それはまるで湖に浮かぶ、一輪の花のように
第五話 花と空


(本当に、普通の女の子なんだな…)
 笑い、はしゃぎ、よく勉強する。強いて庶民と違いを述べるなら、聞き分けが良すぎるくらいだろうか。 どんなことでも笑顔で答え、遊びを切り上げたり、勉強をする事もけっして嫌がらない。 でもそれも、王族だから、の一言で片付く範囲だろう。
 ただ、周りに張られた幕の存在には気が付いてた。
 だれもアリーナを見ない。話し掛けると愛想笑いをして、逃げ出す。
 アリーナにかまってくれるのは、新人の兵士ばかりだった。そして、その兵士達に 武道を教わるアリーナが一番楽しそうだった。
 といっても、アリーナはいつも笑っていたが。
(王妃様…か。どんな人だったんだろう…)
 そう思いながら、部屋に帰る途中、アリーナを見かけた。
 アリーナは、熱心に庭の花畑から花を摘んでいた。抜いては束ね、抜いては束ね… どうやらブーケにするつもりらしい。その少女はまた格別に嬉しそうだった。
 花束を回しながら、彩りをゆっくりと添えていく。
(…本当に、普通の少女なんだ…)
 そこで再び確信する。
 自分は、『姫』に仕えるためここに来た。王族に仕えるということは、神への崇拝心と同等の敬愛を持ち、 命まで捧げるほどの覚悟…そんな印象があったから、クリフトは少し自信をなくしていた。
 良い子だとは思う。だが、そこに尊敬の気持ちは抱けそうにない。
(幼いのだから仕方のない事なんだろうけど…)
 そんな少女にはたして『心から仕える』ことが、自分に出来るだろうか?

 とっさにクリフトは隠れた。階段から国王が降りてきたからだった。
 国王は人々に平等に反映をもたらす偉大な存在。いまだ直接会うのははばかられた。
 だが、アリーナは王を見て嬉しそうに立ち上がる。
「お父さま!あのね、アリーナね!」
 その言葉は、続かなかった。一つの響く音によってさえぎられたからだ。

 色とりどりの花が、空を舞った。そして、少女はよろめいた。
「何をしているのだ、アリーナ!それは、それはお母様が、ユーナが育てた大切な花だろう!大切な花畑だったのだ!それを、それを 抜いてしまうなんて、何をしているのだ!!!」
「お…お父さま…アリーナは…お父さまに…」
 アリーナは叩かれた頬に手を添えている。王にすれば軽く叩いただけだとしても、4歳の少女にとっては随分な打撃だっただろう。
「せっかく、ユーナが育てた花なのだ…できるだけ、元の状態にしておきたいのだ。アリーナ、もうこんなことは してはならぬぞ」
「はい…ごめんなさい、お父さま…」
 アリーナが小さくつぶやくと、王はアリーナの頭をゆっくりと撫でた。
「痛かったか?すまなかった。」
 その言葉に首を振り、アリーナは王を見上げて微笑んだ。
「ううん、平気よ、お父さま」
 その顔を見て、王はよろめいた。そして、くるりと後ろを向いた。
「なら…良い。」
 それだけ言うとまた階段を昇っていった。アリーナの避けるように。

 それを見送ると、アリーナは散らばった花を拾い出した。
「お手伝いします。」
 王が出て行ったのを見送ったクリフトは、すっと花を拾い上げた。
「ありがとう。」
 そう言って笑った顔は、いつもの笑顔だった。
 その事に、クリフトは初めて違和感を覚えた。


