螺旋まわりの季節
〜 春待の空 〜
自分の部屋に入り、扉を閉めた。…冷静でいられたのは、ここまでだった。
「どうして…」
泣き崩れた、自分らしくない自分が嫌だった。
それでも、涙が止まらなかった。
…受け入れても、貰えなかった。あれはあまりにも残酷な返事だった。…だが、それもクリフトらしくて、 より泣けてきた。
「…ごめんなさい…ごめんな、さい…」
クリフトにとって、父は何よりも大切な人で、恩人なのだ。アリーナの側にクリフトがいる義務はないように、 クリフトにとっては、父は育ててくれる義務がないのに育ててくれた人なのだ。だからこそ、 クリフトは父の事を、神よりもなお尊敬し、崇拝するかのように慕っている。・・・それを知っていたのに。
(私は…自分と父をクリフトに天秤にかけさせたんだわ…)
それは、クリフトの返事なんかよりも、もっともっと残酷だった。
クリフトは、とても律儀で。恩人の娘である自分に、同じように恩を感じてくれている。それなのに、その どちらかをむりやりにも選ばせたのだ、自分は。
…あの返事がクリフトにとってどうすることもできなかった、精一杯の返事だとわかった。
…わかっていても、涙が止まらなかった。
こんなにも、好きなのに。
側で過ごした時間は、確かに自分の身体に、心に、全てに溶け込んでいるのに。
(もう、一緒にいられない…?)
ずっと側に居た。どんな時も。側で微笑んでくれていた。クリフトが居たから、笑っていられた。 こうやって大人になれた。
けれど今、その過ごした時間が憎かった。大人になったから、こんなことになるなんて。
たった一人以外、要らない。たった一人で良いのに。隣りに、いて欲しいのは。
(…それでも、望まれないなら、ただの抜け殻になるしか、ないの…?)
この想いは、クリフトにとって害にしかならないのだから。この想いは二度と出してはいけないものなのだから。
ずっとずっと昔から、自分はクリフトのことを想っていた。今ならそれがわかる。
無意識に思っていた、この気持ちと共に、自分は生きていた。それをとったら、もう抜け殻しか残らない。 アリーナは強くそう思った。
それでも、もう、どうしようもないのだ。自分の想いが、クリフトを不幸にするなら。
明日から、自分は抜け殻。
…だから、今だけ、今だけは泣いていようと、思った・・・・・・
次の日から、アリーナは普通に話し掛けてくるようになった。クリフトや父に、変わらず接し今までの ことが嘘のように明るくなった。クリフトは拍子抜けしたくらいだ。
だが…それに騙されない人たちがいた。
「…どしたのよ、アリーナ?」
「どうもしないわ。マーニャさんこそ、どうしたの?すっごく妙な表情してるわよ?」
にこにこと嬉しそうに明るく話すアリーナ。昨日の姿が嘘のようだった。
「どうされたのですか…アリーナさん。…あの…昨日の話は…」
ミネアが重ねて言う。だが、アリーナはにこやかに言う。その答えは、用意していた。
「あ、ありがとう。話聞いてもらえて、色々考えて…やっぱり私お見合いするのが嫌だっただけなんだなって思ったの。 お父様の言いなりになるのが悔しくて。そう気がついたらなんだか吹っ切れちゃった。」
…たしかに、筋は通っているかもしれない。そう思いながら、恐る恐るシンシアが聞く。
「…お見合い…するんですか?」
「うん、してみようかなって。それで嫌だなって思えば断ればいいんだし。」
もくもくと、おいしそうにお弁当を食べるアリーナ。マーニャは 呆れながら聞いた。
「アリーナ、あんたそれでいいの?」
「うん。帝国ホテルの料理、おいしいし。行っても損はないわ。」
「それで…いいなら…いいんですけど…」
「それがね、お父さまったら全部判ってたみたいで、あれだけもめてたのに、話し進めたままだったんだみたい。… なんだか全部お見通しで悔しいんだけど、仕方ないわ。」
