螺旋まわりの季節
〜
弥涼暮
(
いすずくれ
)
の幻影 〜
高い、高い子供の泣き声。
森のような広い庭。
大きな木から落ちてきた、子供の泣き声。
木に登っていたその子供は、高く、低くただひたすら泣き続ける。
落ちた事に泣いているのではない。
「…様…お、かあ、様…」
すすり泣きながら、何かをつぶやいているのが聞こえる。
暖かな日差しをよけた、暗い木陰。
それが、最初の記憶。
覚えているのは、泣いている子供に差し出された、ぷっくりとした、子供の手。
慰めようと、泣いている子にゆっくりと手が差し出される。
それでも差し出された手は、空を惑う。
ぽたりと、その手に、涙が落ちる。
ぽろぽろと落ちる涙は、やがて二つの泣き声になる。
”泣かないで”
そう思っても、自分には泣き声しか出ない。
哀しくて、情けなくて。でも何もできなくて。
どう慰めたらいいか、判らなくて。でも、泣いているこの少女を慰めたくて。
慰められない自分が情けなくて。悔しくて。ただ泣いてるしかできない自分が、無力で。
哀しさが募って、一緒になって泣いた。
その時から、自分は。
この人を、守ろうと思った。
ピピピピ…カチャリ
ぼんやりと、クリフトが目覚ましを止める。むくりと起き上がり、身支度を整える。
クリフトが、目覚ましが鳴るまで寝ていることは珍しかった。寝ぼけた頭でぼんやりと考える。
(もう、そんな季節なのですね・・・)
夏が来ると、必ず見る夢。
クリフトは、いわゆる記憶喪失だった。4歳以前の記憶がまったくない。もっとも4歳より前の記憶など、 なくても全く困らないのだが。
ただ、クリフトは、その4歳の時にこのサントハイムの家に貰われてきた孤児だった。4歳以前の記憶がないということは、 本当の両親のことを覚えていないと言う事だった。
あの夢は、おそらく自分が貰われてきた時のことだろうとクリフトは思っていた。子供の時だけに記憶は曖昧だが、 あの大きな木には見覚えがある。
そして、自分が貰われる直前、奥方様が病気で亡くなったことも聞いているから、おそらく間違いないだろう。
あれは自分の中での初めての記憶。忘れられない大切な思い出。素性も知らない両親よりも、大切な記憶。
はじめて、自分の情けなさと、守りたいと感じた、大切な記憶。
「よし」
制服のネクタイを結び終える。
クリフトの朝は早い。
本業は学生のクリフトだが、ここでは執事見習としても働いていた。やがて次期社長となる アリーナのため、執事の基本から、本来は必要ないと思われる高度な経営学や帝王学まで、自分にとっては 養父となるサントハイム社長に厳しくしつけられていた。
そしてそれは苦ではなかった。クリフトは優秀だったし、 なんの縁もない自分に教育を施してくれる事がありがたく思っていた。
なによりも、アリーナの側にいて、補佐につけるということが、クリフトには嬉しかったから。
慰められないでさまよった自分の情けない手を、もう二度と繰り返したくはなかった。
社長のスケジュール。今日の予定。自分に補佐できる事は何か。それをしっかり頭に叩き込む。ありがたいことに、 養父である旦那様からいくつかの仕事を任されていた。
朝できる事を済ませ、手配を取っておく。
そして廊下を歩き、扉を叩く。
「アリーナ様、朝ですよ。そろそろお起きになってください。」
とっくに鳴りはじめている目覚まし音の向こうに聞こえるように声を張り上げるのは、朝の日課の一つだった。
「今日はいい天気で、良かったですね。」
にこやかに話し掛けるクリフトに、アリーナは口に物を入れながら頷く。
『旦那様』は今日は出張で外に出ていた。もっとも100を越える会社を抱えた旦那様は、 月の半分も館にいないことが多いのだが。
「今日は7時からお花のけいこがあります。遅れないように帰ってきてください、アリーナ様。」
クリフトの主な仕事はアリーナの世話と、スケジュール管理だと言っても良かった。なお、 アリーナを「お嬢様」と呼ぶことは10年も前から当人に禁止されていた。
「…私、お花のけいこ嫌い。だいたい会社を運営するのに、花なんて関係ないじゃない?」
「全ての教養は、人との会話につながりますよ。アリーナ様はお花が嫌いですか?」
「花は好きよ…でも…。」
「アリーナ様の生けられたお花は、とても素直で情熱的でアリーナ様らしいと 先生は褒めてらっしゃいましたよ。」
アリーナはベーコンエッグを切り分けながら苦い顔をする。
「それ、本当に褒めてるの?」
「もちろんですとも、アリーナ様。」
クリフトの食事はとっくに済んでいる。使用人とお嬢様が一緒に食事をする事はもってのほかだと 言うクリフトの信条から、よほど特別な時以外は、クリフトはアリーナの横で、立ちながら アリーナにスケジュールを告げるのが日課だ。
もっともそれをアリーナに言わせると。
「一緒に食べた方がおいしいのに。クリフトって本当にがんこなんだから。」
ということになるのだが、クリフトにとって、譲れない一線だった。
自分と、この少女は立場が違うのだと、思い続けなければ、やっていけない想いを、抱えているから。
「行きましょ、クリフト!今日はいい天気だから皆で中庭でお昼を食べようと思うのだけれど、どう?」
「はい、かしこまりました。それではお昼に中庭で。」
重箱をしっかりと持ちながらクリフトは笑顔で頷く。
二人は鞄を持って、扉をくぐり、門を抜け、梅雨の合間の青空を笑顔で歩いていった。
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