朝、食堂に三人はいなかった。
 一人はすでに宿から消えており、二人は部屋から出て来ない。セイは久々においしくない朝食を とり、他に二人分の食事を注文した。
 そしてセイは両手に一つずつトレイを持ちながら食堂を後にした。

 セイの片手には、湯気の立つトレイ。もう片方は湯気の立たないトレイ。バランスをとりながら セイは階段を登る。
 部屋の前。セイは足で扉をノックする。
「おーい、リュシア、起きてるか?」
「…………セイ?」
 長い沈黙のあと、か細い声が聞こえた。どうやら若干声が枯れているようだ。
「食欲ないかもしれないがメシ食えよ?」
 返事はない。もう一度軽く足でノックする。
「とりあえず今日は一日休日だ。用事があるやつはもう出かけちまったからな。」
「………。」
「開けるぞー。鍵かかってても開けちまうぞー。」
 セイは片方のトレイを床に置き、戸を開ける。鍵はかかっていなかった。昨日、セイが 入ったっきり、触っていないのだろう。
 中には入らず、隙間からトレイを置いて戸を閉める。
「それでもゆっくり食っとけ。昨日は悪かったな。じゃ。」
 セイの気配が扉から遠ざかる。扉の前にはリュシアの好きなフルーツサンドとミルク。それを確認して、リュシアは もう一度布団を頭からかぶった。
 もう少しだけ、この安全な場所にいよう。ゆるやかな闇の中に。


 廊下を抜けると、そこは外だった。青空の下。周りが岩壁…いや、岩山に囲まれた奇妙な場所。
 足は砂地。まるで外界から切り取られたような空間だった。世界のどこからも隔離された、だが 世界の全てがそこにあるような気さえする、不思議な場所。
 だが、その先にたった一つ、そこにそぐわないものがある。黒い口を開けて待つ、洞窟の入り口。
 トゥールは深呼吸すると、その異界へと向かった。


 湯気の立ったトレイを持ちながら、セイはまた扉の前に立つ。今度は手でノックをする。
「おーい、サーシャ起きてるかー。」
「…セイ?」
「メシ持って来たぜ。入るぞ。」
 ノブに手をかけると、サーシャの声がする。
「…待って、セイ。」
「食わないとか言うなよ。俺もう朝飯食ったんだから、お前の好物の野菜スープとくるみパンが無駄になる。」
「…ありがとう。」
 気配がして、扉が開く。サーシャは少し弱い笑みを浮かべ、立っていた。
「ごめんなさい、寝坊しちゃったみたい。わざわざ持ってきてくれてありがとう。」
 トレイに手を添えて受け取ろうとする。だが、セイは渡さない。
「違うだろう?」
「何が?」
「セリフがだ。」
 セイの言葉が理解できず、サーシャは首をひねる。
「意味が良く、分からないんだけど…?」
「なんでお前は、トゥールの事を聞かないんだ?今日、トゥールは試練を受けに行くんだ。こんな遅く起きたなら、真っ先に 聞くもんだろうに。」
 サーシャの手が、トレイから滑り落ちる。顔が凍った。
「危ないな、こぼれるぜ?」
「…セイ。」
 真っ青なサーシャとは対象的に、セイは少しいたずらめいた笑みを浮かべる。
「覗きは趣味が悪いぜ?ちなみにトゥールはもう出かけちまったよ。…入るぞ。」
 立ち尽くすサーシャの横をすり抜け、セイは部屋に入り、テーブルにトレイを置いた。


 トゥールがいない時は、いつもこうして、布団の中でうずくまっていたような気がする。
 たとえば、トゥールが熱を出して泊まれない時、何か特別な日で、家族水入らずで過ごす時。それでも リュシアが寝る時には、養母はいなくて。下のにぎやかな音が哀しくて。支配する静寂が苦しくて。
 闇の中に一人、取り残されたような気持ちになっていた。
 窓から見える、トゥールの家の灯りは明るくて。なのに、自分はこんな闇の中で。
 いっそ、全てが闇ならこんなことを考えなくてもいいのに。どうして、自分の周りだけ、こんなにも暗いんだろう? ずっとそんなことを考えていた気がした。


 最後のパンを飲み込むまで、セイはじっとサーシャを見ていた。
「…言っておくけど、別に、わざとじゃ、ないのよ。」
「まぁ、そうだろうな。俺だって驚いた。」
「考えてみたら、セイだって覗きじゃないのよ。」
「俺は堂々と見てたよ。」
「…そう言うものなのかしら。」
「俺の故郷じゃ垣間見とも言うな。…それはともかく。」
 サーシャはゆっくりとセイを見た。…断罪の時が来た。
「このあたりではっきりしておくか。お前と、トゥールの事を。」
「そう、ね。私に答えられることなら。きちんと話すわ。」
 お互い殺しあうような、まっすぐな視線をぶつけあった。


 静寂の中、たった一人、トゥールは立っていた。
 しんと静まった洞窟に、ぼんやりとした灯りがともっている。だが、それは孤独な闇を吹き飛ばすほどの強さを 持たない。
(静かだな…。)
 モンスターの気配はするが、その鳴き声は聞こえなかった。
(とりあえず、進もうか…。)
 皆でいるときは、意思を伝えるためには話さなければならないが、一人でいるなら音は出さないほうがいいだろう。 モンスターに合わないに越した事はないのだから。
 だからトゥールは、できるだけ音をたてないように注意しながら、ゆっくりと洞窟の奥へと歩き出した。


 なんだか皆様の非難が聞こえるような気がします。ははは、こういうことになってしまいましたよ。
 まぁ、弁明はあとでじっくりさせていただきましょう。
 ランシールシリーズはもうちょっと続きます。お付き合いお願いいたします。


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