ミネアの場合。

 シミュレーションは完璧。頭の中で相応しい振る舞いを百回も千回も組立てた。
 お気に入りのスカート。指にはあの時のリング。纏う 鎧は花の香水。武器は唯一つ、銀のリボンをかけた青い箱。
 戦闘準備完了。女の子にとってまさに恋は戦いだった。

 今日はデートではなかった。今オーリンの仕事は佳境に入っていて、泊り込みの毎日だと 知っているから無茶を言う気はない。そもそも今日が何の日かなんて、本人はすっかり忘れているだろう。
 それでも、一つだけお願いをしておいた。12時に職場の玄関まできて欲しいと。渡したいものが あるのだと。いぶかしみ、ミネアが夜中に外に出る事に抵抗を感じながらもしぶしぶOKしてくれた。
 さて。月齢は23。空は氷のように透き通り、星はそれを彩るかのように輝いていて。
 これほど自分が戦うに相応しい空はないだろう、なんて。自分に苦笑しながらもミネアは思ってみたりした。

 待つ事は好き。
 あの秋以来、3回デートをした。その3回。待ち合わせ場所で待っている事すら楽しかった。
 だって、絶対にオーリンは来てくれる。もう、その事が判っているから不安なんてない。たとえ何時間 待っていても、必ずオーリンはいつもの笑顔で来てくれると、もう安心して信じられる。
 会社の前。外は暗くて、とても寒かった。氷の息を吐きながら、ミネアは玄関からオーリンが出てくるのを いつまででも待つつもりだった。
 それはとても楽しくって。何が楽しいと言うわけではないのだけれどとても楽しくて。
 寒さも気にならず、ミネアはオリオン座を見上げて笑う。
(驚いてくれるかしら。・・・喜んでくれるかしら…。)
 毎年毎年、会社の人たち全体に行き渡る義理チョコを渡していた。
 それはあげたいけれど、想いに気がつかれるのが怖いという臆病な心が生み出した卑怯な技。
 それでもオーリンが食べてくれる瞬間、涙が出そうなほど嬉しかった。
(ああ、でも今日は…)
 たった一人のために作ったもの。たった一人だけのもの。
 想いをこめて、まるで魔法のように。
 考えてみればこんな形で相手に想いを伝えるのは『想い』を形にして伝えるのは初めてだった。
 急速に心臓が高まる。顔から火が出るように熱くなる。
 大きく、氷の空気を吸い込む。肺から火照った体が冷やされていく。
 見上げれば、電燈にも負けない輝きを持った星々。シリウスの輝きを見つけながら、目の前の会社のドアが 開くのを、ただひたすらに待った。


