精霊のこどもたち
 〜 Festival・Carnival 〜




 夢を見ていた。夜明け前の一時に、赤と緑の夢を見た。


 そわそわする視線。目で文字を追うが、頭に入ってこない。時計を眺めては、また本に目を移すが、 あまりの集中できなさに、やがて諦めて本を閉じた。
 椅子から降りると、その視点があまりにも小さいことに気がつく。本箱が、まるで巨大な城のようだったが、 自分は気にせず台の上の登り、本を元の場所に返した。
 大きな扉を、体重を入れて押すと、ゆっくりと扉が開く。そうして自分は律儀に扉を閉めたあと、廊下を 走り出した。
 すれ違うメイド達の服装に、心当たりがあった。…だが、そんな「自分」を気にも留めず自分 は走り出す。どうやら「自分」の意識は誰かの意識の中に入り込んでいるらしい。そして その誰かは、「自分」の存在に気がついていないのだと思った。
 しばらく走っていくうちにどうやら迷ってしまったようで、自分は周りをきょろきょろしだした。
 開いた部屋を覗き込み、誰もいないことを確かめて、また別の場所を目指す。どうやら自分は ずいぶんと外れに来ているらしく、メイドもいなくなっていた。「自分」もわからない場所だ。
 それでも自分は走り出した。そうして…そのうちに、中庭に出た。
 …薔薇の花が美しい庭だった。芳醇な薔薇の香りが、そのかしこに漂っている。 薔薇の垣根が庭を幾何学に彩っているのが、城の屋上からは見えるだろう。
 だが、自分にとってはそれはただの迷路に過ぎなかった。自分は果敢にもその薔薇の迷路に挑みかかったようだった。
 見渡す限り、薔薇の壁。赤い薔薇と緑の茎が、自分を埋め尽くすように迫ってきている。むせ返りそうな薔薇の 匂いに押しつぶされながら進んでいくと、遠くですすり声が聞こえた。それはとても小さく、かすかな声だったが 無視は出来ない心を秘めているように感じた。
 自分が入り込んでいる『誰か』もそれを感じたのだろう。声を目指して薔薇の迷路を進みだした。

 …そして、まもなくそこにたどり着いた。
 薔薇の迷路の隅っこに、薄紫の薔薇が座っていた。
「…リィン…」
 それは、小さな女の子の髪の色。女の子はしゃがみこみ、小さな声で泣いていたのだ。その体を長い 薄紫の髪が覆いつくすように広がっていて、それは薔薇のようだった。
「…どうしたの?リィン?」
 それはか細い少年の声だった。どうやら『誰か』は小さな少年らしいと思った。
『誰か』の声は、たしかにリィンに届いているのだろう。だが、リィンはただ泣き続けている。
 少年は、リィンの前にしゃがみこんだ。
「…どうしたの?どうして泣いてるの?」
 リィンは顔を上げた。だが、しゃくりあげて、言葉にならないようだった。
「…ゆっくりでいいよー。ね、落ち着いて。」
 そうして少年はリィンの背中を叩いてあげる。そうすると落ち着いたようだった。
「…お父様が、あげちゃったの。」
「何を?」
「…リィン。」
 リィンの言葉に少年が首をかしげた。自分も同じ気持ちだった。
「誰に?」
「…レオンのお父様とレオンにあげますって言ったの。リィン、いらないの。お父様、いらないからあげるの。 レオンのお父様、リィンもらってくれたけど…レオンはね、嫌だって言ってたの。リィン、 いらないの。誰からも、いらないの。いないほうがいいの…」
 そういうとリィンは泣き出した。大粒の涙をこぼして、大声で泣き出した。

 …ごめんと謝る声は、少年の口から出ることはない。自分はただ見ているだけの、あまりにも 無力な存在。
 それでも、リィンが泣いているのは、自分のせいで。何もできない…ずっと何も出来なかった自分が、 歯がゆかった。

「…大丈夫だよ、リィン。」
 少年は、ぎゅっとリィンを抱きしめた。
「皆、リィンのこと、大好きなんだよ。リィンのお父さんも、レオンのお父さんも、レオンも、皆 リィンのこと、大好きだよ。」
「…だっていらないって、あげちゃうって。」
「リィンがね、大好きだから、リィンのお父さんはリィンをレオンとレオンのお父さんにあげるんだよ。 だって、リィンのお父さんとレオンのお父さん、仲良しだもの。大好きで大切じゃないものは 仲良しな人にはあげられないよ。」
「…でも、レオンはいらないって…」
 とめどなく流れる涙に声を震わせながら、リィンは小さく訴える。
「レオンがリィンをいらないなんて、言わないよ。だってね、レオンもリィンが大切だよ。」
「…でも…リィンのこと…嫌だって…」
「リィンのことがね、大好きだからそう言ったんだよ、きっと。僕にはわかるよ。それに、リィンなら これからもっともっと、好きになってもらえるよ。」
 少年の優しい声は、やっとリィンの心に届いたようだった。
「ほんと…?」
「絶対ほんとだよ。だって、僕もリィンのこと、大好きだもん。」
 その言葉に、リィンはようやく涙を止めた。
「…がんばったら、お父様、リィンのこと、好きだって言ってくれる?レオンも、言ってくれる?」
「今のままだって、皆リィンのこと好きだよ。でもリィンが頑張ったら、もっともっと好きになってくれるよ。」
 そういって、少年は 「…リィン、頑張る。お父様にいるって言ってもらえるように頑張る…」
「うん!」
 そう言うと、少年は立ち上がる。この頃にはこの少年が誰か、自分にはわかっていた。
 そんな自分の心とはうらはらに、少年は手を伸ばした。
「行こうか、リィン。」
「うん。」
 リィンは涙を拭いて立ちあがった。そして少年と手をつなぐ。
 その二人の後姿を、薄れ行く視界でじっと、眺めていた。


 目が覚めると真っ白な世界だった。もう、見るなんてことは出来ないと思っていた。
 わずかな隙間。その隙間に夢が見られた自分は幸せなのだろうか。
 空に宿ったわずかな光が消える頃、自分の意識も、闇に溶けた。



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