たくさんの場所を旅してきた。
 たくさんの土地と、たくさんの時を体験し、数々の事柄を潜り抜けて、たくさんの事件を解決してきた。
 封印されたたくさんの大陸を甦らせ、たくさんの人たちを、幸せにしてきた。
 …そう思っていた。


 持っている石版。今までたくさんの石版を台座に入れてきた。『パズルみたいだな』なんて、 最初はキーファと言いながら、楽しんでいた。
 …そのキーファも、もういない。
「どうすることが、正しいんだろう…」
 自分がしてきたことが、人を不幸にしてないなんて、どうして言えるだろう?
 過去に歩んだ事を、これほどに後悔したのはこれで二度目だった。
(キーファ…)
 あの時は、それでも立ち直る事が出来た。正しいと、思うことが出来た。
 それは、キーファ自身が決めた事だからと、思うことが出来た。二人の幸せを祈る事ができた。
 …未来を知るという事が、どれほど残酷という事か。アルスは、胸を痛めた。

 それは、良くある事件の一つだと思っていた。
 モンスターが村に入り込んだと。
 だけど、レブレザックで起こった事件は、それだけでは終らなかった。


 手にした石版をはめる気にならない。
 新たな世界に旅立つ気になら無い。どうすればいいのか、よく判らない。
 手の中の、世界の欠片を弄びながら、アルスはひたすら海を眺めていた。
 手の痛みは世界の痛み。そんなことを、思いながら。

 アルスはぐいんと、自分を叱咤激励して立ち上がらせた。海の男に悩み事なんて似合わない、そういつも言うのは 自分が最も尊敬する父の言葉だったからだ。
「悩んでいるより行動…かぁ…」
 しかしその行動とはなんだろう。石版をはめる事なのだろうか、それとも、この石版を叩き割ってしまうことなのだろうか。
 我ながら、旅をする以前よりずっと強くなったと思うのに、心はちっとも変わらない。
「とりあえず、マリベルに報告しようかな…」
 ”何かあったらあたしに絶対相談するのよ!仲間はずれになんかしたら承知しないからね!!アルス!!”
 旅に出る以前は少し疎ましい、と思ったことさえあったマリベルの毒舌も、今となっては頼もしかった。
 それに、マリベルにとっても他人事ではないだろう。旅をする中でも、プロビナの神父様のことは、とりわけ好印象を 抱いていたのだから。


「なにそれ!!どういうことよ!自分だけいい格好しようっての!!ああ、もう許せない!!」
 案の定、マリベルは爆発していた。
「アルス、あんたも何ぼーとしてるのよ!怒りなさいよ!!しかも反省してないなんて!!この美少女マリベル様が 天誅を加えにいくべきよね!!ああもう、パパさえ元気だったら!!」
「マリベル、落ち着いて…」
「なんで落ち着いてんのよ!!さてはアルス、あんたその時も落ち着いてたんじゃないでしょうね!!」
「そのとき…?」
「石碑を割られた時よ!」
 真実を記した石碑。罪の象徴を、村長は叩き割った。『そんなものは最初から無かった』そう言うように。
「…でも、子供達は、わかってくれたから。ちゃんと真実を、あの神父さんと、昔の村人の行動を ちゃんと伝えてくれるって言ってたし。」
「それとこれとは話が別でしょう?!ああ、あたしが側に居たらぶっ飛ばしてやったのに!!あんたは 許せないって思わないの?!」
 そう怒りながらも、マリベルは確信していた。アルスは許せないとは思わない、と。

