螺旋まわりの季節
〜 水の虚空 〜

 その日は、吸い込まれるような青空だった。
 蒼く、蒼く…そしてその中にぽっかり浮かぶ大きな雲。それが怖くて…とても、怖くて…
 この出来事が、夢なら、と何度も思った。


「ねえねえ、夏休みに泳ぎに行きましょうよ!」
 そう楽しそうに話すのは、この学校の理事長の娘アリーナ。お金持ちだってのにびっくりするくらい 素直で庶民的。単純で、明朗で、素直で。…どれだけ健康的に過ごしてきたかがよく判る。
 この子を見ていると、自分の中の泥が汚くて。せめて明るく笑っていようと救われる気にもなれる。
「いいわね。行きましょ行きましょ!」
 そんな心にもないことを言ってみせる。…べつに、泳ぐのは好きなんだけどね。あたしの 美しい肢体を皆に見せ付けられるし。
 その横であきれるような表情で、この夏の予定を並べている美男子は、クリフト。聞いた話だと 孤児で、アリーナの家の執事として養子に入ったらしい。…まあ、いっくら美男子でも ただ一人しか目に入ってない相手には、あたしもちょっかい出す気にはなれないけどね、好みじゃないし。
 しかしまあ、アリーナも大変なのよね。お嬢様で、次期社長で、あんなに予定があって、その上 クリフトみたいなのが四六時中付いてるなんて、それじゃ恋もできないじゃない。もっとも アリーナは恋愛なんて全くわかってないみたいだし、クリフトがずっと側にいることに文句はないみたい。
 クリフトも無意識みたいだけど、アリーナが可愛くて可愛くて仕方がないみたいだから結局いつも 折れちゃうのよね。…それが恋心かなんて、ここ5年以上恋愛してないあたしにはわかんないけどさ。 そもそも恋愛ってなんなのよ?

 あら、ぼーとアリーナの予定を聞いてたら、ミネアが怒鳴ってるわ。ずっと話し掛けてたみたい。
「姉さん、部活は大丈夫なの?最後の大会でしょう?受験勉強は?」
 あーあ、目つりあげちゃって。せっかく絶世の美女がだいなしじゃない。おっと、こいつはミネア。あたしの 双子の妹。そっくりなんだけど一目で見分けがつくわ。こいつにはあたしの妖艶さがまったくない。…そのかわり、清楚、 もしかしたら神聖と言ってもいいかもしれないけど、どっか神子さんみたいな荘厳な雰囲気がある。…おんなじ とこから生まれたのに、変な話。…もっともそれはあたしが歪んだせい。こいつは、あたしのもう一つの人生。
 ミネアはよく怒る。もっとも怒るのは、あたしの生活態度。こいつはあたしの母代わりを勤めるつもりらしい。 母さんがいない穴を、『自分が母さんになればいい』ってことで埋めようとしたらしい。
 …そうやって怒っていれば寂しさが埋められるんなら、とあたしは父さんに心配かけない程度に不真面目に なることにした。ああ、ちくしょー。結局あたしはこいつが可愛いのだ。
 だからあたしはへらへら笑う。
「なによ、あんたは行かないの?年中大会してるわけじゃなし、プールなら遅くたって平気よ、ねえ、アリーナ?」
 だってさ、もしあんな事さえなかったら、あたしもきっとミネアだった。幸せなまんまおんなじように生きてたに 違いないのよ。今のあたしより、昔の、あの頃にあたしの方が好き。だから当時のあたしには幸せになってほしいもの。

 横でにこやかに笑いながら、ぱくぱくとお弁当を食べてるのがラグ。この前転校してきた美形。おだやかで どこかぼけてる楽しい奴。そのくせどっか鋭くて、けっして心の傷に触ってこない所が気にいってる。 こいつにもなんか嫌なことがあったんだろうと思ってたら、孤児だったらしい。この春に 唯一の肉親を亡くしたとかなんとか。そのワリにはなんか明るいって言うか、めげてないやつ。… なんか不思議なやつ。もっともこいつも好みじゃないけどね、あたしは年上が好きなのよ。そう考えると この学校にはろくなのがいやしない。美形が多いって有名だって言うのに、まったく。 …むかつく奴もいるし。ある男を思い出してあたしの口の中が苦くなった。

