アリーナの場合。
「おいしかったですね。」
「うん、楽しかったわ。ちょっとおなかいっぱいだけど。」
「晩御飯、ちゃんと入りますか?たくさん食べていらっしゃいましたからね。」
「うん…でも平気。クリフトは?」
「ちょっと苦しいですね。けれど、あんな感じのチョコレートは初めてで、新鮮でした。」
アリーナはクリフトの顔を、心配そうに覗き込む。
「…クリフトって、チョコレート嫌いだっけ?」
「いえ、キライではないのですが、毎年毎年、色々な方にいただきますから…あまり たくさん食べますと、やはり飽きてしまいますから。」
「それなのに、毎年貰うのね。」
少し不機嫌な声に、クリフトは困ったように言う。
「お断りできるものは、きちんとお断りしているのですが…机の中などに入れられたものや、何かの お礼などと言われると、断るのも申し訳なく…貰った以上は食べないともったいないと・・・」
その妙に生真面目というか、頑固な所がどうしようもなくやっかいで、そして好きなのだと アリーナはため息をつく。
「…今年も、貰うの?」
それはちょっとやきもちめいた言葉になったと、アリーナは思った。実際はめいたどころではなく、やきもちそのものだったが、 その言葉が、クリフトには嬉しかった。
「できるだけ、貰わないように頑張ります。」
それは真面目な誓いだったが、口元が少しだけ緩みつつあった事は、否定しない。幸いな事に、 アリーナには気がつかれなかったようだった。
あまりにも、頭の悪い答えだと、アリーナは思う。
こんな場合『貰いません』と言っておけばいいのだ。受け取ってしまったものは捨ててしまえば自分にはわからないのだから、 それが一番賢いことくらい、アリーナでもわかる。
アリーナはため息をつく。
クリフトは昔から、真面目で、頑固で、できない心にもない約束はけしてしない。そう、例え結婚式の誓いの文句において、 「生涯愛する事を誓いますか?」と問われ「そうあるように全力で努力します」と言いかねないほどのどうしようもない あたまでっかちだだった。
気が利いたことも言えない、いつだって真正直でまっすぐで。…純粋で。こんなわがままなお嬢様をずっと面倒見てくれるくらい 貧乏くじを引いていて。
…それでこそ、クリフトだと笑ってしまった自分は、存外趣味が悪いのだろうかと思って、もう一度笑ってしまう。
ごそごそと鞄の中から先ほどラッピングされたばかりの箱を取り出す。
「はい、クリフト。」
「あの…これは…」
差し出された箱を、受け取りもせず見つめる。
「今日、私先に行ったでしょう?ミネアさんとシンシアさんに教わって、作ったの。本当は当日に渡そうと思ったんだけど… すぐ悪くなるんですって。だから、今渡しておくわ。」
はい、と差し出されて受け取る。深緑のシフォンのリボンでラッピングされた白い箱。そこからは甘い匂いが漂った。
「私、こういうの初めてでしょう?上手く作れるかなって悩んで、ミネアさんがね、これだったら簡単だからきっと 作れますよって。しかもおいしいんですって。」
クリフトが、じっと箱を見つめているのに耐えかねてぺらぺらと話し出す。はやり当日に渡したほうがよかっただろうか? ましてや今さっき、チョコを食べたばかりなのだから。
「ら、ラッピングを深緑にしたのはね、なんだかクリフトのイメージかなぁ、って思ったからなんだけど。」
クリフトは、微動だにせず、箱を見つめている。
「か、かさばるものじゃないし、大丈夫だと思ったんだけど…やっぱり、迷惑?」
そう言ったとたん、クリフトはものすごい勢いで首を振る。
「い、いえ…戴かなくてもいいと、ずっと思っていましたし…その気持ちに偽りはなかったわけで…その、 今まで様々な方に戴いたのですが…これほど嬉しいチョコレートは初めてで…その…感動しておりました。」
その言葉に、アリーナも嬉しくなる。心が温かくなる。
「良かった!…でも残念。もっと早くあげておけば良かったかな。」
「いえ…ああ、いえ、それでもきっと嬉しかったでしょうけれど…それでもきっと、これほどは嬉しくなかったと 思います。私のアリーナ様への気持ちを私が自覚していて、その方に貰えたというのが、大切ですから…」
そう言って、そっと鞄にしまいこんで言った。
「ありがとうございます、アリーナ様。大切に食べさせていただきますね。」
「うん、ねえ、クリフト、お願いがあるの。」
「なんでしょう?」
そう言って顔をあげる。アリーナが、笑っていた。
輝くような明るい笑顔ではない。無理して笑う、曇り空のような笑顔でもない。
雪の中、ささやかに咲くスノードロップのような、心に染み渡るそんな笑顔だった。
「あのね、本命チョコ、どれだけ貰ってもいいわ。それを食べてくれてもいいの。でもね…」
すう、と一息入れる。
