終わらないお伽話を
 〜 天地創造 〜



 ”そうして世界の全ては精霊女神ルビスの慈愛から作られた。 精霊女神の加護と祝福はこの世界に生きる全ての者に捧げられた。”
 長い長い告白の最後に見せられたのは、白い背中に書かれた聖句だった。
 聖句が彫られた背中の中央には、大きな十字架。その周りを囲むように、四つの翼と月桂樹の枝、そして流れる水滴。  痛々しいみみずばれのような傷跡で、それは大きく記されていた。
 それをそっと手でいたわるように撫でながら、リュシアは口を開く。
「…痛い?」
「平気よ、ちょっとみっともないけれどね。そんなに痛くはないのよ。慣れちゃったし。」
 リュシアはあまり、敬虔な信者ではなかったが、あの聖句は世界中の誰もが知っている、聖書の一番有名な部分の 最後の文章だと分かる。
「…翼、空で、樹が大地、水滴は海。」
 リュシアがそう口にすると、サーシャは笑う。
「そうね、本当にあからさまだわ。精霊女神ルビス様が神々に守護をお任せになった三つの物ね。」
 ルビスは精霊と神を生み出し、自然の六つの要素を精霊に任せ、自然の三つと、そして命の守護を神々に任せた。 …これも魔法を嗜む者ならば誰もが知っている事だった。
「…こうやって見せるのは初めてなの。 私、鏡越しでしか見た事がないから、良く分からないけど…変なところはない?」
「変なところ…?」
 白い背中に、赤く腫れあがり、刻まれた文字と絵。それはともすれば醜い光景であるにも関わらず、何故か そこにあるべきものであるように、違和感がなかった、
「…わからない。」
「そう、ありがとう。」
 サーシャは笑ってそう答えた。リュシアが手を離すと、サーシャははだけていた服を着なおした。


 しまわれてしまった美しい絵を少し名残惜しいような、それでいて、見てはいけないものを見てしまったような 複雑な気分になりながら、リュシアはおそるおそる口にする。
「綺麗、だったよ?」
「…そう。…母さんが聞いた声が、本当に神様の声だったのか、分からないから。私が、神の子なら…どうして、私は…。」
「トゥールの事?」
 長い長い、サーシャの物語を思いだす。…その中で、サーシャがトゥールが怖いと言っていた。 正確にはトゥールではなく『勇者トゥール』だと。…それがどういう意味なのか、よく理解できない。
 それでも、サーシャが何かを抱えていたことと、今までの行動の意図が少しだけ理解できたのは事実だった。
「もしかしたら、本当は神の振りをした魔王だったんじゃないかって…、もしそうなら、 これは、聖痕じゃなくて、もっと別の何かかもって…。」
 サーシャは笑う。
「…ごめん、言い訳だわ。私が誰の子だろうが、私は結局この手で、私の意思でトゥールを刺したりしたんだもの。」
 サーシャの言葉に、リュシアは目を丸くする。
「…サーシャも…思ってたの?誰の子だろう、って…。」
「え?」
 サーシャの肩から透き通るような青い髪が、さっと落ちて流れた。
 その様子は神々しいまでに美しい。…けれど。
 神の子と呼ばれるサーシャ。目の前にいるサーシャは美しいけれど、おぼろげに思いだすサーシャの母親とは 明らかにタイプが違う。もちろん父親にも似ていない。…気にした事はなかったけれど、ずっと自分と同じように 悩んでいたのだろうか?

 ”神様私は誰の子ですか?”


