朝が近づいてきていた。
 月が薄れゆくように、村の幻影もうっすらと透けていく。
「お父さん、おかあ、さん…。」
「エリューシア、わたし達は何時も、闇の中に、貴方に安らぎを与えるわ。これからもずっと。…だから、 もうここへ来ては駄目よ。」
 アレシアの言葉に、リュシアは涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げる。
「……もう、いない?」
「そうだよ、エリューシア。僕達はもうここにはいない。この姿は闇が記憶したただの幻影。幽霊ですらない 現象だ。やがて、ここに残る闇の魔力が薄れていけば、僕達も薄れていく。だから、ここでお別れだ。」
 リュシアはぼろぼろと泣き出す。二人の気持ちは伝わっている。もういない自分たちを忘れて幸せになって欲しいのだ。 いつくるか分からない別れに、人生を犠牲にして欲しくはないのだ。
 それでも、もう会えないのが悲しかった。こんなに体は温かくて。声も暖かくて。…それでも、一緒には暮らせない。 わかってはいるのに、いるのに、どうしても、頷けない。
「…リュシア、と呼ばれているのね、勇者さんや貴方の、『お母さん』に。良い名前だわ。」
 アレシアの言葉に、リュシアは顔を上げる。
「いいのよ。それでいいの。人は育ててこそ母親になれるんですもの。育てて、人に幸福を与えて初めて 親となるの。…だからね、貴方の親はちゃんといるのよ。」
「ちが、違うの、ママは、ママだけど、お母さんもお母さんなの、お父さんもお父さんなの、だから、 だから、リュシア、…は…。」
 口が回らないのが辛かった。伝えたい思いが伝わらないのが辛かった。
「それでも、エリューシア。時々、心の暗がりに囚われた時にでも 思いだしておくれ。その名前と一緒に。愛している親が、いたって事をね。」
 リュシアはもう何も言えずに、目の前のエニアスに抱きついた。声を上げて、大声で。
「…私が貴方を始めて抱いた時も、同じように大声をあげて泣いていたわね。私は本当に嬉しくて微笑んだわ。 …そしてその後、別れてしまった。だから今度は笑ってお別れしましょう?」
 リュシアは首を横に振り、今度はアレシアに抱きついた。アレシアは強く抱き閉めてそっと離した。
「ほら、ね、もう泣かないの。笑って。笑い顔が見たいわ。」
 アレシアのその言葉にも、リュシアの涙を止める力はなかった。皆が途方にくれる。その時、すっとサーシャが横に立った。

 少しでも救いたかった。魂じゃないと言われても、ここに確かにその人は存在するのだ。 ただ時を重ね、新たな時を歩む事のない、どうすることも出来ないこの人たちを。天に返す事が 出来ない自分の無力を嘆きつつ、この先の時が少しでも幸せなものであるようにと。
「…リュシアの名前は、ルイーダさんが決めたんです。あのペンダントの裏に書いてあった、わずかな言葉を読み取って『リュシア』 と。」
「ええ、良い名前ね。」
「僕達が考えた名前が一部でも使われているのは嬉しいね。」
 涙をぬぐって微笑みあう夫婦。リュシアは、なんとか涙を止めようと、深呼吸をした。 その時間稼ぎのために、サーシャは更に口を開く。
「私達の住むアリアハンには、名前に長音を入れるという習慣があるんです。…一説によるとそれは名前を長く呼ぶ事で、 神に少しでも長く名前を届けるようにと始まった習慣だとも言われています。…でも、リュシアの名前にはそれがなかった。 …ここに来て、『エリューシア』の名前をもらって。エニアスさん、アレシアさん、お二人がその祝福をリュシアにくれたんです。 リュシアがずっと欲しかったものを、ちゃんと…だから。」
 サーシャの言葉に、アレシアがずっとこらえていた涙をこぼす。
「…いや、ね、お別れは…笑って…。母親らしくって…。」
「…ありがとう、サーシャちゃんだったかな?…ありがとう。」
 そう礼をいうエニアスの横で、トゥールがリュシアの肩を叩く。
「…頑張ろう、リュシア。ね?」
 何とか涙を止めたリュシアが、前を向いた。
「…ありがとう、…産んでくれて、ありがとう。愛してくれて、ありがとう。…それだけで、幸せ。…わたしには、親が、 三人いるの。皆、大切なの。ありがとう。残っててくれて、ありがとう。会えて、よかった。わたし、幸せ。… 愛してるから、お父さんとお母さんの事、ずっとずっと愛してるから。」
 こらえられない涙をこぼしながら、リュシアはそれだけを言いきった。
「…エリューシア。」
 トゥールはあえて、この名前を呼ぶ。リュシアは振り返る。
「…トゥール?」
「お誕生日、おめでとう。」
 トゥールの言葉に目を丸くするリュシア。
「ほら、長老さん言ってたじゃないか。16年前のちょうどこの日って。その日にエリューシアが生まれたなら、今日が 誕生日だよね、16歳の。…エニアスさん、アレシアさん…リュシアを、エリューシアをこの世に生み出してくれて、 本当にありがとう。」
 トゥールのその言葉に、リュシアとアレシアは大粒の涙をこぼし、エニアスは目じりの涙を掌ですばやく拭き取り続けた。


 まだ登らない日の光が、ゆっくりと空を紫に変えていく。
 なんとか泣きやんだ三人の親子と、それを囲む三人の仲間が、その宵闇の中に立っている。
「…ありがとう、エリューシア。私もよ。産んであげられて良かった。幸せよ。」
「うん、エリューシア。君を僕の娘として誇りに思うよ。…さぁ、行きなさい。僕達が薄れて消えるさまを見ないうちに、 こうして、普通の親子みたいに送り出そう。」
 エニアスの言葉に、リュシアが頷く。
「いってきます、お父さん、お母さん。」
「…いってらっしゃい、エリューシア。…気を付けてね。」
「いってらっしゃい。気を付けて。頑張ってくれ。」
 本当に普通の親子のように、手を振って送り出す二人。それに応える様に、笑顔でリュシアは手を振った。 何度も何度も手を振って、振り向いて村を出る。そして、一目散に走り出す。
 しばらく走って、ぴたりと足を止めた。
「…早い親離れだったな、お疲れさん。…良く頑張ったな。」
「偉かったね、リュシア。」
 セイとトゥールの言葉に、リュシアは笑顔のまま振り返る。その目に、みるみる涙が溢れた。 そして…リュシアは大声を上げて泣き出した。
 サーシャはリュシアに手を伸ばし、消えた両親のぬくもりを壊さないようにそっと背中をさする。
 そのサーシャに、リュシアは抱きついた。サーシャも抱きしめ返す。無意識に涙をこぼれた涙が、 やがて嗚咽を引き寄せる。何に泣いているのか、自分でも分からない涙。それでもサーシャはリュシアのためではなく、 自分の心が悲しいと感じていた。

   トゥールとセイが見守る中、二人は抱きあったまま、泣き続けた。


 テドン編、お疲れ様でした!!
 この村は作中でも出てきたように、幽霊ではなく「現象」なのでまた夜が来れば村と人々が現れ、朝になれば消えていきます。 …リュシアが闇の力を使ってしまいましたし、支える魔力にグリーンオーブも大きく貢献していたので、 もうそう長くは持たないでしょう。それを四人に気がつかせないために、こういったお別れになりました。
 悲しい別れですけれど、幸せな別れです。どうか祝福してあげてください。

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