精霊のこどもたち
 〜 熱帯びた凍夜 〜




 ざわめく広場から立ち去り、三人は急いですでにまとめていた荷物を取り上げる。
「とっとととんずらしようぜ」
「でもー、レオン、大丈夫?お父さんに怒られるんじゃないの?」
「たまには泥でもかぶってもらうぜ。どうせ国でふんぞり返ってるんだからよ。それに なんでもいいっつったのは向こうだぜ?」
 そう言っているうちに、リィンが駆けてきた。
「準備できましてよ。参りましょう。次はどこに行きますの?」
「うん、あのねー。水の紋章がわからないでしょう?でね、ベラヌールって街は水の街として 有名なんだって。ここから西にずーっと行ったところにあるんだよ。行ってみない?」
「おお、そうだな。」
「ええ、賛成ですわ。それでは参りましょう。」
 リィンがそう言って振り向いた時だった。
「…皆様、ここにいらっしゃいましたか。」
 そこに立っていたのは、息を切らしたアンドールだった。


「なんの用だ?」
 捕縛の命が出たのかとレオンは身構えるが、アンドールはにこやかに笑う。
「先ほどの戦い、見事でございました。皆様を侮っていたことをここにお詫び申し上げます。」
「別にいいぜ。それよりお前の父親は怒ってなかったか?」
「放心状態という感じですね。…ところで、リィン姫…」
 アンドールはそっとリィンの手を両手で包み込む。
「…行ってしまうのですか?」
「え、ええ…」
「先ほどの言葉は…余計なお世話だったでしょうが…私にとって 戦わないための方便だけではありませんでした。…どうか考えていただけませんか?」
 リィンは体をあとずさるが、両手をがっちりと掴まれているために逃げることはできなかった。アンドールは完全に 陶酔している。
「わたくしは、ムーンブルクの最後の一人…ここに嫁ぐことはできません。そして、貴方の王位継承の お役に立つ気はありませんのよ?」
「…たしかに、最初にそういう気があったことは否定しません。けれど、今は違います。…あの戦いの中のリィン姫は とても美しかった。…もし、貴方と一緒にいられるのなら、私はこの国を捨てましょう。」
「アンドール様…?それは…」
「確かにハーゴンの侵略はゆゆしきことです。ですが、先ほどおっしゃられたとおり、リィン姫はムーンブルク最後の 一人。貴方がなくなってしまえば、血は絶えてしまうのです。それこそ、ムーンブルクの国を滅ぼすと言うことなのでは ありませんか?」
 その言葉に、リィンの胸が痛む。…なぜ自分が旅に出たのか。何のために、仇を討とうと思ったのか。…それは。
(…そんなこと、すっかり忘れていたわ…)


 遠巻きに見守っていたレオンに、ルーンがこっそりと近づく。
「レオンー?」
「なんだ、ルーン?」
「止めなくちゃー。」
「あ?」
 ルーンを見ると、いまだしっかりと手を握られたリィンが、苦笑しながらアンドールを話しているのを じっと見ていた。
「あれをか?」
「うん、リィン、困ってるよ。」
 その言葉に、レオンはしばらく考える。
「…けど、俺は、あいつの言ってる事も、間違ってないと思うぜ。」
「レオン?」
「リィンが、ハーゴンを倒したいならそうしたらいいし…あいつと結婚して、ムーンブルクを 立て直すことも悪いことじゃねえよ。まぁ、俺としちゃ戦力が減るのは痛いけどな。」
 それは、まぎれもない、レオンの真実だった。
 …たとえ、自分ひとりでもハーゴンにたどり着く。それは、一番最初から変わらぬ決意だったから。
「…まぁ、結局あいつが自分で決めることだ。」
「駄目だよ!!」
 ルーンが、声を上げた。

