無意識に避けていた事は認めたくない事実だった。
 考えたくなかった。考えるのが嫌だった。
 二つの大陸の理由を知ってから、ますますそこに行くことを避けていた。
 もう一つの自分。本当の自分…


 そこは、余りにも見慣れた故郷だった。
 のどかな家並み、機織の音。唯一つ違うのは、皆の奇異な視線。みんな、知ってる人たちなのに。 それが余りにも痛かった。
(ここに、もう一人の俺がいるのか。)
 さっき遠くから見た自分。それは仲間に『猪突猛進』とからかわれる自分とは余りにも違いすぎていた。
 そして、もう一つショックだった事。ランドのきつい目線と言葉。『自分』に言っているのでは ないことは、よく判っている。けれど、それは確かに『エイル』に言っていて。
 多少のことではへこたれない自信があったが、それでも『見慣れた人間』が自分を知らないという事には 、焦燥と悲しみを覚えた。
「行こうぜ、エイル。とりあえずターニアちゃんの所へ行くか?」
 ぽん、と背中を叩いたのはハッサンだった。ここでぼんやりとしている自分のおかしさに気がついているのだろう。 それでもハッサンは何も言わずにいつも通り笑っていてくれた。
(ハッサンも、自分が何かわかったとき、ショックだったんだろうな…)
 その時の自分はハッサンの気持ちが思いやれなかったのに。それでも
「うん、行くさ。」
 その友情に感謝して、エイルは歩きなれた村を藍の髪を揺らしながら、一直線に進んだ。


「あれ?エイル兄ちゃん、今出ていったと思ったのにまたもどってきたの? 忘れ物?村長さんの家に行くって言ってなかったっけ。」
「あ、うん、ターニア。」
 ターニアは変わらなかった。エイルはほとんど泣きそうになった。
「どうしたの?…さっきすごく思いつめた顔をしてたからなんだろうって思ったのよ。 もしランドになにかいわれたことだったら気にしないでね。ずっと一人だったから、エイル兄ちゃんが 来てくれてすっごく嬉しかったんだから。 最近ね、エイル兄ちゃんがホントのお兄ちゃんのように思えてきたの。」
 その笑顔が嬉しくて、まぶしくて、…辛かった。
 楽しかったあの日々は、ただの幻だったのだと、そう告げられた。
「じゃあ、ちょっと出かけてくるよ、ターニア。」
「うん、エイル兄ちゃん、いってらっしゃい!!」
 エイルは後ろを見ずに家を出た。
 どうだった、そう言いたげな仲間達がいた。
「…変らなかったよ、何一つ。『エイル』がどこにいるかは判った。…行くさ。」
「そうか。そうだな。それでこそお前だよ、エイル。」
 くしゃりと、ハッサンのたくましい腕がエイルの髪をぐしゃぐしゃにする。
「そうさ。これでやっと、はっきりするんだ。ここで逃げてたまるもんか。」

 そこは、通りなれた道だった。かつて、初めて一人で村を降りるとわくわくしながらこの階段を登った時を思い出す。
 だが、ここはその場所とは違うのだ。…ここは、そう、ここは、夢ではないのだから。
 申し訳程度のノックをして扉を開ける。藍の髪が見えた。
 そこには、あの時遠くで見た、『エイル』がいた。
「え?え?え? なんじゃ? なにごとじゃ? なぜエイルが二人いる!? ななな何がなんだかわからんぞ!?ううう……いかん熱が……これは夢じゃな!そうに違いない! 夢なら寝て見なくては……」
 そう言うと、村長はベッドへよろよろと飛び込んだ。自分達の村長より少しだけ老けて見えた。
「ボクが、もう、一人…?」
 そう、と自分が、こちらの世界の『エイル』がそうっと手を伸ばしてくる。自分をさっと手を伸ばす。
 一瞬手が触れる。すぐさま、離れた。
「キ キミは一体……うわぁっ!!イヤだっ!イ…イヤだーっ!」
 そういうと、『エイル』は駆け出した。扉を開けて、外へと出て行く。だが、動けなかった。
 あの一瞬。たった一瞬触れたとたん、自分の中に『何か』が入り込んできた。それは言葉では 説明しずらい、『記憶』や『感情』のうねりのようなものなのかもしれない。
 エイルはそれでも力を振り絞り外へ出て行く。そこには、仲間達がいた。
「やっぱりエイルじゃなかったのね、あの『エイル』は。」
 バーバラの言葉にエイルは頷く。
「あの『エイル』は、村の外に行ったわ。追いましょう。ようやく、エイルも本当のエイルになるのね。」
「本当の…」
 ずっと、ターニアの兄だと思ってた。それに疑問を感じた事は無かった。だが、良く考えてみれば 自分の父と母の記憶、ターニアの幼い頃の記憶が無い事に気がつく。それは、今入り込んできた 記憶が生々しいほどに語る。…あの、楽しい日々が『偽物』いや、『夢』だったことに。
 それでも、エイルの足は、勝手に村の外へと向かっていた。強く、或るために。

