この白い建物に来るのは久しぶりだった。
 この建物は、いつ見ても、真っ白な牢獄のイメージがあって、ピサロは余り好きではない。同じ部屋に 布で囲った牢獄を設け、ベットという鎖で縛り付ける、牢獄…。
 それでも、ピサロがこれから向かう先は、多少ましだと言えた。
 向かう部屋は個室であるし、長期入院者であるため、違反しなければ比較的自由に部屋を彩る事も できるからである。
(それでも、あの部屋から出ることはままならぬ、か…)
 結局は、牢獄となんらかわらないことになる。そして、牢獄に入れられた人間は、社会的に 抹殺されたにも等しい。
 ピサロはもともと無表情な男で、表情のパターンと言えば他は「怒り」くらいだろう。 だが、ピサロはむりやり怒りの感情を振り払う。
 既に買いなれた、そして相変わらず似合わない花束を抱えて、たった一つピサロにとっての 聖域へと扉をノックした。
「はい。」
 可愛らしい、声がする。
「私だ。」
「ピサロ様!お久しぶりですわ。入っていらして下さい。」
 音もなく扉を開けた。顔を見せた瞬間、ロザリーの顔がほころんだ。

「ああ、久しいな…悪かった。なにかと忙しくてな。」
「…いいえ、ピサロ様は受験生ですものね。仕方がないですわ。」
「いや、私は今のバイト先にスカウトされているから、卒業後はそこで働くつもりだ、心配は無い。」
「そうなんですか…少し、残念です。」
「何がだ?」
「何でもありませんわ、ピサロ様。」
(言えば、この方は、きっと怒りに燃えてしまうから)
 たった一人の想い人。生まれてからずっと側にいるような、運命を感じた人。
 あの、祖父の姉の孫。そんな遠い血縁だけれど、それでも逢えた事に感謝しているのに。 …いや、遠い血縁だからこそ、これほどピサロ様はあの方を恨んでいるのだろう。
 ピサロ様は、その血縁全てを恨んでいる。だから、怖い。
 私ごと否定されるのではないかと…見放されてしまうのじゃないかと、いつだって怖い。
 嫌われたく、ない。私に残された希望は、そのたった一つしかないのだ。
「お花、ありがとうございます。コスモス、ですね。とっても綺麗です。」
「ああ、私が飾ろう。ロザリーは寝ていろ。」
「はい、ありがとうございます。」
 しばらくの間、何も生けられていなかった花瓶に、コスモスの花束が生けられた。
「…相変わらず、来ないのか?」
 ロザリーは笑う。
「そんなこと、ありません。けれど…母のお仕事が忙しいのは、私のせいですから…」
「そうか…」
 ロザリーは気がついていた。自分には言えないのだろうが、ピサロがロザリーの母を嫌っている事を。 それは、当たり前だ。ロザリーの母は、ピサロが嫌う「大人」の象徴のようなものなのだから。
「ああ、でもこのガラスの置き物は以前なかったものだな。」
 ピサロの言葉に、ロザリーは平静を装って微笑む。
「…ええ、買ってきてくださったんです。お祭りにいけない私にお土産だと。」
「そういえば、枕元の本も大分増えているな。…良かったな。」
「はい。」
 そう言って微笑んで見せた。

 ロザリーの微笑みは、誰よりも心和ませる。
(あれと、同じ顔だとはとても思えない。)
 そう思うと、怒りが込み上げる。よくもいけしゃあしゃあと、自分の前に姿を見せられたものだと、 夏のあの日を思い返した。
 次は、殺す。ピサロは本気だった。本気で…シンシアを殺そうと思っていた。
(八つ裂きにしても、まだ足りぬ。)
「ピサロ様?…私、何かいたしましたか?」
「いいや、なんでもない。…もうじき、暇になる。そうすれば、もっとここに来る事が出来るようになる。」
「ええ、楽しみにしています、ピサロ様…」


