そんな日々が、どれくらい続いただろうか。葉の色が移り始める頃だった。
「リリィ、久しぶりだね。」
「ギル。…そうね。」
 学校の帰りに話しかけてきたのは、婚約者のギルだった。昔は良く会っていたが、 森に行くようになってからは会わなくなっていた。
「最近、うちに来なくなったね。どうかしたの?」
「…なんでもないわ。ギルも勉強忙しいでしょう?だから、少し遠慮しちゃって。」
「それに、他の子たちも、最近リリィが付き合いが悪くなったって言ってる。この間は 服に血をつけてきたって、リリィのお母さんが言ってたよ。おかしいよ、どうしたんだい?」
 ギルが純粋に心配してくれているのは良くわかった。…それでも、何かがリリィの 言葉にひっかかる。
「本当になんでもないの。心配してくれてありがとう。」
 にっこり笑って、リリィはその場を立ち去った。
 今までそんなことをしたことはなかった。今までならこのままギルの家にお邪魔して、お茶を一緒に 飲んで、クッキーを食べて、色々なことを話して…とても楽しい時間を過ごしていた。
 そう、それはとても楽しかった。その感触は今でも覚えている。
 でも今は、上等なクッキーよりも森の果物が良かった。 暖かな紅茶よりも、森に流れる川の水が美味しかった。柔らかなクッションよりも、黒い毛皮が心地よかった。
 リリィはそのまま家にも帰らず、森へと駆け込んだ。


「クロウヴァ、クロウヴァ…」
 泣きそうな声で、森に呼びかける。すぐにクロウヴァが出てきた。
「どうした。様子がおかしい。」
「…私、おかしいのかな…」
 クロウヴァの首に抱きついて、リリィはそう言った。
「いつもより、来るのが早い。いつもは笑顔。でも今日はどこか哀しそう。だからおかしいと言った。」
「違う…私がこうして森に来て、クロウヴァと話すことは、おかしなことなのかな…」
「ああ。おかしなことだ。」
 クロウヴァにそう言われて、リリィの目から涙がこぼれた。
「…だって…」
「人はモンスターとは触れ合わない。人は人の中で生きていく。異種族同士で群れるのは、おかしなことだ。」
「クロウヴァはモンスターじゃない…守り神だもの…私たちを守ってくれていたんだもの…」
 もういちど、暖かな毛皮にすがりつく。そうすると、なぜか落ち着いた。
「おかしな人間と思われたくなければ、もうここに来ないほうが良い。そのほうが、幸せになれる。」
「なれない。嫌だもの。もう、クロウヴァに会えないの、嫌だもの。クロウヴァの側がいいんだもの…」
「人は、人の側が一番心地よいものだ。」
「人とかモンスターとかは関係ないの。クロウヴァがいいの…」
 リリィはそう言って、顔を上げた。恐れを含んだ表情で、クロウヴァを見た。
「クロウヴァは…迷惑、なの?私が来ないほうがいいの?」
「そうは言っていない。」
「…じゃあ、来て欲しい?私に会いたい?」
「……」
 クロウヴァは答えなかった。困ったように目線をそらす。
「…私は、クロウヴァに会いたい。…クロウヴァが好き。クロウヴァが好きだから…」
 リリィは自分が言った言葉に驚いた。そして、それが頭に広がるとそれが真実だとわかった。
 どうしてモンスターにお礼をしに来たか。どうして毎日他のことをせずにクロウヴァに会いに来たか。どうして おかしいと言われて哀しかったか。
「クロウヴァがずっと好きだったの。」
「人は、人と所帯を持つ方が幸せになれる。お前の父と母を裏切ることになる。」
 クロウヴァの言葉に、リリィは言葉を止めた。
「それは…」
「異端と呼ばれ、両親と二度と触れ合えなくなる。それは幸せなことではない。」
 答えられなかった。
 父も母も好きだった。愛していた。それでも。
「クロウヴァ…でも、私、クロウヴァのこと、好きなの。」
「それは、人に抱く感情とは違う。犬や馬に感じる好きと同じ。」
「違う…違うの…」
 言葉には出来なかった。それでも、伝えたくて腕に力を込める。クロウヴァは何も言わなかった。ただされるがままに じっとしていた。
 そして、リリィはゆっくり手を離した。
「また、来るから。明日も来るから。」
「…そうか、わかった。」
 クロウヴァは涙をぬぐうためにそっとリリィの顔をなめた。
「り、リリィに何をする、化け物!!」


