伝説とは関係ない一つのラブ・ストーリー



 夜の空を見ていた。格子越しから見る月はいつもより冷たく、リリィを突き放したように光っていた。
 この狭い空間は、『外』と隔絶している。『外』と隔絶するためにリリィはここに入れられている。
 リリィは昨日からここに閉じ込められていた。窓には格子、唯一の扉にはしっかりと鍵がかかり、決して出られないようになっていた。 おそらくリリィは今日も、床に転がっている粗末な毛布に身を包んで眠ることになるのだろう。
 いつもならばとっくに眠っている時間だが、どうしてもそれに包まる気にはなれなくて、リリィは格子越しに 月を見ていた。
 閉じ込められていたが、リリィは罪を犯したわけではなかった。少なくともリリィ自身はそう考えていた。
 事実、ここは牢獄ではなく倉庫だった。閉じ込めたのは役人ではなくリリィの両親だった。
 リリィを守るためでもなかった。少なくともリリィはそう考えていた。
 リリィ自身、ここに入っているのは理不尽だと考えていたから。それと同時に、入れた両親の気持ちも わかるのが辛かった。
 リリィがここに入れられたのは、言うなれば悪さをした子供への罰のようなものだった。少なくとも リリィはそう考えていた。
 例えばクッキーをつまみ食いしてしまったときのように。花壇の花を摘んでしまった時の様に。
 リリィにとってそれはやりたいことでも、両親にとってそれはやってはいけないことだったから。
 だから、閉じ込められた。反省させて、二度とやらないようにと。

 それでも、リリィはもう子供ではなかった。
 月を眺めて、そのことを思い浮かべる。心に浮かぶ、ただ一つの出来事を思い出していた。



 この村は、森と海に囲まれた村。それでも一人の大商人のおかげでそこそこ潤っている村。リリィの父親も その商人に師事したおかげで、この村にいるにはもったいないほどの財力を持っている商人の一人だった。
 リリィはその家の一人娘として、甘やかされて育ったいわゆるお嬢様だった。
 茶色の髪を腰まで伸ばし、頭には大きなリボン。ふわりとしたエプロンドレスを着て、なんの悩みも ないように可愛らしく笑う。誰が見ても、お金持ちのお嬢様を体現したような娘だと思うだろう。事実 リリィはその通りの娘だった。
 今通っている学校を卒業した後は、近くの町に花嫁修業に出され、やがて父が家の跡継ぎとなる婚約者と 結婚すると決まっていた。
 婚約者のギルは近くの商店の三男坊だった。才能があり、優しく、親が決めた婚約者でありながらリリィの ことを好いてくれていた。リリィもギルが好きだった。
 人がうらやむほどの恵まれた薔薇色の人生。リリィ自身もそれは自覚していて、親と神に心から感謝していた。

 リリィの住む村のすぐ近くには森があった。昔はよく皆でその森に遊びに行き、花を摘んだり木の実を もいだりしに行ったが、モンスターが出始めた今となってはそこは闇がうごめく世界になっていた。大人たちは子供達に 「決して近寄ってはいけないよ」と言うのが常だった。
 だが、どこの世界でも古来の昔よりそれが守られる試しはない。リリィ達村の子供は学校帰りにそこに 遊びに行って遊び場にしていた。不思議なことに、毎日のように森も遊びに行ってもリリィたちはモンスターに出くわす ことはなかった。
 その理由を、一度だけ誰かが こう語っていた。「この森には守り神さまがいて、モンスターからこの町を守ってくれてるんだ」と。 それがなんのことか誰もわからずに、聞いた大人たちはただ笑うだけだった。だが子供達には刺激的は話で、 誰が一番最初に守り神を見つけられるか探したりしたものだった。もっとも見つからないから神様なのか、 森にはモンスターや神様の気配を感じることはなかったが。
 やがて、子供達は少しずつ大人になっていく。少しずつ強くなっていくモンスターを恐れて森には寄らなくなっていく。 リリィもその一人だった。
 危険な森に興味を引かれる時代は終わった。親の言いつけに背いて喜ぶ時代は終わったのだった。

 そんなリリィが、森に行こうと思ったのは、母の誕生日のテーブルの飾る花が売り切れだったからだった。
 花がない食卓は、記念日にはあまりにも寂しくて。どうしても花が欲しくて、リリィは森に入って花を取ることを 決意した。
(…大丈夫よ、昔あれだけ遊んだけれど、モンスターなんて出なかったもの…)
 モンスターは年を追うごとに強くなって行っていた。もう、大人の男一人では太刀打ちできないと、父が嘆いていた。 大怪我をして帰ってきた者もいる。それでもリリィは顔を硬くして、からっぽの籠をかかえながらゆっくりと森の中へと入って行った。


 久々の森は不思議なほど静かで、緑の香りに満ちていてとても気持ちが良かった。そして人間は誰も入り込まない ためだろう。子供の頃の記憶とほとんど変わっていなくて、リリィは少し嬉しくなった。
 不穏な空気などどこにもない。ふっと緊張が溶けて、リリィの顔に笑顔が戻る。
 そうとなれば昔とった杵柄。どの季節にどこに花が咲いているかリリィは覚えていた。そこに向かって一直線に歩き出した。
 少し奥まった所にある花畑は、誰も入っていないせいだろう。記憶していたものよりもずっと綺麗で、リリィは少し嬉しくなった。
「花を籠いっぱいにして、家中を花で飾りましょう。」
 そうしたら母はどれだけ喜んでくれるだろう。そして一生懸命作った刺繍のハンカチをあげれば、どれだけ喜んでくれるだろう。 リリィはわくわくして、夢中で花を摘み始めた。