 ここも、何度も通ったことのある道だった。村の大人たちと、あるいはランドと。ちょっとした薬草を取りに行った事も あったし、ちょっとした息抜きをしに来たこともあった。
 そして、その途中の洞窟の奥に『エイル』はいた。
「………」
 なんて話して良いか、エイルには判らなかった。だが、反響した足音が向こうに居る『エイル』に自分の存在を 気づかせたのだろう。顔を上げて話し掛けてきた。
「…………。わかってるよ。キミもきっとエイルという名前なんだろう。 さっきキミに触れたとき全てがわかった気がする。たぶんボクとキミは一人の人間だった。 レイドックの王子、エイルジークだったんだ。ムドーと初めて戦うまではね。 そしてムドーがほろびた今、…ムドーを倒したキミとボクとは一つに戻らなければならない。…そう言いたいんだろう?」
 ためらいながらも、エイルは頷いた。あるべきものは、あるべきままに。それが、正しい姿だから。
「わかっているさ。でも怖いんだよ。ボクとキミが一つになった時、 キミがボクになるのか、ボクがキミになるのか……。もしかしたらそのどちらでもない別の人になってしまうのか……。」
 ドクン、胸が震えた。
 石像となっていたハッサンと違い、もう一人の自分には確実に意思があった。…それも、自分とは全く違う意思が。
「それでも、それでも逃げてたって何にもならない。…多分これから俺一人じゃ、正直辛い。悔しいけどさ。 真実を知って、併せ持った強さが、俺は欲しい。」
 だが、目の前の自分は首を振る。
「キミは強いからそんな風に言えるんだ!そうさ、ボクには判ってる!!きっと消えるのはボクだ!!だってボクが残ってたって 何の役にも立たないもの!!だけど、ボクは嫌だ!ボクは消えたくない!!ボクは今、存在しているんだもの!!!」
「そんなの、判らないじゃないか!!俺だって、消えたくない。それでもきっと、元に戻った方が…」
「いいなんて、どうして言える?いいじゃないか!!キミはそんなに強いんだ!僕がいなくたってきっともっと強くなれる!! ボクは今の生活が気にいってるんだ。だから……。キミが、エイルジークになってくれ。レイドックに戻って、 父と母と暮らしてくれ。それでいいじゃないか。今さらあの子を一人にしていけないし。だから……。」
 バタバタと、足音が聞こえた。
「エイル!!見つかったか?」
「あ、いたいた。ひどいよーエイルー」
「どうやら見つかったようね。」
 エイルは、やってきたみんなの方を向いた。
「いこうぜ、皆。もう、ここはいいや。」
「「「エイル?!」」」
「俺、頑張るからさ。もう、ここはいいよ。」
 そう言って、ハッサンの腕を掴んで洞窟を出ようとする。
「おい、お前それでいいのか?」
「いいさ、ハッサン。それとも今の俺じゃ不満か?」
「いや、そうはいわね―けど…」
 言葉を濁したハッサンだが、バーバラが叫ぶ。
「駄目だよ、エイル!!ちゃんと元に戻らなきゃ!!」
 ぐっと腕を掴んで奥へと引っ張る。
「いいんだ、ターニアを一人させておけないし。記憶がないのは大変だけど、きっと何とかしてみせるさ。 それほどこだわる事はないのさ、きっと。」
「駄目駄目!!駄目だよ!エイル!!そこに、ちゃんと体があるんだから!!」
「大丈夫さ、きっと上手くいくさ。だから、もう行こう。」

 そこに、声が割り込む。
「たい、へんだ――!お兄ちゃん、どこにいるの!?」
 子供の声だった。エイルはとっさに隠れた。探しているのは、多分こっちの『エイル』だ。 自分が二人居ては混乱させてしまうだろう。
 だが、子供はそんなことにかまっている余裕も無いようだった。
「たいへんなんだよ!村が…村が魔物に……!みんなして戦っているけどあのままじゃ……。」
『エイル』は一瞬身震いしたようだった。だが、顔を上げて叫んだ。
「わかった、すぐ戻る!!」
 そう言うと、近道になる、後ろの穴に飛び込んだ。子供も後を追った。もちろん、エイルやハッサン達も。


