螺旋まわりの季節
〜 時雨の降る時 〜

 空を、見ていた。
 今が料理中だったが、心はここには無かった。
 ぶすぶすと、秋刀魚が黒い煙を上げている。
 既に油は落ちて、表面も黒くこげているだろう。
 それでも、心はただ、あの二人の姿を映していた。
 他には、何も目に入らない。他には、何も心を捉えない。
 ただ、痛い。…もうきっと、逢えない。逢ったらきっと自分は、泣き出して、しまうから。
 キキキキキキィー
 ものすごいスピードの車が急停車した音。
 目に入った、落ち着いた住宅街の外観を損ねる、赤い外国車。
 そして、そこから降りてきた自分…いいや姉と。そして。
(バルザック!)
 あの日から、忘れた事はない。あの悪夢の日々を、自分は、けっして忘れないだろう。
 新聞記者が詰め掛けた玄関。悪意溢れる電話が鳴り響く毎日。ノイローゼになった母。 疲れを見せず、母をいたわる父。そのまますぐにノイローゼのまま、死んでしまった…母。 泣く、私。そして、真っ赤な眼をしながら、それでも泣いた事を認めない、姉。
 …私は、生涯忘れない。

「じゃあね、バルザック。また、逢いに来てくれる?」
 それなのに、姉は。
 嬉しそうにそう言って、バルザックに微笑んだ。

 姉の初恋の相手を、ミネアはうすうす気がついていた。
 率先して、父の会社に行くようになった姉。お気に入りのワンピースを取り出し、嬉しそうだった姉。 そして、バルザックに、本当に綺麗に、可愛らしく笑う姉を、ミネアは隣りで見ていたから。
 双子だったからこそ、自分と姉の違いに、とても敏感に出来ていた。
 …けれど、バルザックが去ってから、会社に行く事はほとんどしなくなっていた。行く用事があると 辛そうな表情をするから、自然にミネアが変わるようになっていた。
(…まるで、今の私のよう・・・)
 だが、バルザックの痕跡を見つけるたびに、顔をゆがめていた。だから、バルザックの事は いまや憎憎しく、思っていると思っていたのに。
「ああ、また誘いに来るよ。」
「とっても嬉しい。こんな素敵な車で、学校に迎えに来てくれるなんて、あたし、幸せだわ。」
「ああ、この車は、お前とお前に相応しいよ…じゃあ、な。」
「ええ、バルザック。」
 にっこり微笑む姉の表情は、本当に嬉しそうで。
「…愛してるよ、マーニャ。」
「あたしもよ、バルザック。」
 去っていく車を、いつまでも、見続けている姉は・・・
(…これは、現実、なの…?)

「姉さん!」
「あら、出迎えてくれるなんて珍しいわね。何かいいことあったの?」
 にこやかに笑うマーニャの肩を、文字通りミネアはひっつかんだ。
「あれはなに?バルザックじゃないの!!どうして、どうしてバルザックが姉さんと一緒に! どういうことなの?説明してよ!」
「送ってもらってたのよ。最近物騒だからね。あんたもとっととオーリンと仲直りして、 送り迎えしてもらいなさいよ。」
「そんな事聞いてるんじゃないわ!姉さん!…バルザックの事、許したの?…あの時のこと、 忘れたの…?」
 マーニャは笑う。
「あんた、あんな昔のこと、いつまでこだわってるつもり?」
「そんな!バルザックはお父さんの研究を奪って…お母さんまでバルザックのせいで…」
 怒りに震えるミネアの額に、マーニャは人差し指をつきつける。
「馬鹿ね。実際今、父さんの会社は立て直してるし、母さんが死んだのは病気よ?バルザックが 殺したわけじゃないわよ。」
 駄目だ、話が通じない。ミネアはそう思った。そして、少し考えた結果、 一番重要なことだけ聞くことにした。
「…姉さん。ちゃんと答えて。」
「あたしは、答えをはぐらかしたりしてないわ。」
「バルザックと、付き合ってるの?バルザックの事、好きなの?」
「ええ、そうよ、付き合ってるわ。愛してるわ。誰よりも。」
「ねえ・・・さん・・・」
 絶望に打ちひしがれたミネアに、マーニャは笑ってみせる。
「そんなことより、とっととオーリンと仲直りしなさい。無理やりでもいいわ、後悔しても 遅いんだから。最近色んな事件とか聞くんだし、このへんも物騒なのよ。オーリンに 迎えに来てもらいなさいよ。」
「…いばらないで…姉の顔して、いばらないでよ!!!」
「…最近は物騒だわ、ちゃんとまっすぐ帰りなさいよ。」
「黙ってよ、姉さんの馬鹿!!」
 ミネアの叫びに、マーニャは少しだけ顔をしかめた。そして何も言わずに部屋へ帰った。
 …そして、ゆっくりと銀のピアスを宝石箱の奥深くに、しまいこんだ。


 全てが嫌いだった。『あの場所』に尻尾を振っていた両親も。、
 『あいつ』に微笑んでいた世の中も。
 『あいつ』に愛され、全てを受け継ぎ、全てに優遇された『あれ』も。
 自分に頭を下げる舎弟と呼ばれる男達も。それに関わるわずらわしい人間関係も。
 てのひらを返すように、態度が変わった大人たち全ても、ピサロは嫌いだった。

 そんな中、好きだったものは数少ない。
 自分が持つ竹刀。構えた時の張り詰めた空気。ただひたすら目の前の事をただひとつ考えている時。
 何者にも臆されない、山の空気。
 そして、病院で待っている、慎ましやかな恋人。




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