〜 春風来たる 〜


「貴女がエリン・ケイワーズ?」
 仕事が終わり、与えられている自分の自室に書類を持って帰ろうとしたところ、部屋の前でそう声をかけられた。
 可愛らしい女の子だ。年齢的には自分より5つくらい下だろうか。身なりのよい格好をしているが、生粋の 貴族とは違う。どちらかというと商人の娘だろう。それも城に出入りを許されるほどの大きな家なのだろう。
 金色の頭に大きなリボンをつけ、フリルのついたドレスを着ている。お嬢様を体現したようなその少女だが、 肌の色が少しやけている事に疑問を感じた。
(農場関連の商人で、意外と気さくな子ということなのかしら?)
 明らかに少女はこちらに敵意を持った目を向けているが、エリンにはまったく覚えのない顔だった。
「……どうなの?」
「ええ、そうです。私がエリン・ケイワーズです。貴女は?」
 そう言って、一応礼儀として頭を下げると、少女はじろじろとこちらを品定めし、見下したように笑った。
「なぁんだ、ただのおばさんじゃない。どうしてこんなおばさんがいいなんていうのかしら。私の方が ずっとずっと可愛いのに」
 そうあざける少女を見て、エリンはむしろ胸をなでおろす。こんなこと、王子に求婚されてから両手両足の 指では足りないほどあった。
「つまり貴女は私にどのようなご用件でいらしたのでしょう?」
「知っているのよ。貴女がえこひいきで不当に今の地位にいるってこと。貴女なんか、 ちっともふさわしくないのに。私の方がずっとずっと可愛いのに」
 エリンは微笑む。こんなこと、何百回も言われている。貴族の嫌らしい言い方に比べれば、真正面から 言ってくるこの少女が可愛らしかった。
「不当かそうでないかは、私に給料を払う人間が決めることだわ。えこひいきと言われるけれど、 王子に求愛をされたければ私に言われても困るわ。私はちゃんと断ったのだから、ダニエル王子に言って頂戴」
「……別に会ったことのない王子なんて、どうだっていいわ。いいじゃない、王子様に求婚されているのなら、 結婚すれば。貴女程度の人間が断るなんて恐れ多いことでしょ。その代わり……」
 語りだす少女の言葉を、疾風のように迫る人物が止めた。

「アン!何やってるんだ!!」
「きゃ!」
 くいっとエリンの腕を引き、その人物は自分を庇うように少女と自分の間に割り込んだ。
「どういうつもりなのさ?アン?エリンに迷惑をかけたら許さないと言っておいたはずだけど?」
 年は少年と青年の間くらいの男だった。少女よりもさらに妬けた肌には、あくまでも実用的な筋肉が ほどよく付いている。自分よりも15センチほど高い身長もあいまって、見た目はスマートにさえ見えた。だが、 その腕や首をみると、たくましいといっても足りないほどの筋肉があることが伺える。
「だって……だって貴方が船を降りるのはこの女のせいでしょう?!」
「勘違いしないで。俺が船を下りるのは俺のためだよ。そして君のせいだ」
 その言葉に、アンと呼ばれた少女の目から涙がこぼれる。
「私のせいって……」
「君が自分で父親に言ったことだろう。俺が君の恋人にならないなら船を下りてもらうことになるって。俺には それは受け入れられないから、船を下りる。それだけのことだ」
「どうしてっ!ひどい!私、こんなに貴方のこと好きなのに!こんな女よりずっとずっと貴方のこと好きなのに、 誰よりも大好きなのに!どうして!!」
「簡単だよ。俺は君の事好きじゃないから。それだけ」
 気がつくと自室の前で、修羅場が繰り広げられていた。いつもならばそのまま無視して部屋に入るところだが、 エリンはあえてそれを見守っていた。
「ひどいひどいひどい!こんな女のどこがいいのぉ!!」
「エリンに対してそれ以上ひどいことを言うなら、力づくでここから放り出すよ。それが嫌ならエリンにあやまって ここから出て行って」
 覚悟の篭った声に、アンは本気を感じたのだろう。そのままその場所から走り去った。
 それを見送った後、男はこちらを向き直る。
「……迷惑かけてごめん。……困ったな、こんな再会のつもりじゃなかったのに」
 困ったように笑うその笑み。それは覚えのある幼い顔つきとは違うけれど、それでもエリンが間違える はずがなかった。
「いいえ。元気そうで嬉しいわ、おかえりなさい、カザヤ」


