螺旋まわりの季節
〜 花残の余韻と星のはじまり 〜

 桜の咲き始めの時期だった。
 ラグの祖父が、この世を去った。
 頑固で、ぶっきらぼうで、それでもどこか優しい事を、ラグは知っていた。
 いつか必ず来る日だとラグは知っていたから、立派に見送る事ができた。
 ラグの家の縁側から、祖母が植えたという桜を二人で見れたことが、嬉しかった。
 少しずつ、雪が消え始めて、暖かな日の差し込む、祖父が祖母や両親達の元へ行くには 絶好の日だったと思う。
 良い、本当によい笑顔だった。16年間、自分を愛してくれた祖父の、立派な最後だと、ラグは思えた。

 この地の風習により、葬式は一ヶ月かかった。その間、会ったこともない遠縁の親戚と、 様々な村人がラグの家を訪れ、祖父に最後の別れを告げていた。
 祖父はこんなにも愛されていたと、ラグは誇りに思えた。
 最後の肉親だった以上、ラグはこの家を一ヶ月離れるわけには行かず、いろいろな作業に追われるまま、気が付くと、 高校の始業式はとっくに過ぎていた。
 あの高校へ通っていたのは、この村から一番近かったからである。そう考えると、ぼんやりとその高校へ 行く気がなくなった。
 あそこには中学の同級生もいる。自分が天涯孤独になったことを知っている人もいる。
 祖父に会ったこともない人が、自分のことを可哀想がるのは、なんとなく嫌だった。

 それに、家が広かった。
 元々、二人で暮らすには広すぎた家だった。
 もともと祖父とラグは、両親の遺産と生命保険の取り分で生計を立てていたから、これから先、ここでほそぼそと 暮らしていくのも可能だった。
 村の人と樹を切って、畑を耕して、米を作って暮らしていくのも悪くないと思っていたから、親戚の 人の養子の申し出も断っていた。

 ただ、家に傷が多かった。
 あれは、ラグが木刀を振り回してつけた傷。
 あれは、ラグがはじめて料理をした時に、包丁を落した時に欠けた床。
 あれは、祖父が酔っ払って割った障子。
 あれは――――――――。
 ここにはいない人を思うには、ここには匂いが残りすぎていた。
 哀しいわけではない。そう言うには、あまりにも晴れた笑顔すぎる。
 思い出ではない。そう言うには、あまりにも時間が近い。
 忘れてしまうには、あまりにも愛しすぎている。
 そして…ぼんやりとただ、時を過ごすには、あまりにもラグはまっすぐすぎた。

 ただ、その空虚を埋めたくて、ここに要るはずのものがいない空間が、寂しすぎて。
 ふと手元にあった去年パンフレット…それは、ほどほどの成績を持ち、剣道の全国大会で優勝 したラグへの誘いのパンフレット。
 そこにあった「寮あり」「奨学金」の文字を見て、電話を取る。
 そして、編入テストを受け、村人で無料で田畑を貸し、ラグは高校に転校手続きをした。
 かくして、ラグは私立第四龍探高等学校の生徒となるべく、村を出る事になった。


 五月晴れ…その言葉がまさに相応しい青い空。
 制服にはじめて袖を通して、ラグは学校に向かっていた。今日は日曜日なのだが、突然の転校という事で、 色々と手続きがあるらしい。
 寮から学校まで徒歩で10分ほどである。先輩の寮生達は「遠い」と文句を言ってきたが、 ラグにとっては近すぎる距離だった。
 ぼんやりと、空を見ながら歩く。五月の空は春の明るさと、やがてくる梅雨の予感を感じさせる。
 どこか陽気で、どこか虚ろ。
 その時、ラグの体がぐらりと揺れた。
「わわわわわ!」
 下を見ると転がっているのは、空き缶だった。
「マナーが悪いなあ…」
 そう言ったとき、ふと目の前にあるごみ箱を見つけた。ラグは思い切り缶を蹴る。
 石を蹴って籠に入れる遊びは、昔から得意なものの一つだった。
 カラーン。
「あ、失敗。上手くいくと思ったんだけど。」
 ごみ箱をめがけて蹴ったコーラの缶は、見事外れて横へとそれる。
 カラカラと缶は道を転がっていく。
 そして、それに気が付いて、追いかける一人の少女の姿があった。
 転がる空き缶を拾おうと追いかけていく。そして、缶に手を伸ばした瞬間だった。
「あ!」
 見ていたラグが声をあげる。少女は、柄の悪い高校生にぶつかり、倒れていた。
 謝る少女になおもからむ高校生達。ラグは持っていた竹刀を袋から出し、少女の元へ走った。

「一体何のつもりだ!ただごめんなさいですむと思ってるのか?!慰謝料払えよ!!!」
「きっちり出るとこ出て、詫びてもらおうじゃねえか!!!」
「あ、あのごめんなさい…」
「それだけ騒げてたら、十分だと思いますよ、お兄さんたち。」
 ラグの声に、振り向く高校生達。
「何だお前?」
「かっこつけてるのか?」
「なんだよ、その竹刀は、やる気か?!」
 ラグはじっと黙って三人の男を眺める。
「三対一だぞ、勝てると思ってんのか、バーカ!!」
「どっかいけ!殺すぞ、おら!!」
 事実、剣道は大勢を相手にするのには、不利である。だが。
 ラグは殴りかかってきた相手の腕を思いっきりはたく。男は腕を抑えて座り込む。はたきざま 振り向いて、蹴りかかってきた相手の弁慶の泣き所を叩き、胴を思いっきり打つ。そして 竹刀をおもむろに横に薙ぎ、そのまま最後の男の肩を叩いた。
 剣道という形にこだわらなくても、竹刀は振るえる。…結局は、実力次第ということである。
「本気でやるのでしたら、頭を割るくらいはできますけど、やりますか?」
 事実、防具をつけてない相手に、竹刀を振ることがどれほど危ないかラグは知っていた。だからこそ、 骨を傷つけない強さで攻撃したのだ。
 男達は、ものも言わずに去っていく。少女はほっと息をつき、ラグに頭を下げた。
「ありがとうございました。」
 ラグは首を振る。
「いえ、実はその缶、僕のせいなんです。こっちこそどうもすみません。大丈夫でしたか?」
「はい…凄いんですね、強いですね。選手ですか?」
「…そうですね。まだ、部活には入ってないんですけど。」
「あら…その制服…?」
 少女の言葉にラグは我に帰る。学校へ行く途中なのだ。
「すみません。僕急いでますんで。こっちこそ、どうもすみませんでした!」
 それだけ言うと、ラグは竹刀を片付けると、きっかけになった缶を拾い上げて学校へ走った。
「…あの人…もしかして…」
 赤らんだ頬を手で抑えた少女のつぶやきは、青い空に溶けていく。




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