 ちょうど、その籠が色とりどりの花でいっぱいになった時だった。森の奥から金属が合わさる、嫌なな音が聞こえてリリィは顔を あげた。
 目があった。
 その目があったものは、決して人ではなかった。それは、カーブした尾の先に大きな毒針。体に金属をはりつけたさそり… モンスターだった。
「きゃあああああああああああああああああああ!!!!!」
 モンスターは明らかにリリィを見ていた。どうやら目標を定めたようで、ゆっくりとこちらに歩いてくる。毒針はゆらゆらと ゆれ、こちらに目標を定めているようでもあった。
(逃げなくちゃ…)
 そう思うけれど、体がこわばって動かない。今動いたら、そのまま飛び掛ってくるようで、ますます動けない。… だが、このままではあの針に刺されて死んでしまう。判ってたけれど、もはやこれ以上声を出すことも出来ず、硬直して 恐怖に顔をゆがめることしかできなかった。
 金属がこすれあう嫌な音が、一瞬止まった。リリィのすぐ目の前でモンスターは足を曲げて構えた。
(飛び掛って…くる…)
 そうわかっても、どうすることもできない。体が動かない。たとえ立ち上がって逃げても、おそらく逃げ切ることは できないだろう。
 恐怖のあまり目を閉じることも出来ず、ただひたすら凝視してその時を待つことしかできない。
 そして、モンスターの足に、力が篭り、モンスターはリリィに飛び掛った。
(お父さん、お母さん…)
 リリィがそう思った瞬間、目の前を何か黒いものが横切った。

 木をなぎ倒す音。
「ぐるるるるる」
 それは獣のうなり声だった。リリィはわけもわからずその音の方を見た。

 そこにいたのは、先ほどのさそりをかかえた、大きな緑の目をした黒い狼。…いや、人の大きさほどもあるそれは、モンスター かもしれないが、リリィにはよくわからなかった。
 狼の口の中で、さそりは暴れる。狼はさそりを噛み砕こうとしているが、装甲はなかなか牙では破れないらしく、うなっている。 そしてさそりが狼に向かって針を振るう。狼はそれに気がつき、さそりを口から吐き出して難を逃れた。
 そして二匹のモンスターは戦い始めた。…おそらく、自分の取り合いのためだろうと、リリィは考えた。
(に、にげ…なくちゃ…)
 二匹が争っている間に、少しでもここから遠ざからなければ。そう考えるもリリィの体は恐怖で硬直して、上手く動かない。 なんとか手を動かして、少しずつ後ろに下がっていく。モンスターに気がつかれないように、ゆっくりと。
 その間も二匹のモンスターは戦っていた。さそりの尾が鞭のように狼に襲い掛かる。それを前足で押さえ、そのまま噛み砕かんと 噛み付いた。だが、さそりは体をくねらせ、目に鋏をぶつけようと伸ばす。体からとっさに口をはずし、鋏をつかみそのまま食いちぎる ためにひっぱった。

 二匹の戦いがどれくらい続いたか、リリィには判らない。さそりのモンスターが動かなくなった時、リリィは 無理やり自分の体を引きずって、花畑の端にまで逃げることができていた。
 狼の緑の瞳がこちらを向いた。
(たちあがって…逃げなくちゃ…)
 体のあちこちから赤い血が流れていた。上手くすれば、逃げられるかもしれない。そう思うに、どうしても足が震えて立ち上がる ことができない。手を必死で動かして、ずりずりと体を後退させることしか出来ない。
 狼が動いた。こちらに向かってゆっくり歩いてくる。
「あ…あ…あ…」
 その堂々とした歩きが、リリィの恐怖を誘った。
 だが、狼が歩みを止めた。それはちょうど、先ほどリリィがいた場所だった。狼はリリィが持っていた籠に目をつけた。籠は 放り出され、摘んだ花は地面に転がっていた。
 そして狼は口で籠を起こし上げ、摘んだ花を丁寧に籠に戻した後、その籠のとってを口に挟んでもちあげる。そして ゆっくりとこちらに歩いてくる。
 その行動が余りにも突拍子がなくて、リリィはじっとその様子を見ていた。
 そしてその狼は、少し離れた場所に籠を置いた。そしてそのままきびすを返して、森の奥へと去っていった。


「…え?」
 どうみても、この行動は獲物を取り合っていたモンスターの行動とは思えなかった。目を凝らしても モンスターの姿はもうどこにもない。
 それでもリリィは動けなかった。なにかの罠の様に思えたのだ。籠を取りにいくと、噛み付かれそうに思えてしばらく 動けなかった。いまだ震えた体を動かすことができなかった。
 リリィの止まった時が動き出したのは、夕方の鳥が鳴いたときだった。
「…あ…もう、こんな、時間…」
 気が付くと空は夕暮れ。こわばった体を無理やり動かし、遠くに置かれた籠を掴んで森の向こう側へと走り出した。
 少し不器用に入れられた花が、籠と一緒に揺れていた。

 花を沢山飾った食卓は、母と父に喜ばれた。少しこわばったリリィの顔を怪しんで何度も聞いてきたが、「少し疲れている」と 言ってごまかした。
 どうしてごまかしたのはか、良く判らなかった。たた、歯形のついてない籠を見ると、花にこぼれた血を思い出すと、 少しだけ胸が痛かった。



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