 エリンの部屋で、カザヤは出された紅茶をゆっくりと飲む。
「ひさしぶりね。いつ帰ってきたの?」
「今日だよ。ついさっき。もうちょっと落ち着いてから挨拶に来るつもりだったんだけど、アンがいつの間にか姿を消していて ……ごめんね、エリン」
 面と向かって呼びかけられ、エリンは少しだけ目を丸くする。手紙では確かにそう書いてあったが、面と向かって呼びかけられると やはり少し違和感があった。カザヤもそれに気がついたのだろう、申し訳なさそうに聞いてきた。
「あ、嫌だった?もう俺も声変わりしたし、体格も違うし、子供みたいに呼びかけるのも変かなって思ったんだけど」
「いいえ。カザヤがそう呼びたいならかまわないわ」
「そっか」
 カザヤは嬉しそうに笑う。その表情がやっぱり昔のままで、エリンは微笑んだ。
「変わっていないわね、カザヤ」
「……そう、かな?成長したって自信あったんだけど。」
 エリンの言葉に意外そうにカザヤが言った。がっかりしたのだ。
「そうね。すごく背も伸びたし、たくましくなったわ。目を見張ったもの」
「そっか。もしかしたらエリンが俺のことわかってくれなかったら、どうしようかなって思ったんだけど」
「それはないわ。だって私がカザヤのことわからないはずないでしょう?表情も行動も変わっていないもの。それが 嬉しいわ、カザヤ」
 そう微笑まれ、カザヤも微笑む。計画通りに行かなかったけれど、まぁいいや、なんて思ってしまった。

 別人のようになりたかった。側にいていつまでも弟のままでいたくなかった。離れて成長して、もう一度 今度こそ対等の男性としてみてもらいたかった。
 本当はもう少し間をおく予定だった。だが今帰ってきたのは、先ほどのアンの問題と。
「……あのさ、エリンは、聞いた話なんだけど、婚約、したって?この国の王子と……」
「していないわ。申し込まれたけれど断ったわよ。……まぁ陛下も殿下も諦めていないとおっしゃって いらっしゃるそうだけど」
 エリンの言葉に、カザヤは胸をなでおろす。エリンは微笑んだ。ずいぶんと大人になったと思うが、 こういう素直なところはやっぱり変わっていない。
「……そういえば、先ほどの少女はどなた?カザヤと知り合いということは船に乗っていたの?」
「あ、アンは船長の娘なんだ。ほら、前にも行ったけど、こっちのルーラは印みたいなものがあれば、 船に移動ができるみたいでさ。報告役にくっついて、時々船に乗ってきてたんだよね」
 どうやらこちらとは同じ呪文でも、使い方しだいで別な作用が働くようだと、エリンもわかっていた。ルーラに ついてもその一つだ。
「こちらのルーラはおもしろいわね」
「俺は良く分からなくて申し訳ないんだけど。……それで、一番年下で年が近いのが俺だったから、なんだか懐かれちゃって……。 一度ちゃんと断ったんだけど船長もしつこくて……それに皆が余計なこと言うもんだから……本当にごめんね、エリン」
「いいのよ、気にしていないわ……船を下りるの?」
 心配そうなエリンの言葉に、カザヤは少し寂しそうに笑う。
「うん、……でも別に、アンのせいじゃないんだ。頃合だったから。一応見たいところは全部回ったかなって」
「そう。やっぱりだめだったのね?」
 カザヤが帰ろうとしていたことは知っていた。そして送られてくる手紙に、その報告がなかったことも。
「うん。多分、俺には無理なんだ。なんとなくそう思う」
 そう言って、カザヤは以前よりずいぶん長くなった手を伸ばす。その手は、2年前よりずっと大きかった。
「カザヤには?」
「うん……なんとなくの感覚なんだけどね。俺の手は、きっと上には届かないなって。だからわかったからいいんだ」
 そう言って、カザヤは伸ばしていた手を握り締めておろした。
 カザヤの言っていることは、わからないようでなんとなく分かる。けれどそれを言葉に出してはいけないことも、 エリンには分かっていた。
「良いの?」
「うん、約束だったからね。それを果たしたからもういいんだ。今は、ただ」
 カザヤはエリンの手を握る。
「側にいたいなって、そう思うよ。だめかな?」
 手を握られて、エリンは小さく笑う。その手は暖かくて、確かな現実感を持っている。
「どうかしら。私は多分手ごわいわよ?」
「うん、覚悟してる。それでも俺は、エリンが好きだから。同じ気持ちを持って欲しいから」
「同じ気持ちかはわからないけれど、カザヤが帰ってきてくれて嬉しいわ」
「うん、絶対に惚れさせるから!俺はしつこいからね。それで絶対に幸せにしてみせるから」
 エリンはするりとカザヤの手をほどき、立ち上がった。
「せっかくだから受けてたってあげるわ」
 守ろうとしてくれた背中に、嬉しさとたくましさを覚えたことは内緒にしておこうと思いながら、エリンは そう宣戦布告を受け止めた。

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