精霊のこどもたち
 〜 結実 〜




 それは、さわやかな朝。
 重い体を引きずって、レオンが朝食を食べに食堂まで降りてきた。
「おはようございますわ、レオン。」
「あ、ああ…」
 にこやかな顔で声をかけてきたリィンに面食らいながらなんとか返事をし、少し迷った結果、リィンが座っていたテーブルの椅子に 腰を降ろした。
「今日はこれから、紋章の聞き込みに回りますの?」
「…ああ。」
 食事が運ばれてくる。レオンは妙にきまずくて、黙々と目の前のものを平らげた。
「おや、お連れさんはまだ寝てるのかい?そりゃいけないね、病気かもしれない。」
「…いや、別に…。」
「そうですわね。よろしければ、わたくし達で見てまいりますので、鍵を貸していただけまして?」
 強引にレオンの言葉をさえぎってリィンが言った言葉に、女将は快く頷いた。
「ああ、いいよ。今日の客はあんたらしかいないからね。もし病気のようならなにか消化のいいものを作るから 言っておくれ。」
「ええ、ありがとうございます。」
 鍵を渡されて、リィンはにっこりと笑って礼を言う。
「…どうしたんだ?お前は、怒ってないのか?」
「…何か誤解なさっているようですけれど、わたくしは初めから怒ってなどおりませんわ。」
 その言葉に、レオンはまた無言になる。
「それはさておき、ルーンのところに行きますわよ。」
「知るか!!」
 予想通りの怒声。だが、その予定通りの行動に、予定通りの言葉を返す。
「もし来てくださらなければ、レオンはこの先、ずっと女性に対する情報収集をやっていただくことに なりましてよ?」
 その言葉にぐっと詰まるレオンの腕を強引に掴みあげる。
「さぁ、参りましょう。ルーンが気に食わないと言うのなら、いつもと同じように存分に 怒鳴りつければよろしいでしょう?黙り込んでしまうなんて、レオンらしくなくてよ?」


 レオンは結局ついてきた。…おそらく、レオンはただ、すねていたのだろうと思う。自分に 隠し事をしていたことを。そして、いつまでも謝ってこないことに対して、頬を膨らませていた だけだったのだろう。子供と同じ。そしてきっと、自分とも同じだとリィンは苦笑した。
 昨夜の扉の前。昨夜と違うところは、それを開ける手段があるということだった。 昨日と同じようにノックをする。
「…ルーン?起きていらっしゃいまして?」
 返答はない。中で動いた気配もない。
「…寝てるんじゃねーの?あいつ、寝起きわりぃし。」
 ぶつくさいいながらも、少し心配している様子がレオンらしい。
「開けますわよ?ルーン?」
 リィンはそう言って鍵を差し込み、まわす。かちりと軽い音を立てて、鍵が開いた。リィンは ドアノブに手を伸ばし、まわして引いた。


 扉の隙間から漂ってくるものは、篭っていた腐敗臭だった。
「え…?」
「な…んだ…?」
 部屋全体に篭った、肉の腐る匂い。カーテンを締め切られたこの部屋の支配者はそれだった。
 そして、その匂いがきつくなっている場所…この匂いの発生源はベッド。…そこに寝ているルーンだった。
「…ルーン!!」
「おい!ルーン!!」
   二人はベッドに駆け寄る。いまだぴくりともしないルーンへと目を落とした。
 ルーンの首筋に、黒い紐が巻かれている。その紐は、ルーンのパジャマで隠れているが、胸元から 続いているようだった。
 リィンはとっさにその紐を取り外そうとして気がついた。それは紐ではなかった。…どす黒く、人の 肉が腐った跡。それがまるで紐のように細く黒くなり、首を回っているのだ。
「おい!!」
 レオンは布団をはぐ。すると篭っていた腐敗臭がいっそう強くなった。それに構わず、レオンは ルーンのパジャマをめくりあげた。
 その黒い紐は、全身を埋め尽くしていた。蛇のように体全体を巻きつき、足も腕もなにもかも腐っていた。  正常な部分を無意識に探って、レオンがルーンの体を裏返す。触れた手に当たってルーンの腕は『ぐにゅり』という 音を立てた。…冷たい、不快な感触。
 左腕と背中は全体が真っ黒に染まり、もはや正常な部分は何も残っていない。
 …そして何より異質なのが、胸から腹にかけてだった。
 全体からゆっくりと線がのび、五芒星を作り出そうとしていた。その五芒星の周りにはなにやら蛇のような 文様がまとわりつこうとしている。文字のようなものも浮かび上がろうとしていた。 普通の腐り方ではないことは確かだった。


「ルーン!!ルーン!!起きろ!!!」
 寝起きが悪いだけだと信じたくて、レオンは怒鳴った。ゆすることは、もはや怖くて出来なかったが、ルーンは ゆっくりと目を開けた。
「…あれぇ…僕…寝てた…?」
 ぼんやりとした声。寝不足なのだろう、充血した目だった。
「…ルーン…?」
 リィンの声に、ルーンが微笑む。
「あれぇ…リィン…レオンも、いる…?僕、いつもと違う、夢、…見てるのかな…?」
「ばかやろう!どういうことだ!!ルーン!!」
 その怒鳴り声に、ようやくルーンの目が覚めたらしい。ルーンは微笑む。いつものように。
「…もうね、体が、動かないんだ…もう、僕、皆と一緒に戦えないんだ…」
 そう言うごとに、ルーンの体が引きつっているのがわかる。
 生きながら体が腐っていった経験などないが、それがどれだけ痛いかくらいは想像がつく。
「…ずっと、前から…?」
 リィンの言葉に、ルーンがゆっくりと頷く。
「…もう少し、頑張れるかなって…ハーゴンの神殿まで、もてばいいなって…思ったんだけど…… 駄目、だったよ…本当に、ごめんね、役に…たて、なく…て…」
 ふと横を見れば、そこには空の香水の瓶。
 その香水で、腐敗臭を隠していたことなどいまさら判っても、それはもう…遅すぎた。


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