思案した。そして、にっこりと笑って、焚き火の側を指差す。 「なら、よろしければ私もご一緒してもよろしいかな?」 ライアンの言葉が、疑問にゆがむ。 「…なぜだ?貴方は家族が待っているはず。心配しているのだろう?」 「いいえ、私は師匠の家に居候をさせていただいているのです。私の仕事が一段落したので村の外にある仕事場から 帰ってきたのですが、今、師匠の家には師匠のご息女の姉妹がいらっしゃるだけなのです。起こしてしまうのも 確かにかわいそうですから。今日帰る事も告げていませんでしたから、心配はしていないはずです。ですから ここで夜を明かして、朝になってから帰ろうかと。」 とりあえずつじつまは合っているようだった。 「よろしければ火の番もさせていただきますよ。」 普段ならば間違いなく断っていただろう。 だが、今のこのすべてが色のない闇の世界で。生き生きとしている男を見て。 「…そうだな。旅は道連れという。このような場所でよければ、どうぞ。」 そんならしくないことを、つい口にしてしまった。 「貴方は兵士さんですか?けれど、キングレオ城の方ではないようですが…?」 「ここから北のバドランドに仕える兵士だが…なぜ分かった?」 「その話し方は独特ですからね。私も大昔は城に居たことがありますから。もっとも私自身が仕えていたわけではなく、 親がそうだったというだけですが。」 「ふむ、では貴方は城に仕えることはできなかったのだな。」 半ば侮蔑をこめていった言葉に、男は笑う。 「そうですね。私にはとても出来ませんでした。私がやりたいものは、出世の道に入ることでも、金を儲けることでも ありませんでしたから。…と、失礼。城に仕える方がすべてそうだと言うわけではないのですが…」 「いや、気持ちはわかる。城に入ると、そういったものの誘惑には抗いがたくなるものだ。」 そういいながらも、ライアンは男に興味を示した。 城にいながらにして、やりたいことを見つけた男。…それは自分の理想の姿そのもののように見えた。 「貴方は、今何を?」 「私ですか?私は…そうですね、研究者と言ったところでしょうか。」 その言葉に、ライアンは驚いた。その男の体は非常にたくましく、本職の兵士と比べても恥ずかしくないくらいに 作りこまれているように思えたからだ。 「だが、その体を見るに、ずいぶんとたくましい。研究者とは少々意外だが…」 「それは城の中で、本を相手にしている研究者しかご覧になったことがないからですよ。私達の研究は…まぁ全般を 扱うのですが、特に金属を扱うことが多くて、それを支えるだけの筋力や体力が必要になるのですよ。」 「ふむ、鍛冶師を兼ねているようなものか。」 「ええ、そう思っていただければ良いと思います。こんなごつい体で学者というのは、少々無理が ありますからね。」 男はそう笑った。ライアンも笑った。こんなささやかなことで笑ったのは、ずいぶんと久しぶりだと思った。 「その研究で…貴方は何を求めるのだ?」 ぽろりとそんなことを言ったのは、あまりにも闇が濃く、あまりにも焚き火がまぶしくて、相手の顔が見えないからだろうか。 「何を…ですか?」 男はライアンの疑問に首をかしげる。ライアンは手近にある枝を焚き火に入れながら、丁寧に問いを重ねる。 「出世も富もやりたいことではないと、貴方は言っていた。ならば、貴方が求めるものは何だ?真理か?」 その言葉に、男は少し考える。 「…どうでしょうね。真理と言えるかもしれません。むしろ私たちでは解き明かせない謎を探し続けているのかも しれません。」 「謎を…か?」 「ええ、たとえ今持っている世界の謎がすべて解き明かされたなら、研究者は新たな謎を探すでしょう。私も、かつては そう思っていましたから。ただ生きているだけでは満足ができない。それが…探求者なのですから。」 ”ただ生きているだけでは満足ができない。” その言葉に、ライアンは笑った。まさに、自分そのものだと思えた。 「『探求者』…良い言葉だな。」 「そうですか?そう言われるとなんだか恥ずかしいですね。」 「だが、現状に満足している人間など、少ない。常に人は新たな幸せを求めるだろう。 ならば、研究者だけが、探求者とは言い切れまい。」 ライアンの言葉に、男は頷く。 「そうでしょうね。結局は人の欲と言うことなのでしょう。富も、出世も、知識も。…悪く使えばいくらでも 人を不幸に出来る。」 「だが、貴方は晴れ晴れとした顔をしておられる。さぞや今の生活に満足をしておられるのだろう。」 「…そう、ですね…師匠にも恵まれ、やりたい研究ができることは、とても幸せなことです。」 「よい師匠がいらっしゃるのですな。」 ライアンのその言葉に、男は頷いた。そして、男は少しずつ語った。 雨の日に師匠に弟子入りをしたこと。師匠とその家族は、自分を家族のように扱ってくれること。師匠の家族は 双子の幼い姉妹であること。最近入ってきた弟弟子もまっすぐな青年でなかなか優秀なこと…とても穏やかな 表情で男は語った。 ライアンは時には頷き、時には自分の職場や、かかわったことのある町の人のささやかな話をした。 