次の日。リリィはまた籠を持って、森に来ていた。籠は以前のように空ではなく、昨日の残りの 肉が入っていた。
 昨日の花畑に向かう。花畑は戦闘の跡で荒れていて、花の芳香の間に血の匂いが漂っていた。
 そして昨日狼が籠を置いた位置に、再び籠を置く。そして離れてしばらく待った。

 ――――時が流れた。昨日の狼はおろか、動物一匹出てこない。
 リリィにしても、ずっとここにいるのは昨日のことを思い出して怖かった。いつモンスターが出てくるか、怖かった。 昨日の狼も、出てくるのは本当は怖かった。
 リリィは立ち上がる。
「も、森の、守り神さま!」
 リリィの声に、木に止まっていた鳥たちが飛んでいく。
「昨日は、ありがとうございました!よろしかったら、お食べになってください!」
 血まみれになりながらも、モンスターを倒してくれた狼。籠の中に花をいれ、自分を脅かさないように少し 離れたところにおいてくれた狼。
 ただの気まぐれかもしれない。ただの勘違いかもしれない。それでもリリィにはどうしても自分を守ってくれたように 見えた。
 あの狼が幼い頃語られていた守り神だと思った。モンスターからこの町を血まみれになりながら守ってくれている 神様だと思った。
 だから、お礼がしたかった。それだけだった。
 そう叫んで、森の奥の方へ一礼した。そしてそのまま村の方へと駆け出した。

 娘が去って、静寂が戻った花畑に、黒い狼が現れたことを、その娘は見ることはできなかった。


 その次の日。リリィは再び森を訪れた。昨日の肉が気がついていない可能性があると考えて、今度は別の 肉が籠の中には入っている。
 案の定、昨日の籠が置いたのと同じ場所に置かれていた。腐っているかもしれない肉を想像して、 少しだけため息をついて回収しに向かう。
 すると、籠には肉はなく、代わりに花と木の実が入っていた。そのあまりの意外さにリリィは微笑んだ。
 あの大きな狼が、一輪一輪摘んだのだろうか。小さな木の実を集めて籠に入れたのだろうか。自分のために。
 なんだかとても嬉しくなった。
「森の守り神様ーーー!怪我は治りましたかーー?また、お肉置いておきますねー!お花、ありがとうございましたーー!」
 笑顔でそう言うと、花の籠を肉の籠と取り替えて、リリィはまた森の向こう側に去っていった。
 そしてその後ろから、黒い狼はのっそりと姿を見せた。


 三日目。今日は肉とパンを持って森に来た。今日はゆっくりと狼が来るのを待ってみようと思ったのだった。
 怖い気持ちはまだあるが、昨日の籠の中の花を見るとなんだかその気持ちも薄れて、妙に嬉しい気持ちになるのだ。
(頑張ってみよう、勇気を出してみよう)
 なぜそう思うのかは判らない。だが、かつてこの森を遊び場にした時の気持ちが蘇るようで少し嬉しかったのだった。

 昨日と同じ花畑。同じように籠が置かれている。覗き込むと、今日は花と木の実の他に、美しい鳥の羽が一枚入っていた。 リリィは微笑む。
 そっとその場所に肉の籠を置き、リリィは少し離れた場所に座った。そしてのんびりした気持ちでパンを食べ始めた。
 それほど待つ必要はなかった。パンがちょうど食べ終わった頃を見計らってか、森の奥からのっそりと黒い狼が現れた。
 リリィの体が少し固まる。怖い気持ちはなくなっていると思ったが、改めてみるとやはり怖かった。
 リリィのその気持ちを察してだろうか、狼は置かれた籠の後ろに座る。緑の瞳がじっとこちらを見た。
「もう、来る必要はない。」
 無表情な顔。低く少しくぐもった声は、おそらく人と発声が違うためだろう。
「礼は十分受け取った。」
「…貴方、話せるの?」
 リリィのぼんやりとそう言った。言葉を理解できるかもしれないとは思っていたが、モンスターが話せるとは思わなかったのだ。 狼はその言葉に頷いた。
「私は、リリィと申します。助けてくれて、どうもありがとうございます、守り神様。」
「守り神ではない。助けたわけでもない。ただ、自分の縄張りを守っただけだ。」
 意思が通じると判ったとたん、リリィには妙にその狼が可愛く見えてきた。この人ほどもある狼は、どんな風に花を集めたのだろうか。 そんな風に考えるとむしろおかしい。
「いいえ、それでも貴方は私を助けてくださいました。心からお礼を言いますわ。それにお花と木の実も。… 傷は大丈夫ですか?」
「これくらい、すぐに治る。」
「よろしかったら明日、よく効く傷薬をお持ちしますわ。」
「…なぜ、ここに来る。もう来る必要はない。礼も受け取った。」
 その言葉に、リリィは首をかしげた。
「ご迷惑でしょうか?私が来ることは、貴方の縄張りを荒らすことになってしまうのでしょうか?」
「…別に迷惑ではないが。」
 狼は少し困ったように言った。リリィは笑う。
「それは良かった。そういえば、お肉はお口に合いました?生肉の方がよろしいです?」
「雑食だからなんでも食べるが…また、来るのか?」
「いけませんか?」
 真正面からそういわれると、狼は言葉に詰まる。
「…お前がそうしたいなら、そうすればいい。」
 その言葉にリリィは破顔した。
「ありがとうございます。…あの、守り神さまでないなら、お名前は?」
「…名前などない。」
「そう…それは、不便ですわね。…よろしかったら私がお名前を考えてもいいかしら?」
「好きにすれば良い」
 狼はそう答えて、嘆息したようだった。だが、リリィはそれに気が付かず笑う。
「今日のお花と木の実と羽、どうもありがとう。お肉、食べてくださいね。では、今日はこれで。」
 立ち上がって礼をすると、リリィは去っていった。名無しの狼はもう一度嘆息して、籠に入った肉を食べ始めた。


