〜 42.クレア・トーヴィー 〜


 悪い夢じゃないかと思った。

 かつて、父が言っていた言葉。
「クレア、剣というのはね、本当に強い危険なものだ。抜き身で持っていれば、ほんのちょっとしたきっかけで人を 殺めることが出来るものだ。だからこそ、その持ち主はそれより更に強い心を持たなければならない。 剣より強い心を持った人間だけが、剣を扱うことを許されるのだよ。」
「お父さんは、強いんですね!」
 きらきらと目を輝かせるクレアを、父はゆっくりと撫でてくれた。その大きな手のひらを覚えている。
 結局自分は刃のついた剣を持つことを拒んでいた。怖かった。自分の心は強くない。
 勇者になんて、なりたくなかった。戦いたくなんかない、旅になんて出たくない。ずっと母と一緒に 家で料理をしたり、裁縫をしたり、掃除をしたりしていたかった。
 世界なんて、自分には救えない。けれど、それを拒む勇気すら自分にはなかったのだ。


 白身魚のパイ、フルーツサラダ、鶏肉のシチュー、くるみパン、桃のケーキ。
 テーブルに並べられた数々の料理を、母は満面の笑みで取り分けていく。
「さぁ、全部貴方の好物でしょう?クレア。たっぷり食べてね。」
「うん。」
 確かにこれは、全部クレアの好物だった。ルウトではない、クレアの。それが嬉しくて。
 そしてそれ以上に、クレアが好きだったのはこれを母と一緒に作ることだったことが悲しくて、 クレアは涙でつっかえながら、なんとか料理を流し込む。
「クレアも立派になったわね。お父さんが見たら、きっと驚くわ。」
「お母さん……お母さんには、私がどんな風に見えているの?」
「何を言っているの?」
 いぶかしげに言う母親に、取り繕うようにクレアは微笑む。
「この旅できっと色々変わったと思うけど、毎日見ているから私には分からないの。お母さんには どんな風に見えてるかなって。髪の色はどうかしら?……すっかり日にやけて色も落ちてしまったかしら?」
「そんなことないわよ。お母さんと同じよ。旅に出る前から変わっていないわ。」
 その言葉を聞いてホッとする。だが、母は続けた。
「でも背は随分伸びたわね。抱きしめたときに、旅に出る前よりずっと筋肉が付いたのも分かったわ。もうお父さんと 同じ位の身長かしら?」
「……そう、かな……。よく、わからない、わ……。」
 母には、目の前の自分がどんな風に見えているのだろう。青い髪のルウトなのか、それとも、顔は自分なのか。 ……それでも、ありのままの自分ではないことが分かる。分かっていたことだ。ずっと前から。
「でも本当に魔王を倒してきたのね。母さん鼻が高いわ。でもそうよね、父さんと母さんの子ですものね。」
「ねぇお母さん……。」
「なぁに?」
 クレアは食事の手を止めた。
「お母さんは私のこと、愛している?」
「もちろんじゃない、どうして?」
 クレアは激しく鼓動する心臓を押さえながら、ゆっくりと言う。
「……たとえば私が女の子で、剣も握ったことがない、戦うのも嫌いで料理とか家事が好きな子だったとしても お母さんは私を愛してくれた?」
 神に祈るように答えを待った。その時間は一瞬。それでもそれは百億の時を経たような気分だった。
 けれど母は結局きょとんとした後、柔らかな優しい笑顔で答えたのだ。
「なぁに、当たり前じゃない。愛しているわよ、クレア。」
 クレアはがたんと椅子を倒して立ち上がる。
「クレア!!」
 二人っきりにしてやろうと見守っていたらしき 祖父が呼びかけるが、クレアはもうここにはいられなかった。泣きながら、玄関から飛び出していった。


 即答したのは、できたのは、本当だと思っていないからだ。『クレア』は『息子』で『立派な勇者』。それが 真実だと思っているからこそ、躊躇わずにそう答えられた。
 躊躇って欲しかった。考えて欲しかった。戸惑って欲しかった。
 所詮は勇者としてしか、もう愛されていないのだ。
 クレアは走って走って……皮肉なことに、それは母に言いつけられたジョギングのコースだった……嗚咽が こみ上げてきて、立ち止まった。
 それは、かつてあの優しい手が、自分を包んでくれた場所。
 その草むらに隠れるように座り込んだ。もう、何も考えられない、考えたくなかった。