ミネアの言葉に、アリーナはあっけらかんと言葉を返す。だが、そこにラグが爆弾を落とした。
「でも…どうしてクリフトさん、いらっしゃらないんですか?」
その言葉に、女性陣が覚醒する。余りにも意外な言葉に納得させられそうになっていたが、まずそこがおかしいのだ。
明るいアリーナの横に、クリフトがいないのだから。
「え、と、なんかクリフト、その、クラスの男子と一緒にご飯食べるようになったって…」
「でも、それだったらクリフトさんなら僕達に一言あるような気がするんですけど・・・」
たしかに律儀なクリフトらしくなかった。二人が喧嘩した時は、アリーナに遠慮してここに来ないのはわかる。だが、 仲直りをしたならば、こちらでご飯を食べるのがむしろ当然のように思えるのだ。
「え、それ、は。え、と、明日からは、ちゃんと来ると思う!その、クラスでも、付き合いとか、あるみたいだし…」
マーニャがため息をつく。
「…どうしたのよ?ちゃんと話しなさいよ。」
「ごまかしたり、なさらないでください。」
しどろもどろになっているアリーナに姉妹が畳み掛けた。シンシアが後を請け負う。
「…今ならなんとかなることでも、時間が経ってしまったらどうにもならない事も、ありますから…」
「僕…やっぱりちゃんと、仲直りして欲しいです。…駄目ですか?」
その言葉に、アリーナが哀しく首を振った。
「みんな、ありがとう…でもね、もう無理なの。…振られちゃったから。」
「振られたって…どうして…」
ミネアの言葉に、アリーナが首を振る。
「…それだけの事を、私はしたから。仕方ない…の…」
陽が翳ったような気がした。厚い、厚い雲でお日様が遮られたような、そんな錯覚さえ覚えた。
「ちょっと、クリフトに一言言ってくるわ!!!」
「やめて、マーニャさん!お願い!」
怒って立ち上がったマーニャにアリーナが縋りつく。
「アリーナ…」
「こういうのは理屈じゃないわ。…マーニャさんだってあれほど告白受けているんだから判るでしょう?… 想えない人は、どう頑張ったって、想えないのよ…しかたないわ…クリフトは、私のお父様が好きなんだから…」
どこか誤解されそうな言葉を言いながら落ち込んでしまった。
アリーナにとって、先ほどの言葉は、一言一言が身を切るように痛かった。 それでも、今日は皆に頼みたい事があったのだ。だから、今日から一緒にお昼を食べると言うクリフトに対して、 お願いして教室で食べてもらっているのだから。
「それより、どうしても頼みたい事があるの。…お願い。」
その言葉を聞き、マーニャが座った。
「なぁに?できる事ならするわよ。」
「マーニャさんたちにしかできないわ。…できれば…ラグもお願い。」
名指しされて驚くラグ。だが、頷いた。
「なんですか?」
「21日に、クリフトを連れ出して欲しいの。2時から…1時間か2時間くらいでいいから。どうしてもって言って どこかに出かけて欲しいの。…お願い。」
「それはかまいませんけど…どうしてですか?」
「…その日がお見合いなの。…お父様は…クリフトも連れて行くって言ってるわ。」
全員、息を飲む。ラグが、こっそりとシンシアが耳打ちする。
「…お見合いって、クリフトさんみたいな人も、連れて行くの?」
「判らないけど…普通はしないと思うわ。だいたい、お互いの母親と仲介人だと思うわ。クリフトさんが、 理事長にとって息子だと思っていても、普通は兄弟なんて連れていかないと思うけど…」
その疑問は最もで、マーニャもアリーナに聞く。
「どうしてクリフトが来るの?」
「…わからないわ。お父様の気持ちは、私には。…クリフトがお父様の言いつけに断ることは ないと思う。来いと言われたらなにがあっても行くと思う。…けど、嫌なの。…クリフトの前で、見合いなんかしたくない。」
