精霊のこどもたち
 〜 光と闇と 〜

 二人がムーンペタについたのは、空が紺に染まる直前だった。
「まだいるかな…」
「誰かに飼われてたりしねえよな…」
「それはないんじゃないかなぁー。でも、もし別の犬だったら大変だよねー。」
「…ち、めんどうくせえな…まぁ、とりあえずやるか。」

 そうして、以前犬と出会った広場につく。人の姿はまばらで、閑散としていた。
「リィーン。いたら出てきて―。」
「おーい、とっとと出て来い、帰っちまうぞ!」
 広場にこだまする声を自らで聞きながら、きょろきょろと周りを見渡すことしばし。
「あ、いたよ!」
 建物の暗闇に隠れるようにして、確かに昼間に見た犬が座っていた。
「リィン?」
 駆け寄りながら、ルーンが犬に話し掛ける。犬はそのまま歩き出し、建物の裏へ足を運んだ。
「…もしかして、違うのか?」
「とりあえず、ラーの鏡を使ったら分かるよー。」
 あとを追いかけると、一目につかない裏路地で、犬はこちらを向いて座っていた。 まるで待っていたかのように。
 建物の裏手で大人しく座る犬に、レオンは鏡を向けた。


 閃光が、鏡から発せられる。そして、その鏡に映るものは、犬ではなく、この世のものとは思えないほど、 美しい少女だった。
 光は犬に集い、その形を変えていた。レオンの手の中の鏡が音もなく砕ける。
 ふわりと紫の髪が腰の上で揺れた。髪先の曲線がなんとも麗しい。
「リィン…だ…」
 あまりにも人間離れした美貌だった。白い肌にバラ色の頬が美しく映える。ルビーのような赤い唇と 同じ色の瞳が人の心を釘付けにする。完璧なまでに整った顔立ち。絵画の精霊でさえかすんで見えるほどの、 輝くばかりの美しさ。はじめて見た人間は、そろってその現実離れした美貌に目をこすり、次に目を見開くのだ。
「ああ…元の姿に、戻れるなんて…」
 銀でできた鈴のように美しく響くその声も、ゆっくりと立ち上がるその動作も、美しかった。
「もう、ずっとあのままかと思っておりましたわ…」
 赤の瞳に涙を浮かべ、そっと二人に近づいた。
 そのリィンの細い体を、ルーンは思わず抱きしめていた。

「…ルーン?」
 リィンの声は、どこか情感にかけていた。
「…リィン」
 その体は温かくて。ルーンにはリィンの体が、リィンにはルーンの体が暖かくて。
 そうして、ルーンはさらに力をこめた。
 リィンは一瞬迷ってみせた。予定と、違ったから。
 だが、予定通りルーンの腰にゆっくりと手を伸ばす。
 ずっとリィンの名だけを呼んでいたルーンの声が、涙声に変わった。
「良かった、リィンが生きていてくれて。僕、本当に嬉しいよ。…良かった、生きていて、生きててくれて…」
 その言葉を聞いて、リィンの手が、落ちた。
「リィン、大丈夫?無事…?あ。」
 そこまで言って、急いでルーンはリィンから体を離した。
「ご、ごめんね。ぼ、ぼく夢中になっちゃって…うわわわわ、怒ってる?大丈夫?ごめんねごめんね?」
「大丈夫か?リィン?」
 ルーンの言葉にも、レオンの言葉にも、リィンは何も言わなかった。ぽっかりとあらぬ空を見つめて…そして、 全身の力が抜けた。

 呆然と地面に座り込むリィン。紺の空のした、頼りなげにうつむいている。
「だいじょうぶ?リィン?」
「おい、どうした!どっかわりぃのか?」
 二人が心配して、声をかける。その言葉に、顔をあげずに、リィンはつぶやく。
「わたくし…どうしたら、いいのかしら…」
 虚無な声。心をどこかにおいてきたように、リィンはそう言っていた。
「お父様も、お母様も、城の皆も死んでしまった…わたくし、これからどうすればいいの?…何の ために生きればいいの?」

「リィン?おい、しっかりしろよ!」
 あえぐように、リィンはつぶやき続ける。
「わたくしが、わたくしだけがどうして生き残ってしまったのかしら…わたくしが生きていても、何もなりはしないと言うのに…」
「おい!」
 レオンが、リィンの真正面に座り込む。
「どうかしたのか?大丈夫かよ!」
 このムーンブルクの少女は、いつも誇り高く、強い少女だった。ゆえにこの呆けた姿はあまりにも痛々しく… 『らしくない』姿だった。
「わたくし…どうすればいいのかしら…」
 へたりと座り込んだリィンはまさに『虚無』だった。
「国もない、お父さまもお母様もいらっしゃらない…どうすれば…何のために、生きれば…」
「しっかりしろ、リィン。おめーは生きてたんだ、それだけでいいじゃないか。らしくねえよ。」
「レオン、周りを見てくださる?皆、わたくしがいなくても、お父様がいなくなっても、変わらず生活していてよ… わたくしの生に、意味なんてもうないわ…」
「んなことねえよ…」
 苦し紛れに出た言葉の声はかすれていた。だが、それを読み取ったのだろう。リィンは嘲った。
「…家の灯は今も暖かいわ。たとえ城が、王家がなくとも、この生活には変わりない…。 民人が死ねば、王家に意味はないけれど、王家が死んでも民人にはなんの影響もないのよ…」
 ルーンは、ただ、黙ってリィンの言うことに耳を傾けていた。
「んなこたねえだろ…確かに今、みんな平穏に暮らしてっけどよ…なんか困ったことがあったら、王家がなかったら困るんじゃ ねえのか?」
 レオンの言葉に、リィンは首を振る。
「王家の仕事は…突き詰めれば誰でもできる仕事ですのよ…お父様もそうおっしゃってましたわ。王家は雑用係なのだと。 ただ、雑用係であるゆえに、国の中心となりシンボルとなる必要があるのだと。」
 リィンの目が、遠くを見つめた。見ている先は、過去。
「…誰でもできるのなら、わたくしの今生きている意味がわからないの…わたくしは何もできない、ちっぽけな少女で、 皆が命を張ってかばってくれた意味なんて、なかったのに…」
 レオンは手を差し伸べた。リィンの手を強引に掴み、立ち上がらせる。とりあえず、このまま ここでこうしておくわけにはいかないだろう。

「そんなことはねーよ。ちゃんと意味はあると思うぜ。」
 その言葉に、いままで黙っていたルーンが明るくリィンに話し掛けた。
「そうだよ。リィンが生きていてくれるだけで救われる人だって、ちゃんといるんだよ。来て!」
 もう片方の手を掴み、ルーンが走り出した。街の果てまで。
「…どこ行くんだよ?」
 レオンも同じくリィンの手を引きながら、ルーンにささやいた。
「すぐわかるよ。リィンにしかできないこと、やってもらわなくちゃ。」
 リィンは二人になされるがまま、走っていた。呆然と。心の中で「そんなものはありはしない」と言いながら。
 そしてレオンは、走っていくうちに、やっとルーンの考えが読めてきた。スピードをあげる。

 ゆくは、町の果て。…ムーンブルクの生き残り兵のいる場所。


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