”昔々あるところに、二人の姉妹がおりました。 姉はとても美しい娘でしたが、いじわるでした。 妹は捨て子でしたが、とてもやさしい娘でした。” ” そうして妹は城に行き、王子の花嫁となりました。そうして妹は王子の妻として 幸せに暮らしましたとさ。” そこは、とても暖かい場所だった。ふわふわと、やわらかな毛布のようで。それがゆらゆらとゆれる様は 海のようで。 優しい闇の中で、サーシャはぼんやりと漂っていた。 (めでたしめでたし……よね……。) 自分は無事、使命を果たし、今ここにいる。やがてこの意識もルビス様に溶け、世界の糧となるはずだ。 肉体という枷を逃れた今、サーシャには全てのことが分かっていた。自分がどうして生まれたか、 これからどうなるのかも。全て、眠る間際のようにぼんやりとしか思考しかできなかったが、それでも ぼんやりと薄い意識の中で今までのことを思い起こしていた。 (……私は、本当に駄目ね……トゥールのための道具だったのに、あんなにトゥールを傷つけて…… あるべき使命に逆らおうとして……なんて、出来損ないなのかしら……) いうなれば、聖なる守りの使用者は勇者トゥールだ。にもかかわらず、守るどころか何度も傷つけてきた。使命に逆らうために。 それは恥ずべきことだ。出来損ないだ。 多分、サーシャはずっと知っていたのだ。思い起こすと子供の頃は、自分の行く末をなんとなく 理解していた。聖痕が痛くて、どうして自分がこんな目にと思ったことも何度もあったが、ルビス様の 力になれることは嬉しかった。 かつて、自分はトゥールが生贄だと思っていた。それは真実だった。トゥールは本当に 神の花婿だったのだから。 けれど、それだけではない。……自分も生贄だった。神の花嫁として選ばれていて。 (それが、いつから、怖くなったのかしら……) そうずっとそれが怖かったのだ。死ぬのは怖くなかった。ただ、こうして自分の代わりのルビスが入り、自分として 振舞われ……やがて自分が最初からいなくなってしまうことが怖かった。忘れられることが。 だからオルデガが勇者ならと思った。それならば自分が選ばれる事は決してないのだから。 だから、触れられるのが怖かった。触れられたら、この体に仕組まれた仕掛けが。トゥールが自分のことを 好きになってしまう。そうしたら、自分の役目は終わってしまう。 (違う……きっと、違う……) 体という枷を離れ、やがて消えてしまう運命を背負った魂は、今まで思い込んでいた檻を離れ、その魂は、ようやく素直に、 すんなりとそれを認めた。 怖かったのは。本当に怖かったのは。 (私が、トゥールを好きになってしまう、こと……。) ずっと側にいた。ずっと見ていた。それが、私の使命だったから。 明るくてまっすぐで前向きで、一生懸命立ち向かおうとする少年。 弱くて、脆くて、泣き虫で、でもそれでも正しいことを一生懸命やろうとしていた少年。世界という重荷を たった一人で背負うために努力していた少年。 泣いていたのを、知っている。悩んでいたのを知っている。投げ出したくなったことも、折れてしまいたく なったことを知っている。 それでも、どれだけ傷ついても立ち上がり続けた。皆を傷つけないように、自分が傷つくことを選んだ。そんな 愚かで、馬鹿な少年を、ずっと側で見ていたのだ。そして、 サーシャ自身、両思いになるために創られたのだ。好きにならないわけがない。 ”忘れられたら、もっと悲しいよ。だって、生きてた事が忘れられたらいなかったことになるから。 サーシャのお母さんの生きてたのがなくなっちゃうから。思い出の中でも、会えなくなっちゃうから。” 忘れられると、悟った。自分がいなくなっても、思い出してもらえないと悟った。 そうだ、自分は。あの『弱虫』で『馬鹿』な少年に。 ”僕が一緒にいるから、ずっとずっと一緒にいるから、いなくならないから。どこにもいかないから。” ずっとあの約束を、守って欲しかっただけなのだ。 もし目があるのならば、そこから涙があふれただろう。もし口があったなら、 そこから嗚咽が漏れただろう。 ただ、溶けていく魂だけになってしまった神の道具としてのの中枢は、ただ、過去を思い起こすことしかできなかった。 『生きて』いたかった。それは命の鼓動ではない。ただ、人の心に残ること。忘れられないこと。記憶の中で ずっと自分を焼き付けてもらうこと。自分を認めてもらうこと。 あのときから、ずっとそれを願ってきた。 そうして、それが許されないことも分かっていた。もう、果たされないことも。 まもなく、自分の意識はルビスの物となる。そうして真なる聖なる守りになる。 すでに、トゥール達は『サーシャ』と旅をしているだろう。……それとも、もう、魔王を倒してしまったのだろうか。 ここには時という概念がないからわからない。本来ならば一瞬で溶けるはずなので、今のこれはほんの 一瞬の思考なのかもしれない。それともルビスからの贈り物なのかもしれない。 何でも良かった。ただ、やがてくる最後の瞬間まで、その想いを胸に抱いていようと思った。
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