「ルーン?」
 ルーンは、握りこぶしを作ってレオンに叫ぶ。
「駄目だよ!そんなの!!」
「ルーン?そんなに言うならお前が止めたらいいじゃねーか。」
 なんだか最近ずっと、面倒なことを押し付けようとしているように見えて、レオンは少し いらだった。
「駄目駄目駄目だよ!!どうしてそんなことが言えるのさ!!リィンはレオンが守ってあげなくちゃ駄目なんだよ!! レオンの馬鹿!!」
 ルーンの声に、リィンとアンドールもこちらを見ていた。だが、ルーンの目には それが入っていなかった。
 そして、頭ごなしに叫ばれたレオンの頭に血が上る。
「誰が馬鹿だ!!なんで俺なんだよ!!人任せにしてんなよ!!なんで自分でやらねえんだよ!!」
「だって、レオンはリィンの婚約者じゃないか!!!」


 その言葉を聞いて、アンドールはリィンを見る。
「…そうなのですか、リィン様?レオン殿は…」
「…ええ、公式には発表されてませんでしたので…」
「そうですか、そう言ってくださればよかったものの…私はとんだピエロですね。」
 アンドールがそう苦笑した。
「…申し訳ありません。」
「いえ、そちらにもいろいろ都合があるのでしょう。それでは、よい旅を…」
 そう言ってアンドールが立ち去ると、深海よりも深い沈黙が、その場を支配する。
「…ルーン…」
 震える声で、レオンが名を呼ぶ。我に返ったルーンが、口元を押さえていたが、もう遅かった。
「…お前、ずっと知ってたのか?」
「…」
 黙るルーンが、癪だった。
 今まで、ずっとルーンに気づかれないように、けっして判らないように気を使ってきた自分の心を思いっきり 踏みにじられたような気がして。
「どうやって!!いつ、いつから知ってたんだよ!!」
 自分たちの態度が不審で、そう気がついたのか。…そうならまだ、仕方がないと思えた。
「…あの時、泣いてるリィンを慰めたの、誰だと思ってるのさ、レオン。」
 まるで開き直ったかのように、ルーンはそう言った。

 昔のことを思い出す。
 レオンと父と、リィンの父が二人の前で婚約について語ったことを。そして、反論する 自分に対して、リィンが泣き出してどこかに消えてしまったこと。…そして、全てがおわったあと、 泣き止んだリィンと手をつないでルーンが出てきたことを…今更ながらぼんやりと思い出す。
 その時は、ただ見つけてきただけだと思っていた。…だが今までその可能性に気が付かなかったのは、 愚かなことだった。ただ、気がつかなかったのは、リィンも何も言わなかったからだった。
「…リィン、お前も知ってたのか?!」
「…わたくし…ほとんど覚えておりませんの…けれど、わたくしはそんなこと言っておりませんでしたわ…?」
「リィンがあの時そう言ったわけじゃないよ。…レオンにリィンをあげるって。最初は よく意味がわからなかった。でもずっと覚えてて、考えたらそうかなって思ったんだよ。リィンは、悪くないよ。」
「…どうして、今まで何も言ってくださらなかったの?」
 リィンの言葉に、レオンの頭にますます血が上る。
「…お前、知ってたんだな?俺たちが隠してたの…」
「レオン…」
 呼びかけるルーンの声も聞かず、レオンは思いっきりルーンの胸元を掴み、締め上げた。
「知ってて隠してたんだな!!隠れて笑って、俺たちのこと馬鹿にしてたんだな!!」
 オアシスでリィンと話した日のこと。ローレシアで父の言葉を必死でフォローしようとしたこと。 …そんなことが頭の中を駆け巡る。
 どれほど滑稽だっただろう。そのことを知っているなら。知っていることを知らずに、知らせないように 気を使っている自分が、どれほど愚かだと思っていたのだろう。
「……………」
 締め上げられるルーンが、いつものように『そんなことない』そう言えば、レオンの怒りは 収まっただろう。リィンがなだめることもできただろう。
 …ルーンはただ、うつむきながらこう言っただけだった。
「…ごめん、ね。」
 その言葉には、確かに肯定の響きがあった。
「…ふざけんなよ!!俺が!!俺がどんな思いで!!!」
 そう叫んでレオンは荒々しくルーンから手を離す。ルーンは床に落ちた。レオンは、そのまま 足音荒く外へと歩いていった。


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