 アリーナが笑う。
「うん、行きましょうよ!夏は好きよ。海にプールに、花火大会や、そうそう、今度神社で お祭りがあるのよね。」
「お祭りがあるんですか?こっちのお祭りはにぎやかなんでしょうね。」
 ラグが嬉しそうに言ってる。こいつこっちに来たばかりだから知らないのか。ここのお祭りはちょっと有名。 花火が豪華で綺麗だって、デートの誘い文句。あたしももう何人にも誘われて断り倒してるけど。
「そうですね。アリーナ様は今年も見にいかれるおつもりですか?」
「当然じゃない!あれに行かなきゃ夏は終わらないわ!クリフトも当然、付き合ってくれるでしょう?」
 困った顔をしていたクリフトが押し殺せない嬉しさを見せた…結局折れるんだろうなあ。 あたしは嬉しそうに横で笑うミネアに言ってやる。
「あんたも行ったら?オーリンと。頼んだら行ってくれるわよ?」
「な、なななななな!姉さん!おおおお、オーリンは忙しいのよ?そそそ、そんなこと頼めないわ!!!」
 あーあ、判りやすいやつ。ミネアは昔から父さんの一の部下のオーリンにぞっこんなのだ。…ぞっこんってふるいかしら? 顔を真っ赤にしちゃって。…でもオーリンと一緒にいるミネアはあたしなんかぶっちぎりで一番可愛い。くやしいなあ。
「ね、姉さんはどうなのよ?」
「残念、このあたしがお祭りの日に予定が入ってないと思ってるの?三ヶ月前から誘われまくってるわよ。だ・か・ら・ね? あんたも一人で花火を見るなんてわびしい真似する気?」
 にやり、と笑ってやると、顔を抑えてうつむいた。…予定が入ってるってのは真っ赤な嘘。行ってたまるか、 祭りなんて夏の代名詞じゃない。けどこう言わないと あたしと二人で行くとか言い出しかねないのだ、この妹は。でも、あたしは。
 そこにグッドでバッドなタイミングで、アリーナが聞いた。実に、自然な成り行きで。
「マーニャさんも、夏、好き?」
 …大っ嫌いよ、夏なんて。
 予鈴まであと10分じゃなきゃ、あたしは毒を吐いていただろう。


 ――――――――― 夏と、言えば。
 襲い掛かるような巨大な入道雲と、どこまでも澄んだ、蒼い、空。
「…嘘…」
 事実は、2つ。父のサンプルがなくなっていること。
 そして、初恋の人の荷物が綺麗になくなっていること。
 あたしは走った。バルザックを探して。陽炎昇る町を走って走って、 息が張り裂けそうだった。
 誰か、嘘だと、夢だといって欲しい。
 行かないで、側にいて。
 何気ない時が、もう、帰ってこないと分かった時、あたしは道路にしゃがみこんだ。
 アスファルトが、熱かった。
 セミの声が、うるさかった。

 ―――――――――― それが、最後だった。


 好きだったあいつ。父さんが製薬会社の部下だったバルザック。会社だけじゃなくて、 うちにもちょくちょく遊びに来てたから、それなりに父さんの信用を得てたんだと思う。父さんの 代わりにうちにきて、よく母さんのご飯を食べた。遊んでくれた。…とても頼もしかった。
 あたしはまだ小さかった。だから、一番近い異性に惚れるのは、お約束って言っちゃお約束。バルザックは 優しかったから、あたしはあっさり初恋の相手をあいつに決めた。
 でも、それもみんな、あいつの作戦だった。高校卒業してすぐに父さんの会社に入ったバルザックは 野心家だったのだ。早く出世したい、金を稼ぎたい。…地道にやってるのが許せなかったあいつ。
 …結果新薬のデーターとサンプルを盗み出して逃げた。…そしてしばらくして、ライバル会社から 全く同じ薬が発表された。タイミング悪く、タッチの差で父さんも出しちゃったから父さんはすっかり盗人扱い。
 …信用のない製薬会社から、誰も薬なんて買わない。…それでも父さんも母さんも頑張ったけど、心労たたって 母さんは死んだ。あっけなかった。
 バルザックが母さんを殺した。あたしはそう思っている。幸い今は父さんの会社は持ち直したけど、 下手したら一家心中よ。

 齢10才にして、あたしは誓ったのだ。
 もう、恋なんて絶対にしない。…それほどまでに激しい恋だった。
 それから、あたしは夏が嫌い。…夏なんて、来なきゃいいのに。あたしは 蒼い空に向かってにらみをきかせた。




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