山は徐々に険しくなってきている。準備をしてきたとはいえ、ほとんど道なき山道を登るのは辛く、特に 体力のないリュシアは息が上がっていた。
「大丈夫か?」
「…さっき休んだばっかり。だから平気。」
 自分のペースに合わせていたら、日が暮れてしまうことは分かっていたので、リュシアはセイに小さく笑ってみせる。
「けど、無理してもしかたねーだろよ。」
「そうよ、別に今日中に頂上に登らないといけないわけじゃないし。トゥール、少し休憩しましょうよ。」
 サーシャがそう呼びかけても、トゥールは無視して先に進んでいく。
 山を登り始めてしばらくしてから、トゥールは恐ろしいまでに無口になった。心ここにあらず、という様子で ずんずんと進んでいく。幸いこんな辺境の地に魔物は少なく、サーシャとリュシアの呪文一撃で地に沈めることがほとんどなので、 問題はないのだが。
「トゥール、いい加減にしなさい!」
 サーシャが怒鳴ると、トゥールは我に返ったように周りを見渡し、急いで降りてくる。
「あ、ごめん。」
「…トゥール。言いたくはないけれど、数少ないとはいえ、モンスターが出るのよ?」
「うん、ごめん。」
 我に返ればいつもどおりけろりとしている。
「…まぁいいわ。ちょっと休憩しましょう。雨も降りそうにないし。」
 サーシャの言葉に頷いて、トゥールはその場に座る。
「ごめん、リュシア。ペース速かったみたいだ。」
 リュシアは首を振る。セイがトゥールを小突いた。
「しっかりしろよ。」
「うん。」
 トゥールはそう言いながらもどこか気がそぞろな様子だった。
「…もう、平気。」
 リュシアが立ち上がる。持っていた水をしまいこんだ。
「大丈夫か?」
 リュシアはこくんと頷く。それに応えるように三人も立ち上がった。
「じゃあ、もう少し頑張りましょう。きっと頂上は綺麗な景色が見られるわ。」


 空近く、風が強い。
 徐々に草木も消え、ほとんどむき出しの土ばかりになった頃。トゥールを取り巻く沈黙はより 重いものとなっていた。
「トゥール?」
「う、うん、なんでもないよ?…もうすぐ、火口だね。」
 ぎこちなく山を登るトゥールに、サーシャはため息をついた。
「…三個。」
「は?」
 セイの奇妙な声を出すが、トゥールは何か分かったのだろう、若干怯えたような顔すら見せた。
「私は三つ見つけたわ。枝にくくりつけられたロープと、地面がえぐれたところと、木の切り傷。」
 サーシャの言葉に、トゥールは暗く答える。
「…岩にも傷があった。多分剣でつけた傷だ。戦いの痕だと思う。」
「あら、じゃあ四つなのね。」
「…父さんは、やっぱりここに来たんだ…。」
 トゥールはそれだけを言うと、すでに間近に迫った頂上へと足を動かす。…そして、登りきったところで息を呑んだ。


 濃い戦いの痕。
 焼けた大地。崩れた石くれ。足跡さえ残っていてもおかしくないような、8年前の激しい戦いの痕がくっきりと残されていた。
 一度吐き出した毒というのは、もう飲み込めないものなのだろうか。トゥールはついつい、毒を口にしていた。
「…馬鹿だな、父さんは。こんなところで一人できてさ。ガイアの剣もなかったのに。何しに来たんだ。 それで、なんで死んじゃったんだろ。本当に馬鹿だな。」
 トゥールは、両手をぐっとにぎりしめ、それをにらみつけた。
「そんなこと言わないでよ、トゥール。魔王の居るネクロゴンドに近いここに、おじ様は私たちの知らない何かが あることをご存知だったのかもしれないでしょう?」
「だって、結局落ちて死んでしまったんだ。…死んでもいいなんてそんな気持ちでたった一人で旅になんて出るから、 こんなところから落ちてさ!」
 どこか恨みを叫ぶようにトゥールは声を上げた。そんなトゥールは見たことがないリュシアは息を呑み、セイは 先日の夜を思い出した。
 だが、サーシャは驚くほど冷静だった。ため息交じりで、いつものようにトゥールに言う。
「そんなわけないじゃない、馬鹿トゥール。おじ様は何が何でも死にたくなかったはずよ。」
「そんなわけないよ、サーシャ。父さんは僕が勇者の素質があるって知って、旅立ったんだ。もし、自分が 死んでも僕がいるって思って…それって死んでもいいって思ってたってことじゃないか。」
 少しすねたように言うトゥールに、サーシャは目を丸くする。
「オルデガ様は…そんな風におっしゃっていたの?」
「…言っては、いないけど…、でもそういうことじゃないか!」
 自分自身の感情がここまで制御できないのは、初めてのように思えた。
 しかも相手は他でもないサーシャに。…いや、サーシャだからこそなのだろうか。
「…私は逆だと思っていたわ。」
 サーシャはそれに対して、本当に静かな感情を湛えた目をしていた。
「おじ様は、トゥールが勇者の素質が分かって旅立ったと思っていたわ。 でもおじ様は自分自身の手で、魔王を討ちたいと思っていたと思っているわ。 …勇者になって欲しくなかったから。…自分の子供に自分と同じように戦いの世界に身を置いて欲しくなかった。 傷ついて欲しくなかった。…私はそう思ってたわ。」


