さきほどまであった、安穏な気持ちが嘘のようだった。
 期待と不安。希望と罪悪感。また皆に会えるかもしれないという気持ちと、 そんなことは許されないと諌める気持ち。
 それはとてもとても苦しくて、もし肉体があったならば、涙が出ただろうと思った。
 それでも、その気持ちを与えたリュシアを恨む気にはなれなかった。
 このまま消えてしまったとしても、たとえその時の気持ちが安らかでなかったとしても、 自分は幸せなのだと思っていた。
 たとえ、許されなかったとしても。
「また、会いたい。」
 そう、つぶやいたときだった。
”サーシャ!!”
 そう声がしたことに驚きはしなかった。だが、その声の持ち主には驚いた。
「トゥール!?」
 サーシャは目を見開いた。迷いなく、トゥールに呼びかける。
「トゥール、いるの?……『私』はここよ!」
 すると、まるで亡霊のようにぼんやりした、だが確かにずっと会いたいと思っていた人物が少し遠くに浮かび上がった。
「……サー、シャ……。」
「トゥール……。」
 ずっと会いたかった姿をようやく見ることが出来たことが信じられず、二人はただ、無言でみつめあった。

 まるで時が止まったように、お互いに固まっていた。それからようやく我に返り、トゥールはサーシャの元へと 駆け寄った。
 ガン、という硬い音がして、トゥールの動きが止まった。
「……なんか、痛い気がするんだけど……なんだこれ?」
 冷たくもないが、どこかガラスのような感覚の壁が、二人の間に立ちはだかっていた。
「どうして?さっきまでこんなものなかったはずよ。リュシアは、私の側に……。」
 唖然としながらも、その壁を撫でてサーシャはそこまで言って気がつく。
「……ルビス様が、お許しにならないからね……。」
 リュシアは、自分に会いに来てくれた。だが、おそらくトゥールは自分を迎えに来たのだろう。だからこそ、 ここに壁がある。自分の役割を破棄しないために。
「そんなことは!」
「迎えに来てくれたんでしょう?嬉しい、凄く嬉しい。本当に、他には何もいらないくらい。私は幸せ。だから…… トゥール。貴方は立派な勇者だわ。ルビス様と一緒にどうか世界を救って。」
「嫌だ!!」
 即座にそう怒鳴られ、サーシャはびくっと体を下げる。
「嫌だ嫌だ嫌だ!絶対に嫌だ!僕はサーシャを連れて帰る!!」
「だって……。」
「僕がどんな想いして、ずっとどんな想いをしてたと思ってるんだよ!!」
 そう叫ばれ、サーシャは力なくつぶやく。
「……ごめんなさい……。でも、私には、やっぱり許されない、持って生まれた使命に反することなんて、 誰にもできないの。」
「そんなことない!だいたいそれを言うなら、サーシャは僕と、僕達と一緒に戦うために生まれてきたんじゃないか!!」
「トゥールの馬鹿!トゥールは勇者なんでしょう?勇者になりたかったんでしょう?なら、魔王に向かって 行きなさいよ!真実の、聖なる守りと、ルビス様と魔王を倒して、もっと立派な真の勇者に……。」
 そう言って、サーシャは止まった。言われたトゥールが、驚くほど嬉しそうな顔をしていたからだった。
「……サーシャ、覚えてる?僕には二つ夢があるんだ。一つは勇者になって、この世界を救うこと。父さんのように。」
 それは、あの遠い日。賢者になる前日に、トゥールがサーシャに言っていたことだった。
「……うん。」
「もう一つの夢は、母さんの夢。いつか平和な世界に、家庭を持って、いいお父さんになりたいんだ。子供とたくさん 遊んで、休日には手作りの料理を皆に振舞って。毎日仕事してくたくたになって家に帰って、それでも笑顔で 迎えてくれる家族と、晩御飯を食べたりしたい。……母さんはずっとそうしたかったはずなんだ。」
 壁に広げられたトゥールの両手が、とても広いことにサーシャは気がつく。それがとても男の人を 想像させ、なんだかどきどきした。
「僕は、その相手はサーシャがいい。ルビス様じゃない、サーシャだ。ずっとサーシャと一緒にいたい。 真実なんて、どうだっていいんだ。だって、それが真実なんて僕は知らない。 僕にとっての真実は、サーシャがずっと僕の側にいてくれた。それだけなんだから。」
「トゥール……。」
「人は辛いよ。醜くて、嫉妬して、痛い想いをして。創世神の方がきっとずっとずっと楽だと思う。 それでも、横暴かもしれないけど。僕は、サーシャに側にいて欲しい。」


 もしこの壁がなければ。サーシャはそう、切実に思う。
 手を伸ばしたい。今度こそ、トゥールに触れたい。まっすぐな目でこちらを見つめてくるトゥールに。けれど。
「……この壁が、それを許されないって言っているわ。ルビス様の意思に反する事だって。私……。」
「違うよ、サーシャ。」
 トゥールは首を振る。
「前に、リュシアから聞いた。エリューシアが外に出てるとき、リュシアもこんな風に閉じ込められてた。この 壁を作ってるのは、サーシャだ。」
「私……?」
「サーシャが許されないって思ってるから、僕を通してくれないんだ。でも、サーシャ、ルビス様は きっととっくにサーシャのこと、許してくれてると思う。あ、ほら。」
 トゥールが手をかざすと、そこに光が生まれた。鳥のレリーフが施されたプレート。
「……これは……ラーミア……私。聖なる、守り……。」
 それに触れようと、手を伸ばす。そして、そっとその光のプレートを手のひらで包み込んだ。
 頭に声が響いた。慈愛に満ちた、優しい声が。
「……あ……。」
 聖なる守りは消える。そして、そのサーシャの手を、今度はトゥールの手のひらが包む。
「還ろう、サーシャ。」
「うん。」

 そして二人は、手をつないだまま、ゆっくりと歩き始めた。



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