サーシャはベッドの上で、自分の無力さをかみしめるしかなかった。 (私、何もできない…。) ベッドの近くの荷物袋をちらりと横目で見て、ため息をつく。 光の玉を渡した安堵のせいか、その後すぐに竜の女王は苦しみ始めた。部屋の外で待機していたエルフ達が駆け寄って、 トゥール達を外に追いやりながら説明するには、陣痛だということだった。 …ただし、死の可能性が多分に高い。 「…なんでだ?そりゃたしかに出産ってのは命がけだが…。体が弱いのか?」 セイが唖然としながらも問いかけると、エルフは若干青い顔をこちらに向けた。 「竜の女王様は我々とは違います。ルビス様ご本人から力を授かった、れっきとした神であらせられますから。…長命で 多大な力を持つ神や精霊には我々とは違い、一つの枷があります。…それは繁殖ができないということなのです。 自分より弱小の部下を作ることはできても、自分を超える可能性を秘めた子孫を作ることができない。長命で 力を持った神や精霊が繁殖を行い、増えてしまってはこの世界の均衡そのものが成り立たないからだとおっしゃって いらっしゃいました。」 「でも、女王様は子供を…。」 「はい、その禁を犯してまで、これから女王様は子供が宿った卵を御産みになられます。…そしておそらく、その代わりに 命を落とすことになるとおっしゃっておられました。 …それでもなお、弱った自分よりは新しい子供の方がこの先の世界を守れるはずだと…。」 エルフは涙ぐんでいた。そして、こちらを見た。食い入るような熱い視線で。 「お忙しい中、勝手なお願いだと思います。ですがよろしければ、どうかこの城にご滞在いただけませんか?… そしてどうか、どうか女王様に…希望を…。」 その言葉に負け、トゥールはこの城に滞在を決めた。一人一部屋あてがわれたその部屋で、サーシャは ずっと瞑想していたのだった。 エルフのあの視線は間違いなく自分を見ていた。…おそらく、自分の中の『何か』を。エルフは何か知っているのだろうか。 竜の女王は何か知っているのだろうか。それは気になるけれど、それ以上に命をかけて 新たな命を生み出そうとしている竜の女王に、何かしてあげたかった。 けれど、自分は何もできないと知っていた。竜の女王が望んでいるのは、エルフの女性が望んでいるのは、 自分の中にいる『誰か』なのだから。 この部屋に来てから、ずっとサーシャはベッドに座り込み、自分の中の『誰か』に話しかけていた。生まれて初めての 経験だったが…答えはなかった。 そもそも、自分が『誰か』と話せたのは、テドンでの件一回だけ。 ”あれは、漂う魔の力を利用して、一時的に流れる血の力を増幅させ、擬似的に人格を作り上げているのです。” ”私が代わりましょう。あなたは下がりなさい。” 思い出せる。優しくたおやかな声だった。本当ならば逆らうなんて考えられないような安心感さえ秘めていて。それでも あんな風に切り捨ててしまったのは、自分のエゴのためだった。 (…あの時に『代わって』いれば…。) そう考えた瞬間、精神が悲鳴をあげた。泣きたくなりそうな恐怖。…それでも、それが女王にできる ただ一つのことなら、と体を震えを首を振ることで強引に忘れた。 (…でも、だからと言って、リュシアに同じことを、してもらうわけにもいかないし…。) ため息をつく。そしてもう一度祈るように手を組み、中に呼びかけた。 (お願いします。出てきて…、竜の女王様が貴女を、望んでいらっしゃるの…) …答えはない。 サーシャは立ち上がる。とりあえず頭を冷やそうと、扉を開けて廊下に出る。すると、真正面にあった窓から、外が見えた。 (あ…。) 見覚えがある人物を見かけ、サーシャは外へと足を運んだ。 黒い夜の中ですら、美しく輝くラーミア。その傍にサーシャは駆け寄った。 「トゥール!…何をしているの?」 サーシャがそう呼びかけると、トゥールは初めて気がついたように振り向いた。 「あ、うん、ラーミアって何か食べるのかなって思って。草とか果物とか差し出したら食べてくれるけど、多分必要 ないみたいだね。」 「そうね、神鳥だもの。…それにこの大きさで草花を食べられたら困っちゃうわ。」 サーシャがまじめにそう言うと、トゥールはくすりと笑って見せた。 「そうだね。…サーシャはどうしたのさ?着替えてもいないみたいだけど。」 トゥールがおそらく渡されたであろう、淡い青の上下を着ているのに対し、サーシャはいつもの服だった。 「…トゥール…、今、武器を持っている?」 サーシャの唐突な言葉に、トゥールは目をきょとんとさせる。 「え、うん、一応。剣は持ってるよ。外に出るんだし…。他にはないけど。」 「そう…。」 わざわざトゥールのところに来たのは、サーシャに一つの考えがあった。 自分の体に確実に『誰か』痕跡が残るのは、トゥールと触れ合った時だけだ。体に走る、快感と恐怖。 かつて、トゥールが気を使って体をマントで覆って触った時でさえ、本当は恐怖心を押さえ込むのが精一杯 だったのだ。 それほどまでに体を揺さぶる痕跡があるのならば、もし意図的に行った場合、『誰か』を呼び起こせないだろうか。 そう考えたのだ。 けれど、たとえ自分で決心したとしても、体が勝手に動いてしまうかもしれない。何より、たとえ武器が なかったとしても、呪文がある。今の自分には魔法使いの攻撃呪文もある。 悩みこんでしまったサーシャを、トゥールが不思議そうに覗き込む。 「どうしたのさ?」 「…私、何にもできない。」 そうここまで決意しても、体が恐ろしくて動けなかった。怖かった。女王様のために何かしなければと思うのに、 怖い。他のことは言い訳だ。トゥールと触れ合うことが怖かった。 「女王様は…きっと、私の中の誰かを、望んでいらっしゃるのに…。」 悔しそうに唇をかみ締めるサーシャに、トゥールは困ったように言う。 「うん、…確かにあのエルフの人も、サーシャを見てたね。」 「…何か、したいのに…。ずっと呼びかけてたのに答えてくれなくて…。いっそトゥールに抱きつこうかと 思ったんだけど…。」 「え?」 トゥールの頬はわずかに赤らむが、サーシャはそれに気がつかず、ただうつむいている。 「…やっぱり怖かった。私の中の『誰か』はどうしたら、出てきてくれるのかしら…。…『誰か』って…誰なのかしら…。 私は、本当に神の子なの…?」 「僕も、今それを考えてたところなんだよ。」 サーシャが顔を上げる。トゥールは少しだけ困ったように笑う。 「…ルビス様がここにいないなら、僕を勇者だと認めてくれたのは誰なんだろう?」 トゥールの言葉に、サーシャがハッと顔を見返した。
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