「大丈夫ですか?姫?」
「もう、アレフ様。ローラと呼んでくださいませ。…ええ、大丈夫です。」
 竜王の結界が解かれた事で、ある船は海の幸を求め、そしてある船は新たな世界を求め 船出していた。
「私が生まれた頃には、既に船なんてほとんど出航されておりませんでしたから、新鮮でしたわ。けれど…」  周りの緑を見渡す。
「こうやって毎日移り変わる景色の方がもっと素敵ですわ。 世界は、とても綺麗ですわね。見たことのない景色…とても素敵だと思いますわ。」
「そうですか…それはよかった。」
 今のローラはサフランで染めた布製の服を着ていた。動きやすいように裾は長くない、一般市民と さして変らない格好だった。シルクの美しいドレスを着ていたローラは、いまやどこにもいない。
 だが、そう言って笑うローラを、アレフはやはり今まで見た女性の中で一番綺麗だと、そう思った。
 この姫は、魔法使いなのだろうか?
 ただ、生きるために旅をしていた頃と、今、この女性を守る為に旅をしている時とはこんなにも世界自体が違って見える。 …そんな魔法を使っているのではないだろうか?
 だからこそ、何よりも恐れる事があった。


「ローラは…どうして止めなかったのですか?」
「何をですの?」
「俺が、王の誘いを断って、旅に出るといったときです。ローラ、貴女は一度も止めませんでしたね。 旅に出たかったのではないのでしょう?でしたらどうして私を止めて共に暮らしてくれるように頼まなかったのです?」
 ローラはくすりと笑った。
「私が止めて、聞いてくださいましたの?」
「わかりません。」
 確かに、自分は決心を固めていた。だが、それは、もう二度とローラに会わない為だと言ってよかった。にもかかわらず 今こうして共に歩いている。だから、分からないと言うしかなかった。
「もし、貴女に止められていたら、私はあの城に留まっていたかもしれません。」
「そうですね、留まってくださったかもしれません…ですけれど。」
 ローラは笑った。
「それもわずかな間ですわ。きっとすぐにアレフ様はいなくなってしまわれます。」
「城は、窮屈でしたか?」
 ローラは、少し笑顔を治めて、アレフに向かい合った。
「…アレフ様。私、思いますの。私、あそこに捕らえられてとても辛かった、苦しかった…けれど、 城の中にいて毎日同じ風景を見て、同じ日常を送っている日々と結局変わらないのかもしれないと…」
「姫…」
「誤解しないで下さいましね。それが嫌で逃げてきたわけじゃありませんわ。自分自身で選ぶ事が、 きっと大切なのだと思いますの。アレフ様が新たな旅をする事をお選びになられたように、例え なんと言われようと付いて行くことを私は、選びました。逆に例え、 私があの城にいる事を選んでいたなら、きっと意味のあることですわね。」
 それは、アレフにも良く分かる事だった。竜王を倒すことを、自分で選んだ、あの瞬間を今でも 覚えているから。例え、あそこで力つきて倒れてしまっても、それは自分の人生において、意味の あることだったのだと、自信を持って言える。
「ラダトームは歴史高き城です。私はかつて、それが誇りでした。ですけれど、アレフ様に古い歴史を 受け継ぐ事は似合いませんわ。」
「俺は、ロトの末裔ですよ。」
「アレフ様は、その事実をどうお考えですか?」
 アレフは少し考える。
「…そのことに意味があるかはわかりませんが、俺がロトの末裔だったから、俺自身の手で 竜王を倒せたのですから。会った事ないけど、俺は先祖をそれなりに誇りに思っています。」
 ローラは少し考える。そして、ゆっくりと語った。

