〜 28.イエローオーブ 〜


 牢屋の空気が凍りついた。一瞬固まったクレアが、唇を押さえながら引き込まれた牢から、這うようにあとずさる。
「ボクは、ずっとクレアさんが好きでした。だから、もしクレアさんがボクを選んでくれるというのなら、 ずっと一緒にいてくれるっていうなら、ボクはここから出ます。一緒に行きます。」
 ドーゴはクレアの目を見ながらそう言った。
 まっすぐな青い髪。華奢な体つき。触れた唇は薄桃色で、とても柔らかい。戦っているはずなのに、爪先までも とても綺麗だと、ドーゴは思った。
 だが、その可憐な顔に浮かぶ表情がとても悲しくて、また膝を抱えてうつむいた。
「でも、そうじゃないなら、ボクをほっておいてください。……そんな優しさは、残酷なだけですから……。」
 突然そんなことを言われて、クレアの頭が真っ白になる。
 全然気がつかなかった。そんな風に想われているなんて。頭がくらくらする。
 ドーゴがうつむきながらもちらちらとこちらを見ている。好いて、くれているのだろう。自分のことを。それは、 とても嬉しいことで、でも……。
 それでも、答えは一つしかない。どれだけ間違っていても、見捨てることになったとしても。ドーゴの 気持ちを否定することになっても。
「ご、ごめんなさい!!わ、私は想いを受け取れません!で、できません、ごめんなさい!!」
 ぼろぼろと大粒の涙をいくつもこぼし、クレアはそのまま身を翻して牢屋から走り去った。

「クレア!!」
 エリンはその後を追いかけようとして、意外なことに動こうとしないルウトを見やる。
「ああ、悪い、追いかけてやってくれないか?エリン、あとカザヤも。多分船だと思うけどな。」
「いいけど、ルウトにーちゃんはいいの?」
「ああ、オレはここでやることがある。」
 ルウトはぎらりとドーゴをにらんだ。エリンはそれを意外に想う。
「意外ね、貴方は何よりもクレアを優先すると思っていたわ。」
「当たり前だろ。……でもクレアは意外とガンコだからな。多分、今オレが行っても会ってくれないだろうしな。 ちょっと落ち着かせた方がいいんだ。」
 何もかも分かり合ったような発言に、エリンは小さく笑うと、クレアの後を追いかけた。カザヤもその後に 続こうとし、思い立って振り返る。
「ルウトにーちゃん……ほどほどにね。」
「おーう。」
 ルウトの気のない返事を聞いて、カザヤはエリンの後を追いかけた。


「さて、と。」
 エリンとカザヤが立ち去ったのを見送ると、ルウトはドーゴに向き直る。それを見て、ドーゴはあからさまにびくっとした。
「いい度胸だ、ドーゴ。お前には世話になったが、それでも許せることと許せねぇことがあるんだぜ?」
「……前払いですよ。」
 ドーゴがふいっと横を向きながら、すねたように言った。
「ああん?どういう意味だ?」
「ここから北に、ボクが昔使っていた屋敷があります。そこの謁見室の椅子の裏側には物を隠せるようになっていて、そこに 昔買い取ったイエローオーブをしまってあります。」
「見つかったのか……。」
「その事は誰にも言ってませんから、まだあるはずです。……さっきのキスはイエローオーブの代金だと思ってください。 高かったんですから、あれ。あれを買ったことも革命の理由の一つだったそうですし。」
 おそらくだからイエローオーブのことは今まで触れなかったのだろうとルウトは思った。それを言ってしまえば、 クレアは気に病むだろうから。
 ドーゴは本当にクレアのことが好きだったのだろう。だがそれとこれとは話が別だ。
「……キスの事は別にいい。」
「え?」
 ルウトの言葉に、ドーゴは意外さのあまり身を乗り出す。
「クレアの体はクレアのものだ。クレアがそのことについて抗議しないなら、オレがとやかくいう問題じゃない。まぁ、 妬けるし、むかつくけどな。」
「じゃ、じゃぁ……?」
「オレが、怒っているのは、……よりにもよってオレの目の前でクレアを泣かせやがったことだ!!!さぁ、覚悟はできてんだろうな?!」

