Prelude
「ここなら多分大丈夫だけれど、これ以上は近づいては危ないわ。人間や動物達がこれ以上先に行く事はないと思うけれど、 もし見かけたら止めて。」
「わかりましたわ、姉様。」
「じゃあ、言ってくるわね。」
「言ってらっしゃい、気をつけて下さいね。」
去っていく姉に手を振って、エルフの娘は岩にちょこんと座る。そして姉が去っていった方角を、 岩の陰からそっと覗く。
「天にそびえる城に住まう、空を統べる竜よ。偉大なる、世界を導く神よ。その調和の為、今ひとたび我に宿り、 その使命を果たす事をお許しください…」
姉が空に手を伸ばし、祈っているのが見えた。ゆっくりと、細い光が姉に降り注ぐ。姉が黄金色に 輝いていく。
この瞬間がとても羨ましかった。姉はもともと、とても美しいがこの瞬間から姉はまさに神と 同一の存在となるのだ。
「ご使命、賜りました。実行いたします。」
天からの光が収まると、姉が金色に輝きだす。そして…
娘は身を縮めた。
(姉様…)
爆音が聞こえる。今この瞬間、姉は執行者となったのだ。
岩の隙間からそっと覗く。姉は今、この上なく無表情で、この上なく美しく…だからこそこの上なく怖い 者となって、巨大な樹に向かい、稲妻をぶつけていた。
体が振るえる。両手で身体を包んでも、どんどんと冷えていく。
”がさがさがさ・・・”
目の前の樹木が揺れた。おそらく動物ではなく、この良い天気に落雷の音を聞いて不審に思った人間だろう。 娘がそう思っていると、案の定人間の手が、木々の中から飛び出してきた。
どこまでも透けるような銀の髪。
次に見えたのは、夕日よりも紅い眼。
そしてどこまでも美しい丹精な顔立ち。
それは一つの芸術であり、同時にこの森林の中あるには、とても違和感を感じるものであった。
この方は、きっと闇でこそ、輝く方。
その美しさに、娘は息を詰めてただ、みつめるだけだった。
「…エルフか?」
その声は低く、そして妙なる調べのようだった。
「は、はい…。」
自分から出る声が、妙にみっともなく、娘は哀しくなった。
「この先の音は一体何か知っているか?」
その言葉で、我に帰る。
「あ、あの、この先は危険ですから…もう少しで終わりますわ。それまでお待ちください。」
「何か、知っているのか?」
その眼は鋭く自分を見つめた。突然、娘の身体が振るえる。
(この方…魔族だわ…)
自然に調和するものではありえないその凍るような美しさ。それは、まるで今の姉のようだった。 姉の神々しさの代わりに、禍々しさを入れたような、そんな生き物。
その脅えを見て取ったのだろうが、目の前の魔族は声を柔らかくした。
「脅えなくてもいい。別にどうかするつもりは無い。だが、この天気の中、あの落雷の音は余りにも異常すぎる。知っているなら 話してくれないか。」
無表情にも見えた表情に色がつく。それだけで娘の心はホッとした。別段隠す事ではないと、 エルフの娘はゆっくりと語り始めた。
「は、はい…実は、あそこには姉様がいるんです。」
「ということは、あの雷はエルフが放っているのか?いや、エルフがそのような力を有していると言う話は 聞いたことが無いが…」
「いいえ、姉様自身の力ではないのです。姉様は今、…神の巫女なのです。」
「巫女?」
いぶかしげに言った魔族に娘が頷く。
「はい、竜の神は、今、地上に降りる事が出来ません。ですが…なにか災いがおきたとき、神にとって不都合が 地上におきたとき…ささやかではあるけれど、見逃せない事がおきたとき…そんなとき、私たちエルフが 神の巫女…代行者となって力を宿し、その力を行使するのです。」
「具体的にはどんな時なのだ?」
「本当にささやかですわ。うさぎが大発生したから、少し減らすとか、 毒花を燃やすとか、大きな岩が災害を起こすから、消してしまうとか… 時々は禁忌を封ずる為に力が降りることもあるみたいですけれど・・・」
「つまり、結局は神ほどの力を持つことは無い、ということだな。」
「ええ、神の力の一部をその身に下ろすだけなのです。」
「ふむ…つまりそなたの姉は、神の巫女という特別なエルフなのだな?」
魔族がそう言うと、娘は悲しそうに首を振った。
「…いいえ、神の巫女は本当は、けっして特別な存在ではないらしいですわ。その状況や、神との相性なのだと 姉は言っていましたし…現に私の里ではほとんどのエルフが一度は神の巫女になってますから。 姉様は特別、その回数が多いですけれど…」
「ふむ。そうか。なかなか有益な情報だった。感謝しよう、エルフの娘よ。そう言えば名を聞いてなかったな。 名はなんと言う?」
そう言うと、娘はまた、哀しそうに顔を伏せた。
「…自然に生きる私たちエルフには、本来、名がないのです。区別する必要がないですから…」
「ふむ、なかなか面白い文化だな、エルフと言うものは。だが、それではエルフの娘では面倒だ。 よし、ならばお前は今日からロザリーと名乗ると良い。」
ロザリーと呼ばれた娘は眼をぱちくりとさせた。そして、
「わ、私に名を下さるのですか?」
「ああ、よく世話になる里の名から取った。気に入らないか?」
ぶんぶんと首をふる。気がつくと、地面には一粒のルビーがあった。
「あ、りがとう、ございます…とても、とてもいい名前だと、思います…」
「そ、そうか、気に入ったならば、良い。私の名は・・・」
男の言葉が止まった。雷音が止まったのだ。