 幼い頃からずっと一緒に居る、この幼馴染は、例え自分はキーファがどれほど理不尽な事を言おうとも、苦笑して諌める事はしても、 けっして怒る事はなかった。
 その代わり、一度決めた事はけっして変えずどれほど自分が喚いても、譲ろうとはしない信念を持ち合わせていた。
 アルスの父、ボルカノは漁師が集うフィッシュベルの中でも随一といわれる男だ。豪胆で、気が良くて、寛大な、 人を引っ張る信念を持つ、真の海の男である。
 そのボルカノの元に生まれ、まっすぐに育ったアルスは、弱弱しくではあるものの、その良き性質は受け継いでいた。そして 数々の冒険を経て強くなったアルスは、今では真にフィッシュベルの男なのであった。
 それに気が付いた時、マリベルは猛烈に自分自身に怒った。何故自分が船に乗れないのか。どうして外を見ることはできないのか 。それは父の娘だからでも、女だからでもなくこういうことなのかと。それを『怒り』でしか表現できない自分だからこそ 自分は船には乗れないのだろうか。
 マリベルはアルスに怒って欲しかった。自分の道を過去に見出したキーファ、そしてアルスが海に居場所を見つけてしまっては、 自分だけが取り残されてしまう。
 この狭い島にたった一人、自分だけ不完全なままで残されてしまうのは、どうしても嫌だった。

 だが、そんな心を知ってか知らずが、アルスは相変わらずのんびりとしていた。
「そうだね、怒ればよかったのかもしれないね。そうしたら何かわかってくれたかもしれないね。」
 態度は相変らずだったが、言葉は意外だった。
「じゃあどーして怒らなかったのよ!!」
「怒っていいか判らなかったんだ。こんなの違うって思ったんだけど、神父さんも過去の村の人たちのやった事も こんな未来違うって思ったんだけど、でも僕が怒って良いかわからなかったんだ。マリベルがその時 居てくれたらよかったのに。」
 何が正しいか、間違っているか判らなかったなら、自分の思うとおりにすればよかったのだ。自分達は神じゃない。絶対に 正しい事なんてできないなんて、当たり前のことだったのに。
「やっぱりマリベルは凄いね。僕、そんな当たり前の事もわからなかったよ。今は無理だろうけど、おじさんが良くなったら また一緒に旅ができたらいいのに。」
 その言葉にアルスは気がついた。自分はやっぱり旅がしたかったのだ。世界の謎を解き明かし、全てを完成させたかったのだ。
 その言葉でマリベルは気が付いた。この幼馴染は、何よりも自己表現が苦手なのかもしれない。のんびりとして、我慢強くて、 頑固なこの少年は、実はずっと心を表現する術を知らなかっただけなのかもしれない。
(よかった。あたしの居場所は、まだ消えていない。)
 もうじき消えてしまうかもしれないが、まだいくばくの猶予は残っているようだ。今のままの自分でも。
「あったりまえじゃない、あんたはまったくどうしようもないわね。そんな簡単なこともわからないなんて相変らず ぼんやりしてる馬鹿なんだから!!」
「うん、ありがとう。」
 にこにこと笑うアルス。それを見ながらマリベルはふと思い出した。確か、キーファが去った時もそうだったアルスの癖を。
「ほら、見せなさいよ、掌。」
 アルスの癖。それは感情が高ぶると、拳を強く握り締める。そして。
 キーファが去ると言った時。強く握ったアルスの掌から血が滴っていた事を思い出す。
 アルスが掌を出すと、そこには赤い傷。
「あんたこれ、悪い癖よ。ほら、治して上げるわ、このマリベル様がね!!」
 アルスは少し考えると、手をすっと引いた。
「いいよ、僕このままで。」
「なに馬鹿言ってるのよ。どうやって武器持つのよ、痛いじゃない。」
「いいんだ、ちょっと覚えておくよ、この痛いの。次からはちゃんと怒れるように。でもありがとう。」
 そう言って微笑んだアルスは、繊細で優しげな心を持った、海の男だった。
「…気をつけていきなさいよ。あんたトロくさいんだから。それでまた、話し聞かせてよね。」
「うん、約束する。頑張ってくるよ、マリベル。おじさんにもよろしく言っておいて。」
 手を振るアルスの手に、赤い線がいくつも走っていた。

 幼馴染とか、戦友とか、そんな言葉ではあらわせない絆。

 二人は赤い傷の約束をそっと胸に刻み込んだ。


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