「あの城は、誇りに溢れた城。そして、その誇りがゆがみ、驕りになってしまった城。 私やお父様は無意識に…自身が世界を統べるものだと思い込んでしまいましたわ。 事実、世界でも権力をもった国でしたから。…ですが、私は気が付きませんでしたの。 その権力、歴史は自分の力ではありません。先人達が築きあげてくださっただけのものだと…」
「それは…」
「アレフ様、ローラは囚われて初めて判りました。ローラはとてもちっぽけで、何の力もないのだと。そして、 お父さまもきっと、気がついたのでしょうね、自身の無力さに。」
 その眼は遠く、アレフに見えないはるか彼方を見ているようだった。ローラはとても普通の女の子に見えるけれど、 どこか深遠なものを見る力を持っているようにアレフは思っていた。
「お父様は恐れました。この歴史あるラダトームが力が無い事を他に知られることを。ですから私がアレフ様を慕っている事を 喜び、アレフ様という力を得ようとされたのです。…けれど、例えアレフ様がラダトームに来ても、 それが自分の力になるわけじゃありませんのにね。」
 ローラはどこか寂しそうだった。考えてみれば、ローラは父と生き別れになってしまったも同然なのではないだろうか。
 華やかな色のドレスを纏い、傅かれて生きている以前を捨てて、今、黄色の粗末な服を見に纏い、自らの足で歩いている。
「ラダトームは、歴史を守ろうとする城。 けれど、与えられた力を受け入れ、ただ歴史を守る為に生きることはお似合いにならないと思ったのです。」
 アレフは考えた。考えて見ると、何かに執着した事があっただろうか?
「そうですね、性に合わないかもしれません。自分の力で、何かを手に入れたい、そう思います。」
 考えてみれば、自分はずっと城に座って民から税を搾取する貴族達をバカにしていたような気がする。その自分が 王の椅子をホイホイ与えられて操り人形になること…今考えても想像つかない。
「私は、そんなアレフ様が好きです。ですから、私が好きな方と側にいるために、私は選んだのです、城を出ることを。」
 そう微笑むローラはとても強い意志を眼差しに湛えていた。
 自分も、そんなローラが好きだった。あの、辛い状況にあってなお、死を選ばず、助け出された自分に礼を 言ってくれた、そんなローラが。
 だからこそ、アレフはローラに語りかけた。


「けれど、ローラはいつか後悔されるかもしれませんね、俺と、一緒に旅に出たことを。」
 一度、手に入った幸せが、砂時計のように少しずつ零れていくのではないか。それが、アレフにとって、最も恐ろしいことだった。
「そうですね…判りませんわ。永い時が過ぎれば、もしかしたらそういうこともあるかもしれませんわね。」
 さらりと言ってのけるローラ。そして、誤解を産まぬよう、話を先に進める。
「けれど、今、私はアレフ様と共に生きたいと思います。ともに歩んで、新しい国を一つずつ作り上げていく幸せを 考えると、心がはずみます。その今の心を忘れなければ、大丈夫なのではないかと、私は信じたいですわ。」
 アレフにとって、自分の国を作るというのは、半ば、でたらめに過ぎなかった。
 だが、そうやって微笑むローラの為なら、それも悪くないような気がしてくる。
 もし、この姫と国を作り、子を為し、全てを幸せに出来るなら。その幸せを、一つずつ、新たに 築き上げることができるなら。
「そうですね、俺も信じたいです。」
 そう言って笑うアレフが嬉しかった。ローラはその、粗末な黄色の服をひらりと広げて、笑う。
「ねえ、アレフ様。ローラはこの服、気にいっておりますのよ。たとえ黄金で作られた服でもローラはこの服 と変えたくありませんもの。だってこの服は、アレフ様が買ってくださった服ですものね。この時間もそうです。 たとえどんな豪奢なものに囲まれていても得られなかった、大切なものです。ローラは生涯忘れませんわ。」
「…そうですね、俺もそう思います。」
 そう言って、ローラを横抱きにした。
「あ、アレフ様!?」
「足にマメが出来てらっしゃるでしょう?ローラ?無理は駄目ですよ。」
 そう言われて、顔を赤くさせる。
「私が、無理してついて来させていただいたのに…情けないですわね…お荷物にしかなりませんわ。」
「いいえ、この荷物が、俺に力と希望をくれる。俺は、今まで何かに執着することはありませんでしたが、 貴女だけは守りたいと思います。そして、いつか出来た国を、ローラと同じように愛せれば、 きっと良い国にできる…そんな気がする。だから、ついてきてくれ、ローラ。」
 ローラは微笑んだ。初めて、初めてアレフが敬語でなしで話してくれた。そのことが、嬉しかった。
「はい、どこまでも、ついてまいります。ローラのたった一人の勇者様…」

 そうして歩くと、だんだんと小さな村が見えてくる。

 レシアと、呼ばれる村。

 そして、建国の王と呼ばれるアレフが、やがて治める事になる国と場所が、ゆっくりと見えてくる。

 アレフは、そんな未来も知らず、ただ腕の中の黄色の宝物を、しっかりと抱きしめた。


 
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