 そこは、まさに戦場だった。数々のモンスターが攻め込み、村人達は剣や斧…時には鍬や鎌を構えてモンスターたちと戦っていた。
「ターニア!!」
 エイルは叫んだ。こちらのターニアは自分の妹じゃないとか、そんなことは関係なかった。どの世界のターニアだろうが、 ここにいるターニアが自分のことを知らなかろうが、守らなければいけない存在なのだから。
「ここは私たちに任せて、エイルはターニアさんの所へ行ってあげて。」
 ミレーユの言葉へ頷き、エイルは走った。行く手を阻むモンスターを片っ端から切り倒し、家へと入る。
 そこには、震えながらも剣を持ち、今まで切り倒して来た敵とはレベルの違うモンスターに挑んでいた『エイル』がいた。
「キミも…来てくれたんだね…」
「俺も戦う。気に食わないかもしれないけど、ちょっとだけ我慢してくれ。」
 すぐ側で、ターニアが呆然としているのが見えた。敵は様子をうかがっている。 二人になったことで戸惑っているのか、ただ侮っているのかは、判らなかった。目の前に居るエイルが鋭い声を出す。
「ダメだ! こいつは強いよ。キミたちでも勝てるかどうか……。」
 そこまで言って、初めてまっすぐこちらを見た。どこか決意の篭った表情だった。
「でもボクとキミが一つになれば……。もしかしたら、敵に勝てるかも、しれない。」
 エイルは、驚いた。あれほど嫌がっていたのに。怖がっていたのに。
 エイルは、自分が『勇敢』でこの『エイル』が『臆病』なのだと思っていた。そうやって二人に分かれたのではないかと。 自分は、エイルジークが描いた『夢の自分』で、目の前の『エイル』は、その勇敢さが欠けた現実の『エイルジーク』なのだと 思っていた。
 だが、『エイル』はすこし戸惑いながらも、エイルに頼んだ。
「ねえ もしキミとボクが一つになってもボクの心が消えてしまっても…… ターニアのことを見守ってあげてくれると約束してくれるかい?そして…ボクが確かに、ここに居た事を、 どうか忘れないでいてくれるかい?」
 だが、違う。ここに居る『エイル』は、自分と違って『恐れを知らない』人間ではない。『恐れを知りながらも、 それを乗り越えていく』勇気があるエイルなのだ。そのどちらが、より勇敢かなんて、きっと比べられない。
「…君も強い、エイル。俺は、きっと君の事を忘れないさ。約束するよ。ターニアを見守って生きていくさ。 だから…エイル、君も約束してくれ。…俺の事、忘れないでくれ。」
「うん、約束する。ありがとうエイル。これで安心してキミと一つに…元に戻れるよ。 ターニア…… ボクは記憶をとりもどしたんだ。」
 話し掛けられて、やっと我に戻ったターニアが身を乗り出した。
「本当?」
 がちゃりと扉が開いた。村のモンスターを払いのけた皆が、こちらに来たらしい。『エイル』は初めて まともに見る、エイルの仲間たちに目をやった。
「ボクはレイドックの王子のエイルジーク。寝たきりになった父と母の呪いを解くためにムドーの島へ ムドーを倒しに行ったんだ。だけどそこでムドーのまやかしにかかって ボクの肉体と精神は……。」
「エ、エイル兄ちゃん?…何を、言ってるのかよくわからないわ。」
 混乱するターニアに、『エイル』は哀しい笑みを向けた。
「さよならターニア。少しの間だけどかわいい妹ができて嬉しかったよ。」
 それは、けして自分には出来ない表情だと、思った。仲間たちは、ただ、その光景を見守っててくれた。
「え?な、なに?」
 混乱するターニアに、かけてやれる声は、もうない。
「さあ、エイル…」
 二人はゆっくりと手を伸ばした。少しずつ、光が増していく。
「さようなら…エイル…」
 それはどちらの声だっただろうか。もう、判らない。

 そして、そこにはエイルジークがいた。たった、一人の。
 身が軽くなったのを感じた。少しだけ力強くなった気もした。
 そして、何よりも『心の強さ』を感じた。心が、はじけた。

「……。何がどうなったの?エイル兄ちゃんは……あ、あなたもエイルっていうんでしょ? エイル兄ちゃんなんだよね?」
 敵が居なくなった事が判ると、よろよろとターニアはこちらに問い掛けてきた。
「うん、ターニア。おれ…僕はエイルだよ。」
 その口調を聞いて、ターニアは哀しそうに言った。
「私にはわかるわ。あなたは今までのエイル兄ちゃんとは違う人なんだね… お兄ちゃん、もう、いないんだね…」
「違うよ、ターニア。おれは確かに今までのエイルとは違う存在だけど…ターニアのエイルは居なくなってなんか無い。 ちゃんと、ここにいるよ。」
「うん…でも…」
 しゅんとしょげるターニア。ずっと寂しかったのだろう。だが、自分は行かなくてはいけないのだ。
「今は、また行かなくちゃいけない。また帰ってくる。もし、今の言葉が分かってくれるなら… また、いつもみたいに『お帰り、エイル兄ちゃん!』って迎え入れてくれたら、おれは嬉しいよ。」
 それだけ言うと、エイルは『家』を出た。


 仲間が元に戻れた事を祝福してくれた。それは、とても嬉しかった。
 それでもエイルジークは、少しだけ泣きたい気分になった。祈りたくなった。

 藍の髪を持つ、たった一人の友への、遥かなる哀悼を。


50000 メニュー トップ HPトップへ
   
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送