精霊のこどもたち
 〜 それは崩壊した月の都 〜

 夜も更けていた。読みふけっていた書物から、ルーンはやっと目を離した。
 ムーンブルクはここから西南に歩いて半日。そろそろ寝ないと明日が辛いだろう。そう思って立ち上がり、読書と 今日の戦いで固まった筋肉をほぐすため、背伸びをしたとき。
 宿屋の外から荒い息使いが聞こえた。ルーンは外をのぞく。それを見かけると、ルーンは一目散に宿屋の外に出た。
「レオンー、ずっと練習してたのー?」
 レオンはひたすら剣を振っていた。裸になった上半身には汗が滝のように滴っている。ルーンの声を 聞いて、剣をおろして座り込んだ。
「お前、まだ起きてたのか。」
「レオンこそー。疲れてないの?明日、早いんだよねー?」
 ルーンはそういいながら、水とタオルを渡す。レオンは汗をぬぐいながら手渡された水を飲んだ。
「まぁな、でもまぁ、これやらねーと眠れねえし。もう寝るぜ?」
「えらいねー、レオン。そんなに強いのに、毎日訓練やってるなんてー。」
「こういうのはちゃんと毎日鍛錬しねーとなまっちまうからな。それに…俺なんかまだまだだぜ。」
 レオンが、謙虚なことを言うのは珍しく、ルーンは少しおかしかった。
「あはははー、レオンがそんなこというなんて、すごいねー。もっとすごい人が、ローレシアにいるの?」
 その言葉に、レオンはにやっと笑う。
「いや、ローレシアじゃ俺は負けなしだぜ。…ただ、たった一人一度も勝てなかった人がいた。俺が今まで生きて出会った中で 一番尊敬する人だ。」
「すごいねー。レオン、対戦して負けちゃったの?なんて人?」
 ルーンにそう問われ、レオンはじっとルーンの顔を見て言った。

「…フェオだ。俺が4つの頃初めて対戦して、それから何度対戦しても一度も勝てなかったな。」
「へー4つの頃からなんだー。ずいぶん昔なんだねー。強い人だった?」
 あっけらかんというルーンの顔を見て、レオンはため息をついた。そして、空を見上げる。
「ああ、すごかったな。…ちょっとお前に似てたよ。魔法も剣も使えてさ。特に癒しの呪文が得意だった。その時は 木刀だけだったけど、鮮やかに動いてさ、すばやかったし、強かったよ。」
「その人は、今いくつなの?」
「あ?ああ…よく覚えてね―けど…30は越えてたはずだぜ。少なくとも、もうとっくに精霊のこどもじゃなくなってるはずだな。」
「ずいぶん年が離れてない?それじゃ、勝てなくても当たり前なんじゃないのー?」
 その言葉に照れたようにレオンが言葉を返す。
「でもなあ、俺、それまで負け知らずだったからな。なんつーか、みんな負けてくれてたことに気づかなくてな、 馬鹿だったよな、俺。で、未だにイメージトレーニングしても、勝てる気がしねえんだ。」
「へー、って。あれー?精霊のこどもって事は、フェオさんって人、ロト王家の人なのー?」
 首をかしげるルーンの顔を見ず、レオンは立ち上がる。
「やっぱ知らなかったのか、お前。…人にはいわね―方がいいぞ。今となっちゃロト三国最大の禁忌だからな。」
「…禁忌…?」
 首をかしげるルーンの体を引っ張る。
「おら、とっとと寝るぞ!明日はムーンブルクに行くんだからな!!」


 徒歩で半日。そういうのは簡単だが、実際は…
「っかしいな…そろそろ着くと思うんだが…」
「おかしいねー。お城、見えてもいい頃なのにー。」
 歩いても歩いても、城が見えなかった。
「そういえば、僕歩いてムーンブルク行くの初めてだよー。」
「俺だってそうだよ。っち、やっぱ馬とかあったら便利なんだけどなぁ。」
 お互いムーンブルクに来たことは、それほど多くない。大陸を隔てていること、公式行事がそれほど行われなかったことが 原因だが、それでも兄弟国として、レオンたちは何度かこの城へ来ていた。だが、それは王子としての 訪問であり、たいてい馬か馬車を利用していたのだ。
「駄目だよ、モンスターに襲われちゃうよー?」
「だな、ちくしょ、まだつかねーのかよ!塔ですら見えやしねえじゃねーか!!」
「落ち着いてよ、レオンー。すぐ…。」
 そこまで言って、ルーンは表情を変えた。
  「…見えたよ、レオン。…あれが、ムーンブルクだよ…」
 そう指差した方向。いまだレオンには何も見えなかった。だが、歩いていくうちに、なぜルーンの表情が曇ったか、 レオンには分かった。
 シンボルタワーともいえる尖塔がない。崩れ落ちている。かつて王の居住空間であった最上階も、綺麗になくなっている。 残っているのは一階部分だけだった。それも壁があちこち抜け、すでに建物としての体裁はない。
 城跡地の周りには毒の沼地が広がり、訪れる人全てを拒んでいた。
「行こうぜ。」
「うん。」
 言葉少なに二人はムーンブルクの城へと足を踏み入れた。

 美しい庭園だった場所は見る影もなくモンスターに荒らされ、庭師が丹精こめて作り上げた花たちが、 地面に落ちて腐っていた。
「ひどいね・・・」
「ああ、これほどとは思わなかった。」
 モンスターの死骸と、その三倍もの人の死体。すでに腐乱し、人とは思えないほど膨れ上がっている。 食いちぎられているものもあり、悪臭が立ち込めていた。
 二人はできるだけ遺体を踏まないようにと歩いているうちに、ぐるりと庭を遠回りしていた。
「くそ…入り口はどこだよ…」
「入り口じゃなくても良いよ、どこか入れるところないかなー?」
 周りを見渡してぐるぐる歩いていたとき、レオンがけつまずいた。

「なんだ?」
「レオンー、みんなを踏んじゃだめだよー?」
「…いや…なんか変な石だ。なんだこれ?」
 レオンが見せたのは、ピラミッド型の石だった。かなり古いものらしく、角は丸くなっており、ところどころ かけている。かすれているが、何か文字が掘り込んであるようにも見える。
「なんか…ちょっと光ってねえか?」
 そして、その石はほのかに…よく見ないと気がつかないほどであるが、陽の光の反射ではない光をぼんやりと放っていた。
「レオン、ちょっと見せて?」
 ルーンの手に、石を乗せる。ルーンは陽にかざしたり、裏返してみたりしている。
「なんだ、それ?」
 レオンは話し掛けるが、ルーンはまったく聞いていない。かすれた文字の解読に夢中になっている。
「おーい、ルーン?」
 ぶつぶつとつぶやく言葉は、魔法用語のようであり、レオンにはさっぱり分からない。
「うぉーい、ル―――――――ン?」
 レオンの言葉は、ルーンの耳にまったく届いていないようだ。ルーンはのんびりしているが、何かに夢中になると 周りのことを一切遮断してしまうきらいがあった。
 そしてレオンはそのことを熟知していた。少し待とうかとも思い、 周りを見渡したりもしてみたが、我慢の限界はすぐに来た。
 ルーンの耳をつかんで耳元で怒鳴る。
「おい!!ルーン!!!とっととリィン探しに行くぞ!!!」
 その言葉で、ルーンは顔をあげた。
「うん、そうだよね。行かなくちゃ!」
「よし、とっとと行くぞ!」
 ルーンは石をカバンにしまいこむと、また庭の死体を避けながら、入れる場所を探し始めた。

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