哀しいほどに塔は静けさを保っていた。あれほどまでにいたモンスターはすっかりなりを潜めていた。 以前ここを歩いたときには、モンスターが我先にとトゥールたちに襲い掛かり、それを四人で撃退した。 四人で。 トゥールは首を振る。今は前を、上を向くしかない。他の方向を見て、なんになるというのだ。 「ここだな。」 セイの言葉に、トゥールは前を見る。回転床の向こうの行き止まり。 「行こう。もうすぐだね。」 かつて、一人で洞窟を進んだことがあった。誰にも見放された気持ちになって。 でも今は違う。ここにはセイがいてくれて、宿屋ではリュシアが頑張ってくれている。 一人じゃない。暗闇に飛び込んでくれる仲間がいるのだ。 「……なんだよ。」 じっと見つめられ、セイは居心地が悪そうに聞く。 「いいやつだなぁと思ってさ。」 「…お前緊迫感ないなぁ。頭おかしくなったか?」 「ひどいなぁ。でもさ、うん、何とかなるんじゃないかって、そう信じられそうな気がするんだよね。 根拠はないんだけどさ。」 そう言って階段を登っていく後姿を、セイは見ながら思った。 この前向きさこそが、トゥールの勇者たるゆえんなのだろうかと。 ルビスの像があった祭壇は、今はしんと静まり返っていた。当然そこには何もない。 トゥールは、その何もない虚空に向かって呼びかけた。 「ルビス様、僕の声が聞こえますか?」 セイは横の壁にもたれかかりながら、その光景を見ていた。 「ルビス様、もし、僕の声が聞こえるなら、そしてそれが許されるなら、どうか僕の前に来てください。」 祈るようにそう呼びかえると、トゥールの目の前に光が集まりだした。 「サーシャ、会えた。また、会えた…。」 「リュシア、また会えるなんて思わなかった。嬉しい、本当に……。」 涙が流れて止まらなかった。それでも、そこまで言ってようやく我に帰る。 「……どうやって、どうしてリュシアがここに?だってここはルビス様の闇の中で、あの体の中には、」 「ルビス様がいらっしゃるの。知ってるよ、全部。教えてもらったの。」 すっと体を離したリュシアの目は、とても穏やかだった。 「どうして……?」 「トゥールがね、気がついたの。サーシャじゃないって。」 その時のサーシャの表情は、リュシアが今までに見たことのない表情だった。 まず驚きに染まり、それから嬉しさがあふれ、信じられないような困惑の目を映す。 「だって、どうして、そんなこと、あるわけない、あの体は同じものだし、中身だって……あ。」 それをさせた原因はなんだったのか、ようやく気がついたのだ。 「……今、私がここに存在するから……不完全だったのね……。私が、私のせいで……。」 「トゥールはルビス様じゃ嫌だって叫んで、ルビス様はいま、サーシャの体にいないの。」 「何をやってるのよ、トゥールは……。」 頭を抱えたサーシャを見て、リュシアはくすりと笑った。 「リュシアはね、だからサーシャがいるかもしれないって思って、こうやって会いに来たの。」 「そう、だったのね……ありがとう。最後にこうして、また会えて嬉しいわ。」 「……サーシャは、戻りたく、ないの?」 少し首をかしげてそう聞くリュシアの言葉に、サーシャはうつむいて口をつぐんだ。 その人は、いや、その神はちょうどトゥールの頭の上の方に浮かんでいた。 青く波打つ髪。どこまでも澄んだ青い瞳。こちらの方がずっとずっと人間離れした顔だけれど、 やはりこうしてまじまじみると、ルビスはサーシャに良く似ていた。 いや、逆なのだろう。サーシャがルビスに似せて作られたのだ。 「トゥール……お呼びいただけるとは思いませんでした。」 「僕も本当に来てくださるとは思いませんでした。ありがとうございます。」 「貴方がお呼び下さるなら、いつなりとも参りましょう。」 その言葉には確かに熱があり、横で聞いていたセイはおや、と思った。 長年の恨みつらみもある。その上人を種馬あつかいするわ、生まれてもいない子供を道具にするわで、 ルビスにはあまりいい印象が持てていなかった。 はっきりいって人でなし(事実そうなのだが)と思っていたのだが、少し考えが変わったのだ。 いや、人でなしは人でなしに違いないが、思っていたよりは人の心を持っているのかもしれないと思ったのだ。 「きっと、これが最後です。」 「……そうですか。トゥール、私がこのままで貴方の力となれることはそう多くはありません。私に、 何をお望みですか?」 きっぱりと言ったトゥールに、ルビスは寂しそうに言葉を返した。その言葉は、かつてサーシャの中に いたのとは違う、神様らしい話し方だった。 「サーシャを取り戻す方法を教えてください。」 直球でそういうトゥールに、ルビスはさびしげに眉を寄せた。 「まずは、そのことで詫びましょう、トゥール。私を助けてくださった貴方に、この世界を救おうとして下さっている貴方に、 私は恩を仇で返すような真似をしたのですね。」 トゥールは答えなかった。ただ、答えを待った。 「その上で申し上げます。私には何もできないのです。」 「本当ですか?」 トゥールのただ一言、しかし苛烈な問いにルビスは頷いた。 「……トゥール、貴方がサーシャを好いてくださっている事はわかります。そうなってくださって嬉しく思います。 その上で貴方に聞きます。」 空にいたルビスが、すうっとトゥールの前に降り立った。 「……私では、いけませんか?」
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