かさかさと軽やかに近づく気配。男はゆっくりと剣に手を近づけた。
ゆっくりと樹の間から現れるもの。そして完全に姿を見せる。
それは、まるで最高の材料で完璧なバランスもって作られた人形。そう例えるにふさわしいエルフだった。
「なにか異常はなかった?」
「え、ええ姉様。この方を除いて、この近くには何も近寄りませんでしたわ。」
「そう、それなら良かったわ。」
まるで魔族に関心が無いように、ロザリーの姉は淡々と言った。
「貴方が、どこへ行くのが知らないけれど、この先の大樹はもうないわ。」
「そなたが、破壊したからか?」
「神の意思とお力を、私が代行しただけです。私がやったと言うには語弊がありますわ。」
「一体、何故破壊したのだ?」
「腐っていたの。神はおっしゃったわ。あの樹が腐り落ちるときに、その摩擦によってこの森は 炎に包まれると。だから雷で倒れぬように破壊したのよ。」
そう語るエルフは、あくまでも無表情だった。自慢げでもない、かといって迷いも無い。
「樹が、可哀想だとは思わぬのか?」
男自身にはそう言う発想はない。だが、横にいるロザリーならばそう考えそうだと思った。そして、 ロザリーが今、少し潤んだ眼をしているところから、それは真実だと思えた。
ロザリーにとって姉は綺麗で、憧れているけれど、同時にとても怖いと思う。うさぎを 沢山殺した時も、花を根こそぎ燃やした時も、姉には何の葛藤もなかった。
”可哀想”ロザリーがそう言うと、姉はいつも、こう返す。
「神がおっしゃる事に間違いはない」と。
確かにそうなのだ。花を燃やしたあとにはそれを肥料として、また新しい花が咲き誇ったし、うさぎを沢山殺した時も 食べ尽くされた草がまた生え、そしてうさぎもゆっくりと数を増やした。
それは、確かに正しい事なのかもしれない。けれど、それだけでは割り切れない何かが、あるはずなのに。
案の定、姉はこう言った。
「神の意思ですもの。それが運命だったと言う事だわ。神がおっしゃる事に間違いはありませんから。」
その言葉に、ロザリーはぞっとする。だが、魔族はその言葉に興味をそそったようだ。
「つまりそなたは神に絶対服従だということだな。」
その言葉に姉は首をかしげる。
「服従…なのでしょうか?私は神に命じられた事を拒否する理由が思い浮かばないだけです。」
「ならば、神に死ねと命じられたらどうなのだ?」
娘は答える。
「神に貰い受けた命を返す事に、何のためらいがあるでしょう?」
「ならば…もし神がロザリーを殺すことを命じたら?」
「ロザリー?」
初めて娘は戸惑いを見せた。ロザリーは姉にこわごわと言う。
「この方に、不便だからと名を貰ったの。」
「そう、良かったわね。」
そうして少しだけ笑って見せた。美しいその顔に笑みが乗ると、とたんに世界が春になるかのように華やぐ。
やはり、妹は特別なのだろうか、と男が思ったとき、娘はあっさりと答えた。
「神は、罪犯さぬものを殺そうとはしません。もしその命が下れば、それは妹が罪を犯したか、これから犯すのでしょう。 それならば当然の事です。」
そこで男は質問を変える。
「私は魔族だ。私を殺すか?」
その言葉に、娘は首をかしげた。
「神が命じないものを、どうして殺そうとするでしょう?」
「ならば、人間が、涙目当てにそなたに襲いかかって来たならばどうする??」
「生きようと行動する事が、 生きとし生ける者へ神が与えた義務です。神の命がない限り、私は自らの 力を持ってそれに従い行動して、結果叶わなかったのなら、それは神が与えた運命だと受け入れます。」
「ならば、私がこれから神を殺しに行くとすれば?」
その言葉には凄みがあった。ロザリーが震え上がる。その言葉は本気に見えた。だが… 問われた娘は何の迷いも無く、言った。
「神から命を受けない限り、私はなにもしないわ。」
その言葉に、魔族は大声で笑った。
「面白いエルフだな。まるで心が無いようだ。それでいて、自らの意思ははっきりしている。不思議な人形のようだ。 気に入ったぞ。」
その言葉にも、姉には何の感慨もないようだと、ロザリーは思った。
(こんなに、綺麗な男の人に、あんなふうに言われたのに。)
それを羨ましく思う自分に気がついて、ロザリーの頬が赤くなる。
「また、会いに来よう。そなたらの森はここか?」
その言葉に、ロザリーが頷く。言葉だけでも自分のことが入っていたことが嬉しかった。
「ええ、ここです。姉様も私も、良くこのあたりを散歩しています。」
「そうか。ではまたここで会おう。私はピサロと言う。…そなたの、いや、エルフには名前がないのだったな。」
その言葉に、無表情だった娘は、自分の事だと気がつき、首を振る。
「いいえ、私には名があります。」
「そうなのか?」
「ええ、神の巫女になったと同時に、神から呼ばれる名が付きます。」
その言葉に、赤くなってロザリーがうつむく。
…そう、それがロザリーのコンプレックスだった。里の中の若者で、ただ一人神の巫女に選ばれない自分。 名の無い、自分。…それがとても情けなくて辛くて。だからいつも姉についていって、その事を知ろうとしてた。 …そうすれば、次は選ばれるかもしれないと期待して。
「そうなのか。ならば、名を教えてくれ。」
さして問題にすることなく、ピサロが姉に聞いていた。
「ええ、かまいません。」
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