 なにやら予期せぬ妙な雰囲気にわけが分からずおろおろしているリュシアを、セイは安心させるように 背中を優しく叩く。
「大丈夫だ、リュシア。いい機会だからトゥールに吐き出させてやれ。」
 リュシアは戸惑いながらセイを見上げる。セイはリュシアに不敵な笑みを返した。それを見て リュシアは小さく頷く。
 誰にでも、闇はある。リュシアはそのことを知っているのだから。


 トゥールの動きが固まっていた。それでも、どこか自分の中の子供の部分が認められないと言葉を搾り出す。
「…そんなの、サーシャにわからないじゃないか。」
 サーシャは少し困ったように笑う。
「…私、おじ様に会ったら謝りたかった。ごめんなさいって。私がもうちょっと早く生まれていたら、おじ様は一人で 旅立たなくても良かったはずなのにって。」
 ”…だから、まだ幼いサーシャとサーシャのお母さんを引き離せなかったんだと思う。”
 トゥールの言葉をセイは思い出す。どうやらトゥールも思い出したらしい。
「…でもそれは、父さんが決めたことだから…。そうだよ、だから、父さんは、勝手に一人で ここまで来たんだ!」
 ダダをこねるように言うトゥールに、サーシャは優しく話す。
「だから、ごめんなさい、トゥールの言うとおりよ。私には、トゥールの気持ちもオルデガさまの気持ちも分からない。」
 物心ついてからも、両親に愛されて育ったサーシャには、トゥールの『置いていかれた』気持ちは、 きっと本当にはわからない。ただ、サーシャにできるのは、サーシャにしかできないのは。
「でも、トゥール。トゥールの本当の気持ちはトゥールにしか分からないのと同じ、オルデガ様の気持ちは オルデガ様にしか分からない。おじ様がどんな気持ちで旅に出たのか…、今ちゃんと決めなくても いいじゃない。本人に聞いてみたらいいのよ。」
「…でも、サーシャ。父さんはここで戦って、火山に落ちたんだよ…?」
「違うわ。おじ様はここに来たらしいわ。そしてここには戦った痕がある。…でも、ここに本当におじ様が落ちたのか、 本当に命を落としたのかはまだ誰にも分からないわ。」
 毅然として言うサーシャに、トゥールは少しばつの悪そうに弱く口にする。
「それで、本当に死んでいたら?いつまでもずっと見つからなかったら?」
「そうして、またトゥールがオルデガ様の心が知りたいって思ったなら、今度また私やおば様に聞いたらいいのよ。 トゥールとはまた違う、オルデガさまの欠片を持っているはずだから。それでやっぱりオルデガ様が…トゥールの思っている 通りだと思ったなら、思いっきり墓前で毒づけばいいわ。」
 そう言った笑顔は、まさに神々しいものだった。すでにサーシャの顔に見慣れている三人が見とれるほどの美しさ。
 だが、その笑顔はやがて、いたずらっ子のような子供の笑顔に変わる。
「トゥールはまだまだ未熟なんだから、オルデガさまの気持ちが今、完璧に分かるわけないじゃない。」
(だから、今はまだ気にすることないわよ。これから成長できるんだから。)
 サーシャの口にしなかった言葉が、聞こえた気がした。
「…そうだね。ごめん、三人とも。」
 トゥールが微笑んだのを見て、そんな言葉にトゥールはずっと励まされてきたのだと、セイと リュシアは思った。


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