壁の向こうから、サーシャの泣き声が聞こえた。
「……還ってきたんだな。」
 その声を聞いて、セイが感慨深げに言う。リュシアもそれに頷いた。
「行くか?」
 セイは立ち上がってそう言うが、リュシアは首を振る。
「なんでだ?」
「二人きりの方が、いいと思う。トゥールが心の中に、入れたなら……。」
 きっと二人は恋人同士になったのだと。助け出された囚われのお姫様は、勇者様に恋をするものなのだから。
「そうか。まぁいつでも会えるしな。」
 セイはリュシアの意思を尊重して、そう言って笑った。
「……リュシア、そろそろ寝ようかな……。明日、ダーマに行く。」
 そう言ってリュシアは立ち上がり、背を向けた。肩から毛布が滑り落ちる。セイは急いでそれを拾い上げ、 自分の肩にかけた。
「……寂しいのか?」
 セイの言葉にリュシアは肩を震わせた。
 二人がくっついてしまうこと。
 トゥールに対しての、まだ残る想いもある。だが、それ以上に今まで三人でいた時間がもう還ってこないこと。 トゥールと二人で、夜お伽話を聞いたことや、寂しくて一緒に寝てもらったこと。 リュシアだけのものだった色んなトゥールがもう二度と見られないこと。
 もちろん、二人はリュシアをのけ者にしないだろう。それでも、今までの楽しかった時間が、今後変わってしまうことが 寂しかった。二度とあんなことが出来ないことが寂しかった。
「少し。嬉しいの、でも、……ちょっとだけ寂しい。」
 セイは小さくため息をついた。出て行こうとするリュシアを、背後から自分ごと毛布で軽くくるむ。
「そんなに寂しいなら一緒に寝てやろうか?」
 その言葉に、リュシアは一瞬肩を震わせ、やがて無言で首を振った。
「……そうか。」
「……平気だから……。」
 するっとセイの腕から逃れ、リュシアはそのまま部屋を出て行く。
 ぱたぱたと離れていく小さな足音を聞きながら、セイはもう一度ため息をついた。
「やっぱりまだ、トゥールの代わりにもなれねぇか……。」
 …………ぱたぱたぱたぱたぱたぱた。
「ん?」
 遠ざかった足音が、また近く、早くなっていく。そして戸が開いた。
 ちょこん、と顔だけを扉から覗かせたリュシアの顔は、なぜか真っ赤だった。
「あ、あのね。」
「ん?」
「あ、ありがと!おやすみなさい!!」
 ぱたん。ぱたぱたぱたぱたぱたぱた……
 戸が閉められ、またしても足音が遠ざかっていく。
「なんだ?熱でもあるのか?」
 突然の行動に、セイはそうつぶやいて、そうして自分の口を押さえてうずくまった。
(さっき、俺、なにしてるんだよ!)
 せめてもトゥールの代わりにと、他意は一切なかったと誓えるが、はたから見たらそれがどういうことなのか。 それはかつて、ポルトガの宿屋で自らが証明しているではないか。
 毛布にくるまれたリュシアの後ろ姿を思い出して、耳は赤くなかっただろうか?
 そうして。その時はなんとも思っていなかったリュシアが、顔を真っ赤にしていたということ。こうして、 おやすみなさいと言ってくれたこと。
 トゥールとは違う。トゥールの代わりにはなれない。けれど、またそれとは違う別の場所にあること。
 自分はいつの間にか一人の男性だと認められていて。逆に自分は、 旅をするうちにそんな感覚を磨耗させていたというのに。
 その上、あんな風に、自分を気遣ってくれたこと。
 なんだかなにもかも吹っ飛んで、嬉しい気持ちでセイは胸の鼓動を抑えることができなかった。


 すぐ目の前に、その人の顔があった。
「サーシャ!!」
 その声にトゥールはぱちっと目を開け、サーシャを抱きしめた。もう、あの貫くような快感はない。けれど、そんなもの よりも、その体の感触、匂い、体温、全てが心地よい。
「良かった、サーシャが還って来てくれた。サーシャなんだよね?ずっと僕達の側にいたサーシャなんだよね?」
 力の限り抱きしめるトゥールの問いに、サーシャは小さく頷く。
「……お帰り。」
「ふ、う、う、うわああああああああああああああああああ。」
 トゥールの優しい言葉に、サーシャの目から涙がこぼれた。
 嬉しかった。迎えてくれたこと。迎えに来てくれたこと。
 哀しかった。ルビスの加護から離れ、裏切り、こうしてここに来てしまったこと。
 怖かった。こうして、一人でここにいることが。
 全ての感情が入り混じったその嗚咽を、サーシャはずっとこぼし続ける。

 かつて聞いたことがある。
 あの時、たった一人で生きようと、あの崖の上で泣き叫んでいたあの声と同じだった。
 トゥールがサーシャを好きだと思った、守りたいと思ったあの時と同じ。
 それは産声。
 生きるために、戦うためにあげる、弱く、たくましい声。
 それが、痛ましくて、嬉しくて。トゥールは力強く抱きしめ続けた。


