魂だけの存在でも、つばなどあるのだろうか。
 妙に乾ききった口の中が、痛いようにさえ感じる。
「……リュシア……それは、そんなことはありえないし……何よりも、それは私には言ってはいけない……言えない事よ。だって 私はその為に生まれてきたんだもの……。私は聖なる守りとなって、それで……」
 リュシアは何も言わずにじっとサーシャを見つめている。それはよく見慣れた光景だが、どこか責められているような気がして 後ろめたい。
「それに、真なる聖なる守りとなれば、今の私よりずっとずっと強力な魔力が使える。ゾーマにだって負けはしないわ。 トゥールや皆の力になるもの。その方がずっといいはずよ。」
 目をそらしながらのサーシャの言葉に、リュシアは躊躇いがちに言う。
「……でも、トゥールは、ルビス様と一緒には戦わないと思う。だから、もしそうなるなら、三人に、 なる。」
「それは……。」
 そうなれば、戦力ダウンだ。ゾーマに勝てるかどうか怪しくなる。
 それでもサーシャは、戻るとは言えなかった。そんなことを口に出す事は許されないと思っていた。

 長い沈黙だった。サーシャは語る言葉を持てなかったし、リュシアはどうしていいか分からずに悩んでいた。
「……悟りの書、読んだの。おもしろかった。」
 そうして、ようやくすべり出た言葉は、自分でもどこか場違いだと思えた。だが、サーシャは逆に 嬉しそうに応えてくれた。
「おもしろかったの?私にはすごく難しかったけど。」
「難しかったけど、頭の中に世界が広がって、それが解けていくようで、おもしろかったの。」
「リュシア、賢者になるの?」
 サーシャのその問いに、リュシアは少し考える。元々悟りの書を読んだのは、サーシャを助けるためだった。だが、 頷く。
「うん。なろうと思う。せっかくあるし。」
「そっか。いいと思うわ。……もし三人で戦うにせよ、賢者が一人いるだけでずいぶん違うものね。」
「ううん、いつかサーシャが帰ってきたら、賢者二人で戦うの。ゾーマと。」
 諦めたようなサーシャの言葉を、リュシアはきっぱりと否定した。ようやく否定できた。
「……リュシア。」
「還って来て欲しい。リュシアも、サーシャがいい。サーシャじゃないと嫌。」
 涙目でそう言われ、サーシャはうつむく。
「でも……。」
「……サーシャは嫌なの?できるとか、できないとかじゃない。サーシャの願いはなに?」
「…………私の、願い……。」
 それは、許されないこと、口に出してはいけないこと。ありえないこと。それでも、もしもできるなら。
「生きたい。……ちゃんと、自分の足で。戦いたい……皆と一緒に……行きたい。」
 切望ともいえるその望みを、サーシャはようやく口にした。


 トゥールは驚いてルビスの顔を見る。
 その顔には、美しい微笑が浮かんでいて、たとえば以前のリュシアのようなはにかんだ表情は見受けられない。
 それでもおそらく、その言葉は、あの時と同じ意味で。
「私はずっとトゥールを見守ってまいりました。封印の切れ間からですが、幼い貴方がりりしく成長していくのが、 私の楽しみでもありました。そうして貴方はここまで来てくださった。私を助けてくださいました。ずっとずっと 貴方を待っていた。愛しい、恋しいと思いながら、貴方に請われる日を夢見てまいりました。 その気持ちは、あなた方がいう『サーシャ』と比べても、遜色ないと自負しております。」
 そっとその手を差し伸べた。
「貴方だけをずっと見ていました、トゥール。貴方を愛しております。サーシャは還りませんが、私の中には そのサーシャの全てが息づいています。サーシャの代わりでもかまいません。…… 貴方の命が尽きるまで側にいるのは私ではいけませんか?」

 それは紛れもなく、愛の告白。それも静かでありながらも、思いきり情熱的なだ。側で見ていたセイも、これほどの熱烈な 告白は珍しいと思った。
 かつて、セイはこんなふうに、トゥールに告白する女を見たことがある。あの時の対応にけちをつけたことを 思い出した。
 今度はどう答えるのだろうか。
 ルビスに向かうトゥールは、かつてのあの時よりずっとりりしく見えた。男のセイから贔屓目なしに見ても、惚れ惚れ するほどだ。その前には、輝くばかりの人ではない女神がいる。それは、異質でありながらも、違和感はない。お似合いに さえ見えた。
 そのトゥールはあせりもせずに首を振った。
「ルビス様、僕はその想いに応える事はできません。貴方はサーシャに代わりにはなりません。」
「サーシャが二度と還って来なくても、ですか?」
 その言葉に、トゥールは怒りはしなかった。ただ、まっすぐにルビスを見た。
「はい。駄目です。」
「……私のことが、嫌いですか?」
「いいえ。」
 そう首を振ったことにセイは驚いた。かつて同じように振った時に罵倒したのと同じ展開になってしまう。思わず声を上げそうに なる。だが、トゥールの言葉の続きを聞いて、セイは思いとどまった。
「ルビス様は、二つの世界をお創りになった方です。この世全てを守り、慈しんでくださっている方です。この世界に生まれたもの 全ての誰が、貴方をお嫌いになるでしょう。」
「貴方も、私を想ってくださっていますか?」
「はい。ルビス様の事はお慕いしています。だから……僕はルビス様が僕にやらせようとしたこと、……この世界の 住人となることを引き受けてもいいと思います。……でも、その相手に、僕はルビス様を選べません。」
「では、どうしてですか?」
 振られた女性が誰しも問うその問いに、トゥールは微笑する。
「ルビス様、僕はもうすぐ17になります。」
「ええ、存じております。」
「ですから、もう母に恋する時期は終わりました。」
 そう言って、トゥールはとっておきの笑みを浮かべた。


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