〜 Golden days 〜


 5つの紋章に導かれ、ローレシアから南の海。小さな小さな島に、その祠はあった。
 海の底、大地の底へとどこまでも続く階段。その周りを包むように海水がレースのように覆っている。
「…美しいわね…。」
 アーサーのため息。厳粛でありながらも、どこか暖かで優しい。 神などどうでもいいと思えるアクスでさえ、どこか敬虔な気持ちになるその場所は、 神の息吹に満ちていた。
「そう…ですね…。でも、怖い…。罪が許されてしまいそうで…。」
 こぼれた言葉。アイリンがとっさに口をふさぐ。それを察して、アーサーが小さく笑った。
「そうね。なんだか懺悔したくなりそうだわ。」
「懺悔したいことがあるのか。」
「そういうわけじゃないけど…、そうね、昔話でもしましょうか?」
 アーサーはそう言って、大人っぽく笑った。



「サマルトリア王妃…母は生まれた時から今のサマルトリア王に嫁ぐ事が定められていたらしいわ。サマルトリアにそれほど 早く許婚を決める習慣はなかったから、何か事情があったんでしょうね。」
 階段をただ降りながら。おそらく気まずい沈黙を出さないように気を使って、アーサーは語り始めた。
「母はまだ見ぬ夫に想い焦がれて、物心付いた頃から会った事もない未来の夫に手紙を出していたの。 けれど、返事が来た事はなかった…。地方にいた母は、結局ほとんど会う事もなく、サマルトリア城に嫁いだわ。」
 アーサーは笑う。流れる水鏡に、繰り返し語った母を思いだしながら。
「母は期待していたの。1、2度舞踏会であったサマルトリア王はとても優しかったから…手紙の返事が来ないのも 忙しいからだと自分を騙して。けれど…王は、母を愛していなかった。王にとって、最初から手に入る女なんて、興味もない あって当たり前の物。釣る必要すらない女に、向ける関心すら無駄だった。1年後、 アーサーと呼ばれる息子を母が産んだ時には、母の期待も消え、その二人の亀裂は決定的なものになったわ。」
 アイリンは切ない目をした。おそらく冷たかった父を思いだしたのだろう。少し目が潤んでいた。
「それから三年後。王の侍女が子供を産んだわ。その侍女は王のお気に入りで、低い身分だったけれど王の要望で王の身の回りを 世話する役目に任命されていたの。生まれた女の子は、王と同じ青い色をしていたわ。髪の色も、良く似ていた。」
「それは噂で聞いている。…アーサー、お前とアリシエル王女は異母兄妹なのだろう?」
 それだけならば、懺悔でもないはずだ。誰もが知っている事実なのだから。だが、アーサーは首を振った。
「いいえ、異父母兄妹よ。」
「…異父母…?兄妹…?」
 アイリンは首をかしげる。アクスは唐突に気が付いた。アーサーが語る、二人の人物の差に。

「婚礼の為にやってきた母を、サマルトリア王は出迎えなかった。王は視察に出ていたの。城についてもしばらくは王妃の教育や 婚礼の支度なんかがあったから、会う必要はないと考えたのでしょうね。」
 答えは分かっている問いをするのは無駄だと思う。だが、それでも聞かなければならない時があるのだと、 アクスは思った。
「…サマルトリア王が視察から帰ってきたのは何ヵ月後だ。」
「半年後。…婚礼の儀式の1ヶ月前だった。それが新郎である王が城に戻らなければならないぎりぎりの期限だったから。」
 アーサーは、サマルトリア王を決して『父』とは言わないのだ。アイリンは息を飲む。
「ごめんなさい…もしかして…、アーサーは、ロトの…血を継いでいないの…?」
「そうだったら、単純だったのだけれどね。」
 アーサーは笑う。アクスもてっきりそうだと思っていたため、少し表情を変えた。
「…婚礼にやってきた母を出迎えたのは、今は亡き、王弟陛下だった。王弟は病弱だったため、仕事することもあまりなく、 部屋で読書などを好んでいたらしいわ。王への態度に泣き嘆く母を慰めているうちに…二人は恋に落ちた。つまり アリスは血の上では従妹になるのよ。」


