リィンは、最後にインクがにじまないように吸い取り紙の上にそっと置いて、筆を置いた。 「お疲れさまー、リィン。」 顔を上げると、ルーンがにこやかに紅茶を手渡してくれた。 「ルーン、入れてくださったの?わざわざルーンがそんなことしなくてもよろしいですのに…」 そう言いながら、リィンはカップを受け取り、香りを楽しむ。疲れが取れて行くような香り。 「ううん、僕が無理言って入れさせてもらったんだよ、お疲れのリィンに僕が紅茶を入れてあげたかったんだー。」 「そう?ありがとう。ルーン。でもせっかくですから、執務机ではなく、きちんとしたテーブルで飲みたいわ。移動いたしましょう?」 リィンはにっこり笑って立ち上がった。 ルーンとリィンが婚約してから、3ヶ月が過ぎた。 ムーンブルクの王権を取り戻し、国を再興し、城の基本的な部分を作り上げるまでに2年かかった。ちなみに新しい ムーンブルク城は元の場所より少し北よりで、今もなお、作られている最中だった。 そして、ムーンブルクの国を軌道に乗せる第二段階の第一歩が、ルーンとリィンの婚約の発表だった。 だが、これには多くの国民が難色を示した。 結婚の条件は、ムーンブルクを一時的にサマルトリアの領土とし、サマルトリア王妃となるリィン の直轄地とすること。そして二人の第一子が生まれた暁には性別問わず、その時点を持ってムーンブルクはサマルトリアの 領土から一個の王国とし、二人の第一子を王もしくは女王とする事だった。 当然ながら双国の貴族、平民からは不満があがった。 サマルトリアの侵略だと不安に騒ぐムーンブルクの国民。こちらはリィンはその不安を少しずつ解きほぐそうと 努力している最中だった。 そんな中、ルーンはムーンブルクに入り浸るようになった。自分の勉強は仕事を片付けながら、国のまだうまく 立ち行かぬところ、手の届かないところに気がついては足を運び、それを改善する。けが人がいれば治しにいったり、 神父が倒れたときは臨時の神父になってみせたりした。…自分の名前を名乗る事なく。 それでもいつか誰が気づき、ゆっくりと広がって言った。そのおかげが三ヶ月立った今では、庶民の不安は薄れたようだった。 サマルトリア王子はは乗っ取るためではなく、ムーンブルクとともに生きてくれると、少しずつ皆が思い始めている。 それでも、ルーンがこの国にずっといる理由の多くは、自国の混乱だろうと、リィンは思っていた。 第一子をささげるなど、次代の王を売り渡すようだと騒ぐサマルトリアの国民達。 ムーンブルクを侵略しようという過激な意見や、いっそルーンを婿にやり、セラを女王にしようという意見も少なくない。 おそらく何度も命を狙われているのだろう。もっともキアリーが使えるルーンに生半可な毒では無理であるし、邪神すら倒したルーン に暗殺などできるのは、世界に今や二人しかいない。一人はリィンであり、もう一人は大国ローレシアで、優秀で不良な王として 忙しい日々を送っているはずだった。 「どうしたの?リィン?疲れたー?」 「いいえ、レオンの事を考えておりましたのよ。まさかレオンがあれほどまでに立派に国を治めるとは 思っておりませんでしたから。」 ローレシアの国にとって、今は勇者であり王であるレオンクルス・アレフ・ロト・ローレシアは誇りの一つであった。若く快活で 、力強い。国を治める政治すら、その性格のまま進めていくものだから、ローレシアの国はずいぶんと変わったと聞く。 古き因習が消え、新しい物を築きあげる力が生まれたのだ。 「レオンはねー、とっても優しいから。あのね、レオンが言ってたよ。『世界を見て回ったのは、こういうことをする意味でも 良かった。他の国や町のやり方がわかったからな』って。だから、リィンもきっとできるよー。」 「違うわ、ルーン。二人で、レオンとは違う、新しい国を作りましょう?」 「うん、そうだねー。」 くすくすと笑うリィンの顔に、ルーンが子猫のように顔を寄せた。リィンは笑いながらそっと目を閉じる。ルーンは ゆっくりと唇を寄せていく。 「サマルトリア王子、ルーンバルト様!!火急の用と、サマルトリアから伝令の者がいらしております!!」 扉が開くと同時に叫ばれた召使の言葉に、二人は跳び上がった。 扉を開けた兵士の後ろからサマルトリアの兵士が押し入って来た。 「他国の王の執務室に押し入るとは、なんと無礼な!!」 「事は一刻を争うのだ!!謁見の間で待つ余裕などない!!」 言い争いをして、ルーンの前に行こうとするサマルトリア兵士と、それを押しとどめるムーンブルクの兵士。 「いいえ、かまいません。緊急の用なのでしょう?わたくしが許しましょう。わたくしは席を外した方がよろしいのかしら?」 「御前失礼いたします。リィンディア女王。よろしければそのままお聞きいただきますよう、お願い申し上げます。」 ひざを立てて礼を正した使者に、ルーンとリィンの背筋も伸びる。 「それで、どうかしたの?」 「は!実は先ほど、セラフィナ王女が何者かにさらわれましてございます!!」 |
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