「ミネア…お待たせいたしました。」
 2月13日、11時57分。扉が開いた。
「お仕事はだいじょうぶですの?」
「ええ、一段落着きましたから、ミネアを送っていく時間くらいはありますよ。」
 やはり夜中に出てきた事を快くは思っていないようだ。オーリンはミネアを家の方向へ 誘導しながら歩いた。
「平気ですわ、ここから家まで5分もかかりませんもの。…怒ってます?」
「いいえ、ですが控えて下さいね、このようなことは。貴方に何かあったら、私が一番心配するのですから。」
「はい。」
 その言葉が、真剣な表情が嬉しかった。
 30。
「けれど…夜空はこんなに綺麗なんですもの、ずっと中にいるのはもったいない気がして。」
 25。
「ああ、そういえば、ミネアは天文学部でしたね。」
 23,22,21・・・
「ええ、冬の空は透き通っていてとても綺麗ですから。今日は少し月が明るすぎますけれど、もう少し月齢が進めば、 観測日和でしょうね。」
 18,17,16・・・
「ああ、月が星の邪魔をするのですね。」
 14,13,12・・・
「ええ、ですが、月も好きですわ。太陽があって、月があって、星があって、その宇宙のバランスで 地球があるんですもの。そんなことを考えると、夜空が謎めいて見えません?」
 謎めいた占い師のように、深遠な宇宙をそう語ってみせるミネア。
 10,9,8…
「そうですね…とても、綺麗です。少し根を詰めていましたから、夜風は少し落ち着きます。 …それで、ミネアは一体何故こんな夜中に…?」
 5,4,3…
「ちょっと待ってくださいね。きっと、もう少しですから。」
 2,1,0! ”ぴぴぴぴぴぴ…”
 ミネアのポケットに入っていたアラームの音が夜空へと解放される。ポケットに手を入れてアラーム音を止め、 ミネアは持っていた袋を差し出した。その中には、青い箱。
「これを、渡したくて…14日になった瞬間に、一番に渡したかったんです。」
 訝しげに袋を見ていたオーリンだが、袋を手渡された瞬間に顔が赤くなる。
「あ、ああ、そうでしたか…それは…どうも、すみません。」
 そういって、そっと受け取る。
「あ、あの…開けてみてもよろしいでしょうか…」
「え、ええ、かまいませんけれど…。」
 近くへあったベンチに二人で座り、オーリンは箱を膝に乗せてその箱を開けた。
 きちんとハート型をしたガトー・ショコラがそこにあった。
「…ありがとうございます、ミネアが作られたのですか?」
「ええ…お店で買うほどではないですけれど…食べていただけます?」
「ええ、では少し戴きますね。失礼します。」
 そう言って手で、ハートの頭の部分をそっとむしりとった。
「あ、汚れますわ。ごめんなさい、フォークでも用意しておけばよかったですわね。」
 ガトー・ショコラは少し苦くて大人の味。上に振られた粉砂糖が少し甘くて…それは、 まるで二人の付き合いのような味わいだった。
 大人のようで子供、子供のようで大人。冷えているようで、どこか暖かい。
「とても、おいしいです。…ありがとうございます。」
 そう言って箱を閉じる。
「あとは、家でゆっくり食べたいと思います。ここではあんまり無作法ですからね。」
「…ありがとうございます。…」
「さて、家までお送りしますよ、行きましょう。」
 そう立ち上がって二人で歩く。もう、家はすぐそこ。その間、二人は何も言わずに歩いた。…それだけで 幸せだった。
 玄関前に着く。その名残惜しい空気をミネアは払う。…また明日だって、あさってだってあるのだから。
「ありがとうございました。渡したかっただけですのに、逆にお手間を取らせてしまいましたね…」
「いえ、嬉しかったですから。…自慢はできませんけれどね。見せたら食べられてしまいそうですから。」
 おどけて言うオーリンに、ミネアが笑った。
「ええ、できれば一人で食べて欲しいですわ。」
「ええ、もちろんです。」
 そう言って、オーリンはそっとミネアを抱きしめた、柔らかく、優しく…そして、情熱的に。
「…独り占めしたいですから。このケーキも…ミネア、貴方も…」


 マーニャの場合。

「さてと。」
 今日は土曜で休日。そうと知りながらマーニャは制服に着替えた。鞄を持って部屋を出る。 居間で掃除をしていたミネアが声をかけてきた。
「おはよう…姉さんどうしたの?」
「んー、ちょっと学校にペンケース忘れちゃって。宿題あるからやばいのよ。ちょっと取って来るわ。」
「行ってらっしゃい、お昼はどうするの?」
「多分食べて帰るわ。じゃねー。」
 ひらひらと手を振って家を出る。忘れたペンケースを取りに学校へ向かった。
 ペンケースを忘れたのは本当。…わざと机に置き去りにしてきた。
 自分にたくさん言い訳をして、それでも昨日はなぜか渡せなくて。こっそり机のペンケースを見ないふりをして 帰ってきた。
 今日”あいつ”がいるかはわからない。それでも『なんとなく気が向いて』立ち寄って、『なんとなく 入れっぱなしにしていた』チョコを渡そう、なんて考えながら歩いていた。


 はたしてペンケースは無事だった。…今日の目的は達成。
(じゃあ、おまけに挑もうかしら。)
 ちりん、と耳のピアスが鳴る。心臓の鼓動を隠すように。誰もいない廊下を歩いて、体育館に向かう。いるならきっと 剣道場か、体育教官室だろう。