 アクスはようやく納得した。たとえ女装をしていても、アーサーは聡明だった。それくらいで長子の王位継承権が揺らぐのは おかしい話だと今なら思えるからだ。
「…だから、もめているのか。由緒正しい身分の高い血を引いたアーサーと、王の血を引いたアリシエル王女で。」
「そうなの。でもね、おかしな話だと思うのよ。王位は血によって受け継がれる物よ。そりゃ、王位継承者がどうしようもなく ぼんくらならともかく、アリスは利口だもの。なのに王の血を引いていない者…王弟の息子に王位を渡すなんて、 一種の王位転覆劇じゃない?」
「アーサー…でも、それでいいの…?」
 アーサーはアイリンの頭をそっと撫でた。
「ごめんなさい、アイリンには辛い話だったわね。でもね、アリスが王位を継ぐべきだと思っている。なのに 周りは勝手にこっちの味方をして、あげくにアリスは女だから王には向いてないなんて失礼な事を言うのよ。 子を産む性が政治に向いていないなんて、誰が決めたの?あんまり腹が立つからこんな格好をしてやったのよ。 継がせない良い言い訳になるでしょう?」
 アクスは皮肉めいた笑みを浮かべた。兄妹二人の会話を思い返す。
「…アリシエル王女はアーサーが王位に着くべきだと思っているのだな…?」
「そう、みたいね。困っちゃうわ。こうして旅をしているのは、サマルトリア王がその事に業を煮やしたからなの。 …どこかで死んでくれればって思ったのね、きっと。」
「…ごめんなさい、アーサー…。どうして人前ではアリシエル王女に冷たいの?」
 アイリンの言葉に、アーサーの顔に濃い陰影が落ちる。
「…支援する周りの貴族たちが、お互いに暗殺を企て始めたからよ。 『麗しい兄妹愛ではありますが、いなくなればおとなしく自らの義務を甘受なさるでしょう。』それを 裏で聞いた時驚いたわ。…アリスを殺させるわけにはいかない…、お互いいがみあい、取り合っていたら 暗殺したらあからさまでしょう?いくら卑怯な貴族でもね、明らかに汚れた王座は見たくないと思うみたい。 変な話ね。最初はアリスも驚いたけれどやがてその意図に気が付いて、ああして演技してくれるようになった…。」
 アーサーがそう言った時、先頭を歩いていたアクスの足が、地面へと着いた。

 アクスに続いてアーサーが降り、そして最後にアイリンがその聖なる場所へと足をつけた。
「あら、着いたのね。…懺悔と言うより、愚痴になってしまったわね。聞いてくれてありがとう。」
「…アーサー…。あの…。いいの、ですか?」
 上目遣いでこちらを見るアイリンに、アーサーは爽やかな笑みを浮かべる。
「間違えないで、アイリン。この旅はね、自分自身で望んだことなの。…世界を守りたいし、もしハーゴンを打ち倒した 暁には、アリスの治める国の名誉になるもの。」
「……、ごめんなさい。」
「行きましょう、アイリン。ルビス様がお待ちだわ。貴方に必ず祝福を与えてくださるはずよ。」


 最深部は礼拝堂になっていた。いや、礼拝堂というにはあまりにも簡素すぎる。なんの装飾もなく、ただ空間が あるだけ。それでも、確かにそこは礼拝堂だった。
 腕に刻まれた紋章が光りだす。それはゆっくりと形を作り、そして。
 ――――――――――――そして、神は降臨する。


 神の声が消える。胸の中で何度も何度も繰り返される、暖かな女神の声。全てを認め、全てを許す包み込む声。
「…アクス…?大丈夫?」
 アクスがアーサーに呼ばれ、振り向くと目に溜まっていた涙がこぼれた。
「…あれ…俺、なんで泣いてるんだ…?」
 それは、無自覚の涙。自分の心に渇きを認められた、歓喜の涙。そして母へと帰る回帰の涙だった。
 あまりにも素直で。あまりにも無防備で。  初めて見た男の涙を、アイリンは胸を抑えてじっと見ることしかできなかった。


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