舞踏会の手帖

 始まりは、招待状。

”高貴なる淑女の君よ 貴女を私の舞踏会に招待いたします。
 明日正午、迎えの馬車をよこします。どうぞお越しいただくのを楽しみにお待ち申し上げます。”

 この上なくシンプルな文面。それを見た瞬間、リィンはその日の仕事を休みなく片付け始めた。
「そんなわけで、明日は留守にするわ。大変でしょうけれど、大丈夫ですわね?」
 この国を作り出してまだ一年。大臣となった者もまだまだ経験が浅いが、一日女王がいないだけで 国が立ち行かなくなるほどではないはずだった。
「もちろんでございます。これはリィンディア女王には是非、参加していただかなければなりません。 国の事は私どもにお任せくださいませ。」
「ええ。それでは、頼みますわね。」

 そして次の日の正午。豪奢な金の馬車がムーンブルク城の前に現れた。
「行ってらっしゃいませ、リィンディア様。存分に楽しまれますよう…」
「ええ、心配はいらないわ。」
 盛装したリィンは、一人で黄金の馬車に乗り込み、見送る城の者たちに手を振った。

 ふかふかのクッションに包まれた馬車は居心地良く、リィンを揺らしながら道を行く。
 やがて森の中に入り、緑が窓を染める。永遠に続くような緑の道を揺られていた。
 それが本当に永遠に続いたのか、それともほんのわずかな間だったのか…気がつくと馬車は、 真っ白で美しい城の前に到着していた。



 豪華でいて、清潔。心地よく配置された花の香りがかぐわしく、並べられた食事はそれに負けないように 暖かな湯気を立てている。
 中央のダンスフロアには、楽団が大きくも小さくもない音楽を絶えず鳴らし、男女共に楽しげに踊っている。
 招待されている、何百人もの客は皆、一定以上の身分の紳士淑女らしく、どの人間も上品で心地よい会話が進む。
 楽園のような舞踏会で、リィンは何人もの男性と踊り、何人もの人間と会話を交わし、お酒に酔い、雰囲気を 楽しんだ。

「…ふぅ…」
 なおも盛り上がるパーティーの雰囲気に浮かれながら、酒の酔いを醒ますためリィンはバルコニーへと出た。
 バルコニーから見える美しい庭園は、入ってきた城門の両脇に位置していた。その二つは 双翼にして同じ。そして幾何学模様を模しながら広がり、色とりどりの花がその庭を芸術へと変えていた。
「はぁ…」
 そこに、かわいらしい別の声が聞こえた。見るとちょうど入り口から死角になった部分に先客がいたようだった。 自分と同じ年頃の姫だった。
「ごめんなさい、先客がいらしたなんて。」
 栗色の髪をした姫君は、そう言ったリィンに首を振る。
「いいえ、私もお客だもの。これだけ広いバルコニーに、二人いることが悪いとは思わないわ。」
 ルビーの目でにっこり微笑まれると、心が和む。それでいてどこか品格を感じさせる少女だった。
「貴女も酔い覚ましにいらしたの?」
「いいえ…楽しいのだけれど、少し疲れてしまって。あまりこういうの、得意じゃないから。」
 照れたように笑う栗色の姫に、リィンは好感を持った。
「ふふ…そうね。楽しいけれど、疲れてしまうわ。それよりは親しいお友達とお話したり、本を読んだり する方が好きね。」
「…私は、強い人やモンスターと戦っている時が一番好き。身分とかそんな事に囚われずに自分自身の 力が分かるのが、わくわくするもの。」
 その言葉に、リィンは目を丸くした。淑女が好むとは思えない発言だったからだ。だが、 もう一度その姫を見てみると、なるほどドレスの下にはきっちりと鍛え上げられた肉体があるのだろう。それは レオンのようにごつごつとはしていないけれど、なめらかにすばやく動き、敵を捕らえるのだろう。
 いまや王となった友人の事を思い出し、リィンはその少女をもう一度見つめた。