 ようやく、サーシャの涙が収まってきた。トゥールはサーシャの髪を撫でながら、優しい声を出す。

「……ごめんね。今までたくさん傷つけて苦しめて、何も出来なかった。」
 サーシャは首を振る。
「そんなことない。私がトゥールが、トゥールが私に色々言ってくれたから、今ここにいるの。トゥールのおかげよ。」
「ううん。僕はずっと謝りたかった。僕のせいで、ずっと怖がらせた。ちっとも気がつけなかった。サーシャが怖い思いを したのは、全部僕のせいだよ。何も出来なかった。」
 その言葉に、サーシャはくすりと小さく笑う。
「馬鹿ね、トゥールに何かできるわけないじゃない。ルビス様がトゥールが生まれる前からずっと計画していらしたのよ。」
 その言葉にトゥールが笑う。
「あはは、いつものサーシャだ。嬉しいな。」
「悪趣味ね。あのルビス様を振るなんて。」
 冗談めかして言うサーシャの言葉が嬉しくて、トゥールは笑う。
「仕方ないよ。僕は生まれる前から『勇者』だって言ってくれたルビス様よりも、『勇者じゃない』 って言ってくれたサーシャの方がいいんだからさ。」
 そう言ってトゥールはサーシャの髪にほおずりし、肩をしっかりと抱きとめる。
「気持ち良いな。セイが言ってたの本当だったんだ。」
「……もう、あの感覚はないと思うわよ……、ちょ、ちょっとトゥール?」
 トゥールはサーシャの耳にキスをし、頬にキスをし、そのまま首筋に唇を伸ばす。
「ちょ、ちょっと待って、何をするのよ!」
「待たない。」
 トゥールは強い口調でそう言うと、そのまま首筋にキスをする。
「今までどれだけ待ったと思ってるのさ。僕はずっと……」
「待ってってば!!!」
 サーシャはトゥールを蹴り飛ばした。


 思わず蹴り飛ばされ、顔を上げると、顔を真っ赤にして体を抱え、大きく息をしているサーシャがいた。
 高ぶっていた気持ちが冷め、かなりバツの悪い想いをしながら、トゥールは頭を掻く。
「えっと、あの、……ごめん。ちょっと止められなくて。」
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!!」
「あ、うん、ごめん。……えっと、サーシャは、僕のこと、その、嫌い?」
 それは、あの中でリュシアにも聞かれたこと。あの時はどう答えればいいか分からなかったが、今のサーシャは すかさず怒鳴り返した。
「知らないわよ、わからないわよ、そんなこと!!だって、私、今生まれたばっかりなんだもの!」
「えっと……。」
「今までのトゥールへの気持ちが、ルビス様に作られたものなのか、 それとも私自身が想っていたのかわからないんだもの!!」
 自分は、トゥールの側にいるために作られたものだった。だからこそ、今までのトゥールへの気持ちが、果たして 機能なのか、それとも違うのか。誰にも答えなんて出せない。それは、トゥールにも失礼な気がした。
「今までずっと、ルビス様の胎内にいたようなものよ、今、さっきようやく生まれたんだもの。……だから、 ちゃんと答えが出せるまで待って欲しいの。……。駄目?」
 真っ赤な顔で下から見上げるようにそう言われ、大分頭が冷えてきたトゥールは言葉を吐く。
「……えっと、つまり僕にあと17年くらい待てと。」
「そんなには待たせないわよ!!」
 サーシャにすかさずそう返され、トゥールは少し意地の悪い笑みを浮かべる。その笑みの意味に気がついた サーシャは、再び顔を赤くした。
 これでは好きだと、いつか応えると言っているようなもので……。
「待つよ。」
 はっと顔をあげると、トゥールが優しい笑みを浮かべていた。
「サーシャが応えてくれるまで、10年でも、20年でも。……それに忘れてた。僕は勇者だったんだ。魔王を倒すまで そういう気持ちは忘れないとね。ずっとその為に僕は黙ってたんだから。」
「……ありがとう。」
「でもサーシャ、一度だけ、もう一度だけ……抱きしめてもいい?」
 真顔でそう言われ、サーシャはしばらく迷った後にちいさく頷いた。
 トゥールはゆっくり近づいて、優しくサーシャを抱きしめる。
”まーな。女の感触ってのは独特だよな。まして好きな女ならなおさらだ。髪とかさらさらだしな。”
 セイがそう言ったとおり、あんな変な感覚よりも、もっと気持ちよく、酔えるほど芳しい。
 トゥールはそっとサーシャから離れて立ち上がる。そうして手を差し伸べた。
「サーシャ。僕は勇者トゥールとして、これからゾーマを倒しに行くんだ。……一緒に戦ってくれますか?」
「はい、トゥール。命をかけて、貴方とリュシアとセイを守り、一緒に戦うことを誓うわ。」
 迷いなくサーシャは立ち上がり、トゥールの手に手を重ねた。


 聖なる守り編終了です。トゥールがかっこよかったり、唐突にかっこ悪かったり。トゥールを「普通の 少年」だと決定したときから、この暴走は絶対にやらせようと思っていました。うん、トゥールごめんなさい。
 それより年上の分際で、セイはまぁあんな感じで。好きは好きだけど、ずっと一緒にいて、そういう感覚が ちょっと鈍ってたんですな。まぁ、野営とかもありますしね。リュシアは大人になりました。 このぱたぱたぱたぱた……もぜひともやりたかったものです。おかげて長くなりました。すみません。

 次回はすでにリュシアの転職は終わって戻ってきている場面から始まります。よろしくです。

前へ 目次へ トップへ HPトップへ 次へ
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送