「クレア?!どうしたんだ?」
 顔を上げるとすぐ側に、ルウトがいた。思わず、助けを呼ぶように声をあげる。
「……る、う、と……。」
 ルウトはクレアを抱きしめる。今までの悩みなど吹き飛んでいた。クレアを守りたい。全ての苦しみから解放したい。 それが駄目なら、せめて包み込みたい。自分の体温に安らぎを少しでも感じられたらと、ルウトは優しく包み込む。
「大丈夫か?クレア?……オレが側にいるから。」
 クレアは小さく頷いた。そして胸にすがり付いて泣き出す。それを見ていると、それを感じていると、それだけで ルウトは今までの凍りついた心が溶けていくようだった。
 自分を認めてもらえるというのは、それだけで人を強くする。……だからこそ、クレアは今泣いているのだろう。 それが分かっているのに何も出来ない自分が歯がゆかった。
「バラモスを、倒したら、きっとお母さんもわかってくれるって、元に戻ってくれるって、思ってたのに……。」
「オレも、そう思ってた。倒しさえすれば全部上手くいくって、そう思ってたのにな。ごめんな。」
 謝るルウトに、クレアは首を振る。
「……ルウト、私、どうしたらいいのか……わからない……。」
「うん、オレもだ。」
「……異世界なんて怖い。あんな強い魔王になんて私なんか、なんにもできないもの……。」
 クレアはルウトの胸にすがりつき、すすり泣く。
「でも、でも、きっとここにいても、ここにいたって……苦しいだけ……。どうしたらいいの、 どうするのが正しいの……どうしたら、幸せに、なれるの……?私は、お母さんに愛して欲しい、だけなのに……!」
”ならば、一つの道の標を見せよう”
 頭の中に声が響いた。暴風が二人にぶつかる。振り返ると、そこには地面に降りようとするラーミアの姿があった。


 降り立ったラーミアに、思わずルウトは間抜けな声をあげる。
「お前、話せたのか?」
 ルウトの言葉に、ラーミアの声が頭に響く。
”人の言葉を発する事はできぬがな。……乗るが良い、勇者よ、そしてその片割れよ。”
「クレア、行くか?」
 ルウトの呼びかけに、クレアはこくんと頷く。二人がラーミアに乗り込むと、ゆっくりと浮かび上がり飛び出した。
「どこに行くんだ?まさかギアガの大穴か?一度入ったら戻れないんだろ?」
”それは違う。今はまだ、呪文などで戻る事は可能だ。だが、あれはゾーマが強引に開けているもの。倒した暁には 自然にふさがり、戻る事は叶わなくなる。”
「倒してしまえば……帰れないんですね?」
”その通りだ。よく考えて行くが良い。そして今向かう先は、また別なところだ。”
 その言葉どおり、ラーミアは北へ向かっている。二人は静かにラーミアの背から世界を見た。
「クレア……。」
「ルウト?」
「誰がなんて言おうと、この世界をオレとクレアとエリンとカザヤが救った事は事実だ。それはさ、自信持っていいことだと 思うぜ。」
 クレアは、やがて夕焼けにそまりつつある海を見る。
「でも、私は何もしていないですから……。」
「そんなことはないぜ。エリンだってカザヤだってそう言う。一緒に旅してきたことを否定されたら寂しがるんじゃねぇか? それで十分だ。」
「……そう、かしら……。」
 ルウトはクレアの肩を抱く。
「オレは楽しかったぜ。四人で旅することが。あの二人もそういう。それはクレアもいたから楽しかったんだ。 もちろんあの二人もだ。旅が楽しいって言うのは大事なことじゃないか?」
 クレアは、ようやく小さく頷いた。
”目的地に着く。降りるぞ。”
 ラーミアに言われ眼下を見ると、高い山の中央に不思議な城があるのが見えた。
「ここは、どこなんですか?」
”竜の女王の城だ。お会いすると良い。”
 城の玄関前に降ろされたクレアの言葉に、ラーミアはそう答えた。


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