ミネアが、厳かに言う。
「…アリーナさんはお見合いを…結婚話をお受けするつもりなの…」
アリーナはちいさく頷く。か細い声が漏れる。
「…クリフトが、それを望んでいるんだもの…」
皆が顔を見合わせた。
「…それで本当にいいんですか?アリーナさん…」
ラグの言葉に、アリーナが頷く。
「いいの。決めたから。…ただ、クリフトが側にいる時に…そんなことしたくないの…普通、クリフトは 来るべきじゃない席だもの。いなくてもいいはずだわ。…用事があるならクリフトもなんとか断れると思うの。…お願い。」
「それが、あんたの望みならいいけど…本当にいいの?」
アリーナはもう一度頷く。
「…しかた、ないもの。平気よ!人生長いのよ?きっと忘れられる。ずっと気がつかなかった思いなんて、 きっと平気になれるわ。…忘れられる、きっと。だからいいの。」
明るく、吹っ切ったように立ち上がる。いつのまにか食べ終わったお弁当箱を抱える。それが、逆に痛々しかった。
「じゃあ、それだけお願いね?」
そう言って出て行こうとするアリーナに、マーニャが声をかける。
「アリーナ!…人生、そう捨てたもんじゃないわよ?」
「…また、明日ね。」
「本当に申し訳ありません。友人がどうしてもというので…」
「まぁお前がそちらを優先したいと言うのならかまわん。さして 支障もないから気にするな。」
「はい、ありがとうございます。…明日の善き日が成功する事を祈っております。」
「…そうか。」
「それでは失礼いたします。」
ぺこん、と頭を下げ、執務室を出る。
(お許しがもらえてよかった…それにしても)
妙な誘いだったとクリフトは思う。なんだか皆妙に強引だったのだ。いつもは『用事がある』といえばけっして 無理強いしない人たちなのに。
『あの…クリフトさん。お願いがあるんです…その、あの、オ、オーリンのクリスマスプレゼントを一緒に選んで いただけませんか…?今度の日曜日…21日にでも、お願いしたいんですけど…』
そう誘いをかけてみたミネア。
『あ、いいじゃない。ついでにあたしも、父さんのプレゼントでも選ぼうかな。クリフトお願いね。』
そう強引に賛同したマーニャ。
『あの…僕も頼まれたんですけど…僕、そう言う経験がなくて…クリフトさんなら理事長にプレゼントとか されてそうですし…一緒にお願いしてもかまいませんか?』
おずおずと、でもけっして引かないような決意を込めて言ってきたラグ。
『私も、ご一緒するんですけど…ラグは男一人じゃ気まずいって言って…クリフトさんも来ていただけたら、 私も心強いんですけれど…』
まるで助太刀のように、切なく訴えてきたシンシア。
用事がある、と言ってみても。
『あの…それ、どうしても断れない用事ですか…?』
『クリスマスまで間がないからこっち優先させられない?』
妙な迫力があり…なんだか脅迫されてる気分になった。仕方がないので、『旦那様にお伺いを立てる』と約束を してしまったのだ。
いつもなら、はっきりと断っていたはずだ。旦那様との約束は最優先なのだから。
だが、それを断りきれなかったのは…自分がそこにいる違和感を覚えたのと…なにより、自身がそこにいたくなかったのだ。
何故なのかは、判らない。旦那様の気持ちは嬉しかったはずなのに…なぜかその場にいることに、強い抵抗を 覚えていた。
あの夜のアリーナを思い出す。…あれは、見合いが嫌な、アリーナの演技だと思っている。…そう信じている。 …そう信じなければいけないのだ。
だから、自分はその場にいないほうがいい。まったく矛盾した考えだったが、クリフト自身、その矛盾には気がついていなかった。
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