〜 微熱の向こう側 〜



 トゥールは料理が下手だ。というと若干の誤解をまねく。
 下手だと言うわけではない。勇者となると誓って以来、野営のことを考えて訓練を重ねてきた。また外で 働いてきた祖父にも様々な料理を教わってきたため、野営の料理は四人の中で一番手際よく上手い。
 だが、逆に台所での料理となると、妙にぎこちない。家の台所は母の聖域であったために触れることがなかった。 船を手に入れてから何度も料理をしたが、どこか雑な仕上がりになる。
 まして、飲食店の娘として育ったリュシア、11の頃より家の家事を担ってきたサーシャ、集団の下っ端として 料理の小間使いの経験もあり、一人生活が長いセイと比べると、ぐんと繊細さや味が落ちてしまうのだった。
 そんなトゥールが、ラダトームの宿屋での厨房で作っている料理は、至極簡単な野菜スープだった。
 薄く切った肉をよく炒め、にんじんやじゃがいも、キャベツやきのこといった野菜を細かく刻み、鶏の骨のだしと一緒に 煮込んで味をつけた。
「…こんなものかな…?」
 暗闇の中でどうやって植物が成長しているのか気になるが、どうやら味はほとんど上の世界と同じのようだった。たまに 見たこともないような食材や調味料があってびっくりするが、トゥールは慎重に味見をして、なんとか覚えのある 味に仕上げた。
 なべから器に移し、こぼれないように運ぶ。扉の前に立って小さくノックした。
「…僕だよ、入るね。」
 できるだけ音を立てないように中に入る。そこには小さなベッドが二つ。一つは空で、もう一つには…リュシアが 寝ていた。

   リュシアは風邪で倒れた。急いで医者に見てもらったが、疲れが出たのだろうと言われた。
 トゥールはそれは当然だと言って笑ってくれた。
 トゥールはいつもそうだった。
 昔から、こんな風景をよく見ていた。熱が出ると、トゥールの家に預けられたり、そうでなくても見舞いに来てくれていたから。
 熱の向こう側に見える、トゥールの顔。
 あえて弱音を見せてまで気遣ってくれるトゥールの優しい目。
 熱で弱気になったリュシアは、いつもそれに元気付けられ、力付けられていた。
 かつては、それを愛情だと思って…いや期待していた。
 けれど、今ならわかる。その目に込められている、感情は…。
 リュシアはむっくりと起き上がり、スープを一口飲んだ。そのスープは、ルイーダがよく作っていたものだと分かった。
 まだ暖かなスープは、喉に詰まった。
 目から涙がこぼれる。もう、スープは飲めそうになかった。


 それは、おそらく地上でならさんさんと日が差し込める昼前のこと。
 サーシャは困惑していた。ぐつぐつ煮えるなべの前で。
「…どうしよう…。」
「なんだ、どうした?」
 ひょいっと顔を出したのはセイだった。おそらくサーシャが作ったのであろうなべを覗き込む。
 そこにはトマトスープとにんにくでしっかり煮込まれた魚介類の鍋だった。赤い汁の隙間から覗く材料は、時折 見たこともない魚もあるが、とてもおいしそうだった。
「うまそうだな。」
「そう、ありがとう。…でも、…これをリュシアに持って行くのは…。」
「は?」
 思わずセイの時が止まる。リュシアは一昨日から過労からくる風邪で寝込んでいる。食欲がないらしく、 なんとか水分だけを取らせている。
 たしかにサーシャの料理はおいしそうだが、ボリュームたっぷりなその鍋は、そんな病人にはふさわしくないだろう。
「…リュシアのために作ったのか?」
「…風邪を引いた人になにを作ればいいのかわからなくて…、父さんが寝込んだときにはいつもこれを食べたいって 言ってくるからとりあえず作ったんだけど…やっぱり違うわよね…。」
「作る前に気がつけよ。」
 セイのまっとうな突っ込みに、サーシャは頭を下げる。
「…本当にそうよね…。」
「お前が寝込んだときに食べたい物でも作ればいいんじゃねぇの?」
 セイの言葉に、サーシャは困惑した表情を浮かべる。
「私、病気したことないから分からないのよ。」
「ないのか?一度も?!」
「少なくとも、物心ついてからは覚えがないわ。親からも聞いたことがないし…。」
 驚いているセイに、サーシャは苦笑する。
「それはそれで自慢なのだけれど。父さんはサーシャは神の子だからだって言ってたけどね。…でもこんな時困ってしまうわ。」
「というか、病気のときにそれを食べたがる親ってのもすごいな…。」
 そう言ってからセイは思い出す。結婚式の時には、温和そうに見えたサーシャの父だが、初めて会ったときには蹴倒された のだった。
「父さんの好物なのよ。……やっぱり作り直すわ。もうちょっと食べやすいリュシアの好物ってなんだったかしら…? 良かったらこれ、食べて。」
 サーシャに鍋を手渡され、セイは思わず受け取る。しばらく考えるが、ちょうどカンダタへの差し入れを探していた セイはちょうどいいか、と思いながら厨房を後にした。


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