 目を丸くしてしまった紫の髪の姫を見て、アリーナは心の中で舌を出した。
(…いけない、こんなこと初対面の方に言っても驚かれるだけなのに。)
 感じの良い人だったから、つい心安くなってしまった。
 もしかしたら、昔の仲間を少し思い出したのかもしれない。誰にも似ていないけれど、同じ 空気を持っている。そんな気がしたから。
「あ、ごめんなさい、変な事を言ってしまって。少し武道をかじっているものだから…」
 あわててわびるが、その姫は首を振った。
「いえ、違いますわ。気持ちは分かっていてよ。わたくしも魔術をたしなんでいるもの。モンスターと戦ったことも あってよ。仲間と一緒に敵と戦う緊張感は、何に例えられるものでもないわね。」
 紫の姫は圧倒的なまでに美しい顔でにっこりと笑う。それはあの妖艶なマーニャとも、神秘的なミネアとも違う、 彫刻のような自然界に存在する完成された美。…強いて言うならば、あの神の子、ラグを思い出すような そんな笑みだった。
「魔力が強いのね。私は魔術は全然駄目なの。自分の腕一つで戦うことが性にあっているみたい。」
「そういう人がいて下さると、わたくし達魔法使いはとても助かりますわ。どちらも戦いには必要な事ですもの。」
 戦いの空気を共有する同士として、二人はにっこりと微笑んだ。
 すると紫の姫は、すっと自然にアリーナに顔を寄せた。
「…貴女がいてくださって、本当に良かった。聞いてくださいます?」


 とても真面目な顔でアリーナに話しかけてきた姫は、戦士の表情をしていた。アリーナも顔を 引き締める。
「なに?」
「貴女は、どなたにここに招待されたの?」
「それは…」
 問われて思い出すも、言葉が出て来ない。確かに父には招待状を見せてもらったはずだ。それを思い出す。
「…名前が、書かれていなかった?」
 呆然としたアリーナの答えに、紫の姫は頷いた。
「ええ、わたくしも。なのにわたくしは今まで何の疑問も持たず、ここまで一人で来ましたの。絶対に ここに来なければならないと…」
「…私も、お父様も…城中皆、そう思っていたわ…」
 呆然とする。名前のない招待状。たった一人の御者しかいなかった、馬車。そして。
「…それに、ここはどこ?私、こんな城知らないわ…」
 世界中回ってきたはず。あの馬車の外から夜は見えなかった。馬車で来られる範囲なのに、知らない城が ある。そのことにも、なんの疑問も持たなかったのだ。
「わたくしも知らないわ。洞窟にも入らなかった。だからここは、私の国のはずなのに…」
「あなたも?!」
 声を上げるアリーナに、紫の姫は人差し指を立てる。アリーナは口を押さえた。
「ここに来て、何人かの知り合いの姫君にお会いしたわ。わたくしと挨拶をして別れたの。 大きな国の姫君ね。貴女もそのような方だとお見受けするけれど…?」
「そう言えば、名乗っていなかったわね。私は、アリーナ・サントハイム。アリーナと呼んで。 サントハイムの第一王位継承者。貴女は?」
 紫の姫は一瞬目を丸くするが、ゆっくりと名乗り返した。
「わたくしは、リィンディア=ルミナ=ロト=ムーンブルク。ムーンブルクの女王ですわ。リィンと呼んでくださいませ。… おそらく貴女は、ムーンブルクという名前を、聞き覚えがないのではないかしら。」
「ええ…私、これでも世界中回ったつもりなんだけど…ごめんなさい。」
 申し訳なさそうに謝るアリーナに、リィンは微笑む。
「いいえ、わたくしもサントハイムというお名前は聞いた事がありませんわ。わたくしも、世界を めぐった事がございますのに。けれど、わたくしの世界で『ムーンブルク』と『ロト』を知らない 姫君が存在する事はまずありえない…」
「そうね…貴女のように聡明な方がサントハイムを知らないというのは…ありえないわね、私の世界でも。… つまりここは、どこか異常な世界だと言う事ね。武器がない事が悔やまれるわ。」
 きりりと歯を食いしばるアリーナに、リィンは頼もしく思いながら話を戻した。





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