 そうして牢屋に轟音爆音が響き渡る。あまりの音に怯えていた番人が、音が収まった後に尋ねると、黒髪の男とすれ違い、 その後には気絶したドーゴとあちこちすすだらけになった牢屋が残るのみだった。


 船の自室で、クレアはベットに上半身を預けながら泣いていた。
 いつから想ってくれていたのだろうか。自分はどれだけ無神経な行動を取ってきたのだろうか。どれだけ 傷つけたのだろうか。
 思えば、この街のことも、自分のためだったのかもしれない。そんな風に想ってくれていたのに、何一つ相手に 返すことができない。
 それどころか、……嫌だと思ってしまったのだ。キスされたことが。
 相手は想いをぶつけてくれたのに。自分の心の中に一番最初に浮かんだ事は、ルウト以外とは嫌だと、そう思ってしまったこと。 今も思っている事。そんな薄情な自分がまた悲しくて。
「クレア。大丈夫?ここ、開けてくれる?」
「だ、だめです、エリン。だって、私、ひどい、女なんです。……ルウトにもきっと嫌われてしまった。どんな 顔をしたらいいか、私にはわからないんです……。」
 クレアはそう言って、何度話しかけても扉を開けようとしなかった。強引に入る事はできるが、そんなことをして またどこかに行かれても困ってしまう。
「困ったわね、どうすればいいのかしら。」
「本当だよね。まぁ、僕達にできることなんてないと思うよ。……ただ一人で泣くのって寂しいから、ルウトにーちゃんの 代わりに、扉越しでも側にいてあげたらいいんじゃないかな。」
 カザヤは子供じみた笑顔で、そんな大人びたことを言いながら、クレアの部屋の扉の前に座る。
「ねぇ、クレアねーちゃん。ルウトにーちゃんはクレアにーちゃんを嫌いになったりするはずないよ。」
「っく、ひっく、で、でも、私、他の人に……。」
「だって、クレアねーちゃんはルウトにーちゃんが同じことされても、嫌いになんてなれないでしょ?」
「いい事いうな、カザヤ。」
 そこに割り込んだのは、両手にイエローオーブを抱えた、ルウトだった。
「あら、ルウト。イエローオーブあったのね。」
「ああ、ドーゴが見つけて買ってくれてたらしい。これであと一つだったな。」
 ルウトはエリンにイエローオーブを渡し、クレアの部屋の扉をノックした。

「クレア。」
「ルウト……。私……、」
「愛してる。」
 クレアの言葉の先をふさぐように、ルウトは強く言い切った。
「……ルウト……?」
「愛してる。誰よりもだ。ドーゴなんかより、ずっとずっとずっと、クレアを愛してる。……ごめんな、泣かせて。」
「そんな、ルウトは……。」
「守るってずっと言っておいて、もう、オレのこと幻滅したか?」
 その言葉に、がちゃりと音を立てて扉が開く。そこには、赤い目を更に真っ赤にしたクレアがいた。
「そんなことありません!ルウトは優しくて強くて……私だって、ルウトが好きで……ルウト以外にキスなんか、されたくなくて ……そんなこと思ってしまうなんて、ドーゴさんに申し訳ないですけど、でも……。」
 ルウトはクレアを抱きしめる。ルウトの後ろできい、と扉が閉まった。どうやらカザヤが閉めてくれたらしい。
「オレだってそうだ。こんなことオレが思う資格もないのに、嫌だった。」
 ルウトはそう言うと、クレアの唇にキスをした。ドーゴがしたのよりも、もっと長く、熱いキスを。
「ルウト……。」
「消毒だ。悔しいからな。」
「……ルウト……。」
 舌を出して小さく笑うルウトに、クレアは今まで泣いていたことも忘れて笑った。


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