男は、嬉しそうに語り続けた。 「師匠のお嬢様達はとても利発でしかも可愛らしい方々で。一のご息女様は踊りを得意とされているのですが、それがまた 美しいのです。」 そう語る男の顔は特別に幸せそうだった。 不思議な気分だった。世の中のすべてがくだらないと思えていた。いいや、今もまだ、思っている。 だが、この男の話はくだらないだろうか?いいや、それならば、何故自分の口元はほころんでいる? 何故、初めて会った男の話をこうやってわざわざ聞いているのだろう? 「貴方は、満たされているのだな。」 二人が一通り話し終え、ライアンがそう言ったころには、夜が白々と明け始めていた。 ゆっくりと赤い光が、地平の果てから広がってくる。 その光を背に受けて、男は笑った。 「…いや、私も欲が深い。最初はただ、研究が出来ればよかっただけなのに。…今も幸せなのに、それでも…」 「…何か、求めている、と?それは、一体?」 そこに、自分の答えさえある気がして。ライアンは熱を持って聞いた。 ライアンの言葉に、男はふっと空を見上げた。 「…太陽を、手にしたいと思ったことはないか?」 そういった男の顔は、朝日に照らされて見えなかった。 「…太陽を?」 ライアンも空を見上げる。青くなった空に溶け込むように、太陽は真っ赤に染まり、大地を照らしていた。 「それは…どういう意味だ?」 世界すらも手にしたいと言う、比喩なのだろうか?それとも、他に何か意味があるのだろうか? 男は答えなかった。ただひたすら太陽を見つめ、こう言った。 「太陽を手にするだけの力が…太陽を手にする資格が持てるほどの力が欲しいと、そう思う。」 ライアンは、今、その男の顔は見えなかった。だが、その言葉に狂おしいほどの熱が入っていることは、 よくわかった。 …それは、とても羨ましいことだった。それほど熱を持てる「何か」を持っていることが、自分にとっての 一番の望みだったからだ。 「…そうか。良い夢だ。その太陽が貴方の胸に収まる様を、我もこの目でいつの日か見たいものだな。」 その言葉に、男はこちらを向く。 「ありがとう、戦士さん」 光に照らされて、ライアンは初めてまともに男の顔を見た。男は、野性味のあふれた顔にどこか優しげな目。…そして、こちらを 見た一瞬、何かを強く渇望するそんな表情をライアンに見せた。…その表情はまるで鏡に映した自分のようで、 ライアンはまた少し微笑んだ。 …それは、自分の中の、ささやかな希望。目の前にいる『自分』の夢がかなうようにと願う、ささやかな 幸福。朝日が昇るその時、ライアンは確かに感じていた。 太陽はすっかり登りきり、空は青く澄んでいた。 「とても有意義な時間がすごせた。感謝する。」 ライアンはそういうと、焚き火を持っていた水で消した。 「ええ、私もとても楽しかった。…すっかり夜が明けてしまいましたね。いい朝です。」 男がそういいながら伸びをすると、それほど遠くない場所から、鶏の鳴き声がした。 「ああ、とてもいい朝だ。」 ライアンも立ち上がる。野営の後始末をして、荷物を持って立ち上がった。 「ハバリアは、あちらです。キングレオの城を越えるとすぐ東に見えてきます。おそらく夜にならないうちに 着くと思いますよ。」 「感謝する。貴方には世話になった。今日のことは決して忘れまいぞ。」 「ええ、私も忘れません。どうか、お元気で。」 「ああ、貴方も。」 お互いの名も知らぬまま、二人は互いに背を向けた。 ほんのひと時、心をすり合わせて。たった一夜、されど一夜。 そして二人は朝空の下、お互いの帰る方向へと歩き出した。 胸には、夢のかけら。ささやかな願い。少しの幸せ。 やがて邂逅の日まで、二人は、手に入らない夢に向かって走り続ける。 誰にも気がつかれない、邂逅の日まで、二人は、別々の道を歩き続ける。 『ご投稿、ありがとうございました。お礼小説いかがでしたか?』という言葉どおり、これは 10万ヒット記念のアンケートのお礼でした。 テーマはど地味な話。我ながら地味です。おかしいな、そもそもは幼いマーニャとライアンが出会う話だったのだが。 いくらなんでも年齢設定に無理があると話をひねくりまわして、いつの間にか名も分からない青年とライアンが出会うお話に… いや、これはこれで気に入っていますが。 時間的には、「夢の中」の直後。進化の秘法が掘り出される直前くらいの話ですね。まだ二人が夢の中にいた時代の 話です。 まぁ、この二人は、やがて最後の一瞬に会うことができるわけですが、まったくもって気がつかないです。 そのころ、まともな顔立ちしてないしね。多分、「星の導く〜」本編終了後、マーニャと旅に出るころに、 初めて気がつくんじゃないかな、とか。悲しいロマンです。 ご覧になったことのある方、申し訳在りません。これは『夢シリーズ』と呼んでいる作品ですが、 できればあと一作くらい書きたいですね。夢シリーズ三部作にしたいです。
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