 そして、リリィと狼の交流が始まった。リリィは雨が降らない限り、毎日花畑へ来た。妙に付き合いのいい狼は、 呆れながらもそれに付き合った。
 最初は二人で肉とパンと言う別々なものを食べてたいたが、そのうちリリィの食事を 分け合うようになっていた。狼も果物を持ってくるようになり、二人で食事を分け合った。
「ねえ、私、ずっと考えていたのだけれど…『クロウヴァ』というのはどうかしら?」
 すっかり慣れたリリィが、狼の背をなでながらそう言う。
「なにがだ。」
「貴方の名前。考えるって言ったでしょう?」
「名前、必要ない。お互い一種族しかいない。」
 そういう狼の顔を覗き込みながら、リリィは首を振る。
「いいえ、貴方にちゃんとした心があるなら、私はそれに名前を付けたいわ。貴方は特別なんだって。」
 その言葉に、狼はもう何度目かの台詞。
「好きにすればいい。」
「最初はとても綺麗な黒い毛皮だからそっちで考えたのよ。でも、貴方の緑の瞳はとても綺麗で、ずっと心に残っていたの。 知っている?クローバーって、三つ葉だけれど時々四葉のがあるのよ。」
「知っている。赤い花に時々白い花が咲くことがある。それと同じだ。」
「まぁ、それも見てみたいわ。」
 リリィは立ち上がり、村の方を見た。遠くに村の教会の尖塔が見える。
「四葉のクローバーは教会のクロスに似てるから、幸運を呼ぶって言われているのよ。 なんだかずっと私たちを守ってくれていた貴方みたい。だから『クロウヴァ』…駄目かしら?気に入らない?」
「そう呼びたいのか?」
 狼の言葉に、リリィは頷く。
「ええ、そう呼びたいわ。」
「お前以外に呼ぶ相手はいない。お前がそう呼びたいなら…呼べば良い。」
 その言葉に、優しさを感じてリリィは微笑んだ。
「クロウヴァ、よろしくね。」
「ああ。」
 クロウヴァと呼ばれた狼は、少しだけ尻尾を動かした。


 それから一人と一匹の交流が始まった。
 学校で聞いた話を、クロウヴァに報告する。クロウヴァは森に住んでいるのに、驚くほど物知りで、 思いもしない知識をそこに付け加えてくれた。
 時には森の中を巡り、クロウヴァの寝床へと案内してもらう。枯れ草が敷きつけられた寝床は 驚くほどふわふわで、そこに飛び上がりクロウヴァを呆れさせた。

 モンスターに襲われることも稀にある。こうもりのようなモンスターがリリィ目掛けて襲い掛かってきたのだ。
 けれど、少しも怖くなかった。そのモンスターに黒い狼が飛び掛っていったのが見えたから。
「大丈夫か?怪我はないか?怖くないか?」
 動かなくなったモンスターをその場に捨て、クロウヴァはリリィを見た。
「クロウヴァが守ってくれるから、ちっとも怖くなかった。クロウヴァこそ、怪我はない?助けてくれて、どうもありがとう。」
 リリィはクロウヴァの元へと駆け寄る。怪我がないか確認しようとしたリリィから、クロウヴァは逃げた。
「…クロウヴァ?」
「なんともない。…汚れる。触らない方が良い。」
 見ると、クロウヴァの体には赤い血と、紫色の血が付着していた。
「こない方がいい。汚い物が見える。」
 そう言って目線で示したのは、噛み砕かれたモンスターの死骸。何本もの牙が貫通した跡。内臓さえ見える。
 それを気持ち悪くないと言えば、嘘になるだろう。だが、リリィはわざと笑ってクロウヴァに抱きついた。
「平気。私を守ってくれたんだもの。ありがとう。」
「白い服が汚れる。」
「平気。洗えば落ちるもの。」
「嘘だ。」
 付着した血液は、非常に落ちにくい。即座に処理すれば別だが、家に帰ってから洗濯したのでは、跡が残ってしまうだろう。
「嘘でもいいの。ほら、やっぱり怪我してる。痛い?」
「なんともない。なめたら治る。」
 リリィはくすくす笑う。
「嘘でしょう?消毒してあげる。」
 傷を消毒し、薬草を食べさせる。消毒した時少し顔をしかめたクロウヴァの顔に、リリィはまた笑う。
「しみる?」
「なんともない。」
 それでもおとなしくしているクロウヴァを優しくなでて、リリィは最後に包帯を巻いた。
「ありがとう。」
「なめたら苦いからなめたらだめよ?明日には傷も消えているわ。」
「わかった。」
 クロウヴァはそう言うと、リリィの口元にすりよった。ほわほわした肌触りを楽しんで、リリィはくすくすと笑った。



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