それはまるで湖に浮かぶ、一輪の花のように
第四話 空をみる少年


 ふう…とブライはため息をついた。喉は枯れはて、眼も赤かった。既に声が出ないほど、泣き叫んだ。
 自らの感情を吐き出すということは、これほど気持ちいいことだったのだろうか。
(そういえば…あの方は自らの感情を隠す事がお嫌いだったな…)
 ”そしてその方は、わたくしを見た瞬間、表情を取り繕う事もせずに、呆然となさいましたわ。 ああ、この方は自分に嘘はつけないのだと、そう思うとほっとしましたの。”
 湖に咲く、花のようにまっすぐで、清らかで満たされる、そんな人だった。
 鈍く残る痛みと共に、なおも咲き誇った緋い花。摘むことも枯れる事も生涯ないだろう。
 越える事が出来ないこの想いは、おそらく不相応な想いを抱いた神の罰。
 ブライは、自分の手をにぎる。
(これを持って、いつか天の国に行こう。…そこには、あの方が待っているのだから。)

 ブライは立ち上がった。ここを貸しきってくれた神父に礼を言いたかった。
「お疲れ様です、ブライ様。」
 だが、そこで待っていたのは最初に出迎えた小さな少年だった。
「君は…?」
「僕…私は、ここで神学を学ばせて戴いてるんです。神父様はもうじきお戻りになられます。これをどうぞ。」
 少年が差し出したのは、暖かいハーブティーだった。どこかユーナの匂いがした。
「うちに帰らなくていいのか?」
 ブライはハーブティーを飲みながら少年に尋ねると、少年は少し困った顔をした。
「…僕は、ここにいたほうがいいんです。」
 それだけを言って、少年は頭を下げて出て行った。


 ただ無言で、お茶を飲み干していると、神父がようやく帰ってきた。
「世話になった…」
 ブライはそうつぶやく。
「いえ、お役に立てたならなによりです。…王妃様へブライ様の気持ちは伝わりましたか?」
 ブライはぎくっとしたが、神父の言葉に他意はなさそうだった。
「…どうでしょう…」
 ブライは息をついた。
「あの方が何を思ってらっしゃったのか…なぜあのように幸せな表情で…なぜ、もっと幸せを 望める方だというのに…」
 手で顔を隠し、息を飲む。そんなブライに神父は優しく声をかけた。
「先ほどの少年はクリフトというのです。」
 何を言っているのだろうと、ブライは思った。
「父親はここらへんでは少しは名の知れた貿易商人でしてな。様々な商売をしてことごとく成功を収めているのですが… その代わりに、家のことに熱心ではなく、余り家にいらっしゃらないのですよ。」
 あの少年の、少し困った顔をブライは思い出した。
「それに…その、あまり女性の癖が良くない方で、母親はクリフトを置いて、愛想をつかして出て行ったのです。 それで、父親が…ここへクリフトをお預けになったのです。」
 まずい事を言ったようだと、ブライは思いながらも神父の話の先をうながした。
「とても賢い子です。もともと十分な勉強をさせられてなかったにも関わらず、独学で 様々な事を学んでいたようです。ここに来て、神学の勉強も、草木が水を吸うように理解していっています。 ですが…あの子は何も言いません。父親や、母親への不満も、なにも。ただ、勉強ができる事がうれしいと、 そう言って笑います。…神がお与えになったあの子の資質には、もっと可能性が在るというのに。」
 神父は寂しそうに言う。
「聞いた話だと、あの少年は今までほとんど外に出た事がなかったというのです。おざなりに与えられたものだけを ぼんやりと受け取り、外界に触れることなく…」
 ふう、とため息をつく。
「…不安を誰にも言う相手がいないのですよ。そして…不安と言うということを知らないのですよ。 そのかわりか、いつも空を見ています。ぼんやりと外を見ることが、 あの子に許された、たった一つの癒しなのでしょうね。私は、あの子がとても可哀想に思えます。」
 その言葉を聞いて、思い出したのは王妃ではなかった。自分を見て、寂しそうに笑った 少女だった。
 そして、少年を思い出す。扉を叩く前に、真っ先に自分を案内した少年。…あれは、空を見ていたから だったのだろうか?
「ですから、王妃様は幸せだったと思います。不安も、幸せも告げる相手が確かにいたのです。 ブライ様に不安を託し、逝く事ができたと、王妃様は思っていらっしゃるのではないでしょうか?」
 ”アリーナを、頼みます。わたくしたちの可愛い子…”
 託された言葉、想いを、自分は今まで忘れていた事実に、ブライは気がついた。
 そして、ブライはある一つの決心をした。


 少年クリフトは、昔から空を見るのが好きだった。
 暗い部屋、誰もいない広い家で、たった一つ空だけが、明るく輝いていたから。
 空だけが泣き、空だけが怒り、空だけがその心のまま笑っている気がしたから。

 クリフトは泣けなかった。笑えなかった。
 時々にしか帰らない父。自らを省みない母。
 恨みはしなかった。ただ、自分を見て欲しかった。
 それでも、誰も自分を見なかったから、クリフトはいつも空を見ていた。

 母が出て行き、父が自分をここに預けて、誰かが自分を見てくれても。クリフトの心はなぜか 癒されなかった。
 だから、いつも空を見ていた。この、教会の上から。
 教会の上からは、大きな空と、それから華やかなお城が見えた。
(あそこにいる人たちは…みんな楽しいのだろうか…?)
 たくさん人がいて、一人になることもなく、華やかな生活を送っているのだろうか?
 空に在るという天空の城は、きっとこんなのだと思う。
 自分も、空へ往きたい。空を見ながらそう願った。


「ここにいたのか…」
 振り返ると、そこには神父様の客がいた。
「貴方は…」
「先ほどは申し訳ない。」
「いえ…」
 クリフトは首を振った。気にしていなかったから。
(でも…この方は何の用で…)
 そう戸惑うクリフトをよそに、ブライはクリフトの視線の先を追った。
「城を見ていたのか?」
「ええ…とても華やかで…」
「そうか。」
 ブライはクリフトの横に腰を下ろした。
「…その城に、来て見る気はないか?」


 
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