「ギル…どうして」
 そこにはギルがいた。クロスボウを持って、クロウヴァに狙いを定めている。
 リリィの後をつけてきた。そしてクロウヴァを見て、一度武器を取りに帰ったのだろう。
「リリィ、離れろ!危険だ!」
「違う、ギル!」
 クロウヴァは飛んだ。ギルの手から矢が発射される。
「やめて!!」
 だが素人が打った矢が当たることなく、クロウヴァは森の奥へと消えた。
「…大丈夫か?」
 優しく微笑みかけるギルに、リリィが怒鳴る。
「どうして撃ったの!!危ないじゃない!!」
「何言ってるんだ!モンスターに食われそうだったじゃないか!!」
「違う、クロウヴァはそんなことしない!」
 ギルはリリィの手首を力いっぱい掴んだ。
「…おかしい…操られてるのか?なんか呪文でもかけられたのか?それとも恐怖で狂ったのか?どうしたんだ、 リリィ…おかしいぞ?」
「違う、私、クロウヴァが好きなの!」
「何を馬鹿なことを言ってるんだ!あれはモンスターだぞ?…帰ろう、もう、森には来ないほうが いい。いつ襲われるかわからないからな。」
 そう言って、ギルはリリィの手首を掴んだまま、村へ強引につれて帰った。そしてギルはリリィの両親に すべて事情を話した。
 父は顔を青くしてリリィの顔を平手で打った。
「何を考えているんだ!!モンスターに餌をやっただと!?」
 母は大声で叫び、泣いた。
「…服に血をつけてきたり…肉を持ち出したり…何をしているのかと思ったら…貴方は人間なのよ…? どうしてしまったの…こんなにおかしな子じゃなかったのに…モンスターのせいで…」
 リリィの言葉は、両親の上を素通りして曲げられる。

 そして、リリィは閉じ込められたのだった。もう、森に行かないために。魔物の術を断ち切るために。


(反省しろと言うけれど…何を反省すれば良いの?)
 間違ってないと、リリィは思う。クロウヴァが好き。それは自分の中での事実で。
 両親の嘆きも判る。自分が同じことを聞いたら、どうしたのだろうと思うだろう。
 …それでも、間違っているとは思えない。
 あの時、森へ行ったこと。クロウヴァと会話したこと。…クロウヴァを好きだと思う気持ちも。
「少し熱に浮かされているだけだ」
 父親はそう言った。
(そうなのかもしれない。ずっと森に行かずにこうしていれば、元に戻るのかもしれない。 ちょっと話す狼が珍しくて。刺激的で。そう思ったのかもしれない。)
 自分の思考に首を振る。
 確かに、一年経ったら忘れているかもしれない。珍しかったという気持ちも否定しない。
 …それでも好きなのはクロウヴァの心だ。
 誰にも省みられることを期待せず、ずっと村を守ってくれていた。
 毎日遊びに来る自分なんてほっておけばいいのに、付き合ってくれた。
 あの不器用な口で、花を摘んでくれた。
 そんなことばかりが、鮮やかに蘇る。
「…クロウヴァ…」
 月を見た。ほのかに朝の色が刺してきた空に、薄く寂しく浮かぶ月を。それは、誰にも見られず森で暮らす クロウヴァを思わせた。
 そしてその月が、空が突然真っ暗に塗りつぶされた。
「…いた。」
 その格子の窓から、クロウヴァが覗いていた。




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