 ライアンは、期末試験に向けて、ただ一人、教官室で残業をしていた。要領が悪い、といわれるが半端で終らせるのが なんとなく気持ち悪いと思ってしまう性格なのだから致し方ない、なとど思いながら黙々と作業に取り組む。今日は 部活がないゆえ、まだ楽な方だった。
 ”コンコン”
「誰だ?今ここにはライアンしかおらぬが。」
 ノックをするのはたいてい生徒のみだ。他の教師に用があるなら無駄足だと思いながらドアの方を見ると、
「あらやだ、本当にいたのね。」
 なんて言いながら入ってきた、マーニャがいた。
「な、なぜ今日、ここにいる?おぬしはもう部活などないはずだろう?」
「だってペンケース忘れたんだもん。宿題できないじゃない。で、ついでになんとなーくここらへん歩いてて、 なんとなく寄ってみたのよね、深い意味なんてないわよ。」
 なぜか赤い顔をしながら言うマーニャに気がつかず、ライアンは生徒データを隠す。
「…そうか、それで特に用はないのだな?」
 そう言うライアンのすぐ横を見てみると、包装紙にくるまれたままのチョコが、無造作に積まれているのが見えた。
「…ふーん、先生もてるのね。」
「いや、これは他の先生の付き合いや、生徒の賄賂でな…その、特に、他意があるわけでは…」
 しどろもどろになりながらチョコを隠す。
「別にいいのに隠さなくても。…でもそうすると、いらないかしら、これ。」
 鞄からチョコを出してみせる。ライアンはそれを見て重苦しい表情になった。
「…いや、…断じていらない事などないぞ。」
「そう、ならあげるわ。なんとなく買っちゃって、たまたま鞄に入りっぱなしだったのよ、邪魔だしね。」
 ぽい、と投げるようにライアンの手に置く。だがライアンはそれを大事そうに受け取った。
「…食べてもいいだろうか。」
「いいわよ、って、校則ではお菓子の持ち込みってOKだっけ?」
 からかうように言うマーニャに、ライアンは真面目に答える。
「別に禁止されては居ないはずだ。というか食堂で売っているだろう。授業中に食べるのはもちろん禁止されているが。」
 そう言いながらラッピングをあける。中からはトリュフチョコが出てきた。…そして、 そのラッピング、トリュフとも明らかに手製だとライアンはわかってしまった。
 この上なく嬉しそうにライアンはチョコを食べる。ブランデーの味が、じんわりと中から飛び出す。
「…うまい。」
 その言葉に、なんとなくマーニャも報われた気になった。慣れないことをして、昨日一日機会をうかがって、 やっと渡されたその緊張は、すべてこの一言の為だったような、そんな気がした。それでも赤くなりながら 憎まれ口を叩く。
「別に、たいしたもんじゃないわよ。誰でも作れるわ。」
 その言葉にライアンは、少し意地の悪い顔をした。
「…やはりおぬしが作ったのだな。…うん、上手いな。意外な才能だ。」
 マーニャは真っ赤な顔で抗議する。
「し、失礼ね!そりゃミネアに教えてもらったけど、2、3回間違えたけど!あたしだってやればできるんだから!」
 言うたびに墓穴を掘っている様な気がして、マーニャの顔はますます赤くなる。
 それをみて、可愛くて、この上なく可愛くて。思わず抱きしめたくなる手を押し止める。
「…ホワイトデーは…来月だったか。・・・おぬしはもう卒業しているな。」
 卒業式は3月1日だった。当然マーニャはこの学校にいない。
「そうね…でもだからといってごまかせると思わないでよ!三倍返しなんだから!!」
「ああ、そうだな。」
 そう言って笑った顔は、マーニャにとって『殺し笑顔』で。それだけで顔が暑くなる。
「…必ず送ろう。特別なものを…だから、それまで、待っていて欲しい。」
 その言葉がプレゼントのことだけを言っているのではない事は明白で。
 …マーニャはただ、赤くなって頷くしかなかった。



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