 リュシアがはっと我に返る。さっきの言葉は、リュシアの想いとはちょっと違う。何より、サーシャの 周りにはちゃんと証言してくれる確かな人がいて、そんな想いを抱いたりする必要はなかったはずだった。
「…ごめん、なんでもないの。」
「ほんと?私に気を使って無理をしてない?」
 心配そうに覗き込むサーシャ。その心配を読み取って、リュシアは素直に答えた。
「…色々聞いて、頭がぐちゃぐちゃでわからない。…言いたい事、多分あると思うの。でも、言って いいかわからなくて…。頑張ろうって、溜め込んじゃだめだって思うけど、でも、本当にそれでいいか…。」
「そうよ、ね。いきなりあんなにたくさん、聞いて貰って、混乱させて。ありがとう、リュシア。 きっとリュシアは私よりずっと聞き上手ね。…アリアハンではたくさん懺悔聞いていたんだけど、情けないわね。」
 それも仕方のない事だろう。サーシャはきっと、サーシャ目当ての薄っぺらな悩みばかり聞いて着たのだから。
 教会に入る前の嬉しそうな男達を思いだす。ルイーダの酒場にいた旅人がサーシャに一目ぼれをして、 教会に駆け込んでいく姿は、もはや日常茶飯事だった。
 それでも、逆にサーシャに心から救われて、生まれ変わったようになった人間も確かにいた事を、 リュシアは知っていた。
「…そんなこと、ない。」
 上手く言葉に出来なくて、リュシアはそれだけを口にする。サーシャはリュシアの表情を少し見つめて、 誰もが見惚れるような笑顔を見せた。
「…ありがとう。聞きたい事はいつでも聞いてね。」

 リュシアは目を閉じて、自分の心を整理しなおした。
「…リュシアが今、聞いた事、皆知ってる?聖痕の事とか、トゥールの、事とか。」
 サーシャは少し悩んで、正直に答える事にした。
「セイには、ほぼ全て話したわね。たくさん怒られたけれど、それで心の整理が付いたわ。 トゥールは…私から何か言った事はないの。…そう言えば、聖痕のこと、トゥールはアクシデントで 見られたからちょっと話したけど、セイには言った事がないわね。」
「…ちゃんと、全部話さないと駄目なの。」
 リュシアのまっすぐな目に、サーシャが押される。
「そ、そう、なんだけど…。」
 正直なところ、やっぱり怖いのだ。対峙するのが。自分の心の深い所を見せるのが。どんどん『勇者』として 強くなっていくトゥールに心をさらす事が。
 それでも少しずつ慣れようと、トゥールに剣を習っていたのだが、それは一向に治りそうになかった。
 そっとリュシアを見る。一緒に来てはもらえないだろうか、と。
「…頑張って、サーシャ。これからちゃんと、話すの。」
 だが、すぐ心で首を振る。自分の甘えでこれ以上リュシアを苦しめるのは嫌だった。
「そう、ね。うん、今から言ってくるわ。」
「…セイに、リュシアが、言っても良い?」
「え?セイに?聖痕の事?どうして?」
 面食らうサーシャに、リュシアは半ば混乱しながら答える。
「え、えと、あのね、その、セイに、聞きたい事、あるの、でも良いかわからなくて、 きっかけになったらいいなって…。」
 あせっているリュシアを見ていたら、サーシャは少し落ち着いてきた。茶化すように軽く笑う。
「じゃあ面倒だろうけど、お願いね。私はこれから怒られてくるわ。」
「…トゥール、怒るかなぁ?リュシア、トゥールが起こったとこ、見たことない。」
 リュシアの疑問にサーシャは考える。そして苦笑した。
「…一度だけ、あった気がするわね。」
「………そうなの?でもトゥール、怒ってたの、どうして?」
 リュシアの言葉に、サーシャは苦笑のまま、口を開く。
「あれは初めて、トゥールに恐怖して、私がトゥールの事を、殺しかけたから。」


 不自然な沈黙。それを破るように、サーシャが立ち上がった。
「…言ってくるわね、リュシア。後回しにすると、やめたくなりそうだから。」
「うん。リュシアも、行く。……ねぇ、サーシャ。」
「何?」
 リュシアはしばらく口をぱくぱくさせて、閉じる。
「…ごめんなさい、何を聞こうとしたのか忘れちゃった。また、今度。」
「そう?じゃあ思い出したらいつでも聞いて。じゃあ、行って来ます。」
 軽く笑って、サーシャは部屋を出た。
 リュシアはその後姿を眺めた。
 どう表現すればいいんだろう。
(サーシャは、トゥールの事、どう思ってる?)
 すっと聞きたかった言葉。勇者とか、そう言う事を抜きで、サーシャはトゥールの事をどう思っているんだろう。
 それが聞けなかったのは、きっと答えて貰えないような気がしたから。
 そして、どんな答えが返ってきても、なんと言っていいか、分からなかったから。


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