 ここ最近のオーリンの日課は、夕暮れ時に職場を一時抜け出して、とある所でうろうろする事だった。
 目当ては、唯一つ。だが、その目当てが見えた瞬間、オーリンは自分の職場に逃げるように帰ってしまう。
 …もしも、拒否されたら。もしも、泣かしてしまったら。そう考えると、体が勝手にきびすを返してしまうのだ。
 かとって、じっともしていられない。毎回無駄になりながら、今日も自分の心酔する上司の家の前でオーリンは ただ一人を待っていた。
 遠くから、真っ赤なものが、迫る。オーリンは身体を端に寄せた。だが、車は目の前…つまりエドガン家の前に止まった。
(…なんだ?このフェラーリは…)
 エドガン氏の知り合いにこんなものを乗り回す人間の話は、聞いたことが無い。
 だが、助手席から降りてきた人間には確かに心当りがった。
「マーニャ様?」
「あら、オーリン。こんな所で何をしてるの?」
 けろん、と笑ってみせる絶世の美女は確かに師匠であり上司でもあるエドガン氏の長女、マーニャだった。
「マーニャ様こそ、このような車で…」
「このような車とは、またおかしなことを言うな、オーリン。」
 その声には、聞き覚えがった。忘れまいと誓った声、けっして忘れない声。視線で人が殺せたらと願いつつ、 視線を向けるという経験を、オーリンは初めてした。
「バルザック…」
「相変わらず泥臭いな、お前は。」
 一時は兄弟子と慕った憎き敵がここにいた。
「ここに、何をしに…」
「やめて、オーリン。あたしをここまで送ってくれたのよ。」
「マーニャ様!」
 オーリンは声をあげる。どう考えても、おかしい。バルザックを一番憎んでいたのは、むしろこの人だったはずなのに。
「弱い者は、よく吼えるな。いいや、敗北者は、と言うべきか?」
 にやにやと笑う顔が、この上なくいやらしい。だがマーニャはそれに向かって微笑んだ。
「そうよ、だからバルザックがこんなのと関わる必要は無いわ。…あたしだけを見てよ。」
「ああ、お前だけだよ、マーニャ。けど、今日は邪魔者がいるな。これで帰ろう。」
「そうなの?…残念だわ。またね。ちゃんと迎えに来てよ?必ずよ?」
「ああ、必ずだ。」
 どこから、どうみても仲の良い恋人同士にしか見えない。呆然とするオーリンを置いて、マーニャは別れの挨拶をし、 バルザックは車に乗って去っていった。
「オーリン?大丈夫?ところでこんな所でなにしてんのよ。ミネアのストーカー?」
 全く違わないマーニャの言葉は、オーリンの耳に入っていない。
「どういうことなのです、マーニャ様!あれはバルザック!エドガン様の研究を盗んだ犯罪者ありませんか!!」
「もう昔の話じゃない。落ちぶれたエドガン製薬もそれなりに盛り返したし、もういいじゃない。」
「そ、それにしても、ですね。」
 まだ言い募ろうとするオーリンを、マーニャはきっぱりと押し止める。
「賛成できないのなら、それでもいいわ。…あたしたちに、関わらないで。」
「マーニャ様!」
「それから、ミネアも賛成出来ないみたいね。…うっとうしいから関わらせないようにしてくれる?オーリン。」
 まったく聞く耳をもっていない。だが、オーリンは一つ不思議に思った。
 この間、マーニャが会社に来た時、オーリンは大体の事情を話したのだ、というよりむりやり しゃべらされたのだ。
 その状態を知っていながら、どうして自分にミネアのことを頼むのだろうか。
「マーニャ様?」
「ああ、そうだ。あんたもミネアを送り迎えしてあげなさいよ。そうしてやればきっと、ミネアとの仲も上手くいくわよ。」
 すでに、マーニャはオーリンの顔を見ていない。夕焼けに照らされて、顔が見えない。
「じゃあ、頑張ってね、オーリン。」
 それだけ言うと、マーニャはとっとと玄関から、家に入ってしまった。

 そこには、呆然としたオーリンだけが残された。


 山場の裾野、ですね。予定通りなんですが、ごめんなさい。とりあえず予定通りピサロとロザリーを あわせることが出来てよかったです。そろそろ可哀想だったし。
 意外と長くなってしまったのは、ひとえに先生三人組のせいです。朝の登校時に先生方が生徒に挨拶 するために校門前に立つのって、一般的なんだか如何なんだか…微妙です。
 次回は…予定では「探偵団」の結成です(笑)謎がひしめく秋の空です。どうぞご覧下さいませ。

 




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