螺旋まわりの季節
〜 露のこもる葉 〜
くるまのおと。
そして高い、高い子供の泣き声。
森のような広い庭。
葉ずれの音がする。…とてもとても大きな、音。
それはわずかな痛みを伴なった、刺すような日差し。
大きな木から落ちてきた、子供の泣き声。
木に登っていたその子供は、高く、低く、ただひたすら泣き続け、涙をこぼす。
落ちた事に泣いているのではない。
「…う様…お、かあ、様…」
すすり泣きながら、何かをつぶやいているのが聞こえる。それは、けして大きな声ではないけれど、 全身で叫んでいた。
自分は、暖かな日差しをよけた暗い木陰にいる。
それが、最初の記憶。
ただ覚えているのは、ぷっくりとした、子供の手。
慰めようと、泣いている子にゆっくりと手が差し出された。
それでも差し出された手は、空を惑う。泣いている子供を慰める術がないことがわかったのだ。
ぽたりと、その手に涙が落ちた。
ぽろぽろと落ちる涙は、やがて二つの泣き声になる。
”泣かないで”
そう思っても、自分には泣き声しか出ない。
哀しくて、情けなくて。でも何もできなくて。この少女が泣いている事が、哀しくて。
どう慰めたらいいか、判らないのに。でも、泣いているこの少女を慰めたくて。
慰められない自分が情けなくて。悔しくて。ただ泣いてるしかできない自分が、無力で。
哀しさが募って、一緒になって泣いた。
その時から、自分は…
ピピピピピピピピピピピピピ…
クリフトはむくりと起き上がる。だが、まず最初にしたことは目覚ましを止めることではなく、壁にかかっている カレンダーを見ることだった。
11月30日。間違いなくそれが今日の日付だった。
(もう冬にだというのに…)
クリフトは目覚ましを止めて立ち上がった。着替えながら外を見た。
居候にしては申し訳ないほどのいい部屋を、クリフトは”旦那様”から賜っていた。
その部屋の窓から、日が差し込み、その向こうには大きなオークの木が見える。
(…おかしいですね…)
毎年見る夢。もういつからか覚えていないが、毎年必ず見る夢だった。一年で、2回も3回も見ることは、けっして珍しくない。
だが、それは必ず初夏から夏にかけてなのだ。クリフトは、ずっと夏の日差しに触発されて記憶を夢に見るのだと思っていた。 だが、今日はいい天気だが、夏の日差しとは比べ物にもならない。
夢とは、記憶の整理であり、いるものいらないものの取捨選択の動きの一部である。この間読んだ心理学の本に載っていた文章だった。
(なにか心境の変化でもあったのでしょうか?)
身支度をしながらも考えるが、いくら考えても判らない。しばらく首をひねったが、考えていても仕方がない。頭を切り替える。
(アリーナさまは朝の予定がなく、ゆっくり寝かせてとの指示でした。旦那様は夜、会議が 入っていらっしゃる以外は執務室で書類の整理。私はその手伝いをすればよいですね。)
そこまで考え、バトラーの服装をしたクリフトは、朝食を取る為に部屋の扉を開けた。
そうして午前中、クリフトはアリーナの父の執務室で請われたデータを引き出したり、入力したり時々は試すように意見を 求められたりしていた。
休日だと言うのに働いている学生と言うのはとても珍しいだろうが、クリフトにとっては至福と知ってもいい一時だった。 経営の一端に携わるのは好きだったし、なにより旦那様の手伝いをできるのが嬉しいのだ。
「おお、一息入れよう、クリフト。お前もそろそろおなかがすいただろう。」
「いえ、集中していたので。けれど気が抜けたらなんだか気になってまいりましたね。」
「そうか…そういえばクリフト、おまえももうすぐ18だったな。」
「はい、これも旦那様のおかげです。」
自分でも忘れていた。クリフトには誕生日がない。正確には誰も知らない。今、誕生日としている1/23は、 幼いアリーナが決めてくれたものだった。
18歳という年は特別で、昔は指折り数えていたと言うのに。そんなことも気にしなくなるほど、 日々の生活が楽しかったのだろうか。
「ああ、気がつくと子供達はどんどん大きくなるな。わしも年をとったもんだ。アリーナも16だったな。」
「はい、7月で16歳になられました。」
「そうか…」
こんこん、とノックと扉が開く音が聞こえた。向こうには動きやすい服を来たアリーナが居た。鍛錬でもしていたのだろうか、 シャンプーの匂いがどこか芳しい。
「あ、クリフトもここにいたのね。お父様、今日は一緒にご飯食べられる?」
「ああ、そろそろ行こうと思っていたところだ。」
「クリフトも一緒に食べましょうよ。」
「ありがとうございます。ですが私はいつもどおり第二食堂で食べさせていただきます。」
「そう、残念。」
最初からその返事はわかっていたので、アリーナはあっさりと引き下がる。
それは、いつもどおりの何気ない日常。
こんな日常が、いつまでも続かない事を、クリフトは知っていたから。
できるだけ続けていたいと、願っていた。
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