 夕方。神学の勉強も終わり、クリフトはいつものように空を見ていた。
(いつもの笑顔…)
 アリーナの笑顔を思い出す。
(アリーナ様は、いつも同じ笑顔だったように思う…)
 どの笑顔も判を押したように同じ笑顔。どれだけ浮かれていても、楽しそうにしていても どれも同じ顔だった。
 そして…『笑顔』と言うだけにごまかされていたが…
(あの笑い顔には子供らしい溌剌さがなかったような…)
 そんな事を考えているクリフト自身にも子供らしさがかけているのだが、本人は全くその自覚がない。
 ただ、その笑顔が気にかかる。あの顔が気にかかる。
 どこか曇った目。輝いていない表情。それがとても見ていて苦しかった。
 空を見ると、綺麗な夕昏。雲ひとつない夕焼け。長く伸びる樹の影と紫に染まる地面。
 そして、地面を走る、栗色の髪…
(髪?)
 我に返り、身を乗り出す。良く見ると、確かにアリーナが城の庭から外へ抜け出そうとしていた。
 とっさにクリフトは窓から外へ出る。そして、アリーナの跡をつける。

 そこは小さな木々の間にあった、ちょっとした道。上に葉を張り出した低木の幹と幹、地面と葉の間。 大人は見逃してしまうようなちいさな切れ目。その間をするりするりと抜けていく。
 そして、その先。アリーナは一心不乱に走っていた。野原を少し走り、森の横を抜け・・・ アリーナはサントハイムに程近い、浜辺に来ていた。
 森と海の間の岩陰。城がよくみえるが、城からはけっして見えないだろう場所。

 アリーナの足は速かった。見失うかと必死で追いかけ、ついに見えなくなったとき。
「あうぅ…えぐ…うううう…」
 とっさに声の方に頭を向け、音を立てないようにゆっくりと回り込み…ちょうど良い 茂みにクリフトは隠れた。

 アリーナはすすり泣いていた。岩陰に顔をもたげて、ただ必死に声を抑え、嗚咽を漏らして。
 幼い手で、口を覆い声を抑え、漏れ出でるものを少しだけ吐き出すために、ただひたすら 耐えていた。
(いつも…泣いていたのだろうか…)
 こんな場所で一人ぼっちで。
(ずっと耐えていたのだろうか?)
 誰にも漏らすことなく、誰にもばれないように。
(ずっと、抑えていたのだろうか?)
 その哀しみを、感情を。たった一人で。
(あんなに小さいのに、あんなに幼いのに)
 いつもそうやって、一人で頑張っていたのだろうか?笑って、ただ、笑って…
(一体、あの小さな身体の、どこにそんな力があるのでしょう…)

 ――――――― 姫様 ―――――――――


(ここも…いつもきれい…お母様みたいに…)
 母が死んだ日。自分は城から逃げた。
 幸いにしてか、自分のことに関心がある人は、その時、誰もいなかったから、簡単に城から出れた。
 夢中になって走って走って…森と海が、自分を切り離してくれる場所についた。
 そこで、少しだけ…すこぅしだけ、『約束』を破る事にした。耐えられなかったから。

 今日で二度目。今日も、あそこは自分を受け入れてくれた。
(…ほんとうは、それじゃ駄目なんだよね、お母様。)
 とてとてと、泣きはらした眼をこすりながら庭を歩く。そろそろ城に戻らなくては。
 母は、今思い出しても花のような人だった。
 いつもにっこり笑っていて、見るだけで嬉しくなった。ふわふわとしたドレスを来て、風に流されるように 微笑んでいた。それだけで、人を幸せにすることが出来た。
(私も、お母様の娘なんだから、できるはずなのに…)
 まだ残っている哀しみ。こみ上げて来そうになる涙。アリーナは庭の端にしゃがみこんだ。
(私は、駄目なの?お母様…)
「アリーナ様、そんなところでどうされたのです?」
 しゃがみこんでいたアリーナに 先回りして部屋に戻っていたクリフトが、窓からそう呼びかける。
 アリーナは立ち上がり、頑張って顔を整えながら首を振る。
「ううん、なんでもないわ。…ちょっとお花をみていただけなの。」
 クリフトは、窓をひょいっと乗り越えて、庭に下りた。
「アリーナ様は、お花が好きですか?」
 笑顔の問いに、アリーナは戸惑いながら答えた。
「うん…きれいだもの、うれしくなるもの。クリフトも、お花、好きでしょ?」
「そうですねえ…綺麗ですけれど、私は空の方が好きです。」
「え…?」


戻る 目次へ トップへ HPトップへ 次へ

   
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送