「私のを、一番に食べてね。誰よりも先に食べてね。…それもあって最初に渡したの。誰かの想いがこもったチョコよりも、 私のチョコレートを、一番に食べて。」
(どうしよう)
嬉しくて、その言葉が余りにも嬉しくて。アリーナが、あんまりにも愛しくて。
(どうすれば…)
頭の中ではそれだけがちらつくのに、体が勝手に。
そっとアリーナを抱きしめる。
髪から、甘い甘い匂いがした。チョコレートよりも、もっと甘い匂い。
「はい、約束いたします、アリーナ様。」
「あ、あ、あ、うん、クリフト。…えと、ちょっと、苦しい…」
そう言われて、パッと放す。
「申し訳ありません!!」
「え、ううん、いいの。…気持ちよかったし。」
そう言いながら、アリーナの顔は真っ赤になっていた。クリフトはとっくに真っ赤だ。
赤くなった顔に、夜風が心地よい。
「帰りましょうか。」
アリーナに差し出された手はあまりにも自然で。
…あの夢を、あの過去を思い出されたものだから。
クリフトも自然にその手を繋ぎ…ふたりで微笑みあって、帰路へとついた。
シンシアの場合
机に置かれた薄い緑の袋。結ばれたリボンは白銀。ちょうどアリーナのラッピングと逆の飾りつけ。 リボンには青色のカードがはさんである。
その袋を見ながら、シンシアは唸っていた。
「どうやって渡そう…」
渡す相手は他でもない、ラグで。恐らく渡せば受け取ってくれるだろう。
だが…それは、他の女子でも一緒で。結局自分はただの親しい女友達で。
かと言って。
「告白するわけにも…」
そもそもしたいのかわからないし、その資格もない。その上自分のこの気持ちが本当に『恋』で あるかも確信がもてない。
何より告白して振られたら、立ち直れそうにない。ないないづくした。
ならば普通に渡せばいいのだろうが、それもどうにもできなくて。
だいたいどこで渡せばいいのか。
昼休み…あれだけ気合を入れて作って、それをみんなの前で渡せない。
クラス…渡せば噂になるだろう。からかわれるかもしれない…それは恥ずかしい。
部活…それも上に同じだ。下手すれば今のように側に寄ることもできなくなってしまう。
お見舞いのとき…ずっと病室にいるロザリーの前でそんなことはできない。
いっそ捨ててしまおうかと思うけれど、このチョコレートを捨てるという事は、自分の気持ちまで捨ててしまうようで。
「…私の馬鹿…どうして作っちゃったんだろう…だいたい何て言って渡せばいいのかしら…」
すでに、義理チョコはチョコレート・フォンデュと言う形で渡してしまっているのだ。この上渡すなんて、 恥ずかしい、照れくさい。
うー、うー、うー、と唸りながら、夜は暮れる。
今年のバレンタインは13日が勝負。女の子達は気合を入れて、準備。
今日一日はと浮かれた空気を許す先生たち。一つでももらえるのかとそわそわする男の子。浮き足立った空気が、 女の子達を勇気付ける。
そして。
「あ、あの、クリフト先輩…」
「ラグ君…そのぅ…」
色男が苦労をする日でもあるのだ。
「あーあ、お前、すごいな…」
休み時間ごとに呼び出されるラグに、ホフマンがため息をついた。
「でも、ホフマンだって机にチョコレート入ってたんじゃなかった?」
「お前とは桁違いだよ。で?何個受け取った?」
「受け取ってないよ。断ったし。あ、でも机に入ってたかな…」
指折り数えるラグの頭にホフマンが一撃入れる。
「くっそ…やっぱお前に賭けとくべきだったかな…」
ホフマンの言葉にラグが首をかしげる。
「賭け?」
「ああ、毎年男が集まって『誰が一番チョコレートをもらえるか』って賭けるんだよ。まぁ、もてない男の僻み みたいなもんだけどよ、そんくらいしか楽しみがないからな。んで、俺はクリフト先輩にかけたんだが…」
「そんなことしてるんだね…でも、どうやって判るの?」
「ああ、毎年苦労してさぐんだけどよ、今年はお前、協力してくれ。クリフト先輩に聞きゃわかるだろう?」
「いいけど…今年はクリフト先輩、チョコ断るんじゃないかな…」
「…ああ、みたいだな…毎年『せめて受け取るだけでも』って言ってきた女の子には断らないって話だったから ダントツだったんだがよ…ああ、くそう、本命だったから倍率低かったのによう。」
「言ってくれたら教えたんだけどね、ホフマン。…ちなみに対抗は…?」
そう言うラグに、ホフマンがまた一発拳骨を入れる。
「ラグ、お前に決まってるだろうよ…あとは3年のアレクス先輩、ロレンス、リック、ライアン先生…んなとこかな。 なんだ、お前も賭けたかったか?」
「遠慮しとくよ。でも、先生も入ってるんだ。」
「ああ、まぁな。ヒルトン先生なんかは5.8倍だしな。」
「…ヒルトン先生って、いくつだったっけ?」
「ああ、もう60越えてるけどさ、授業が厳しい先生は賄賂で増えるだろ?ライアン先生なんかは校則違反を見逃して 貰う目的なんかで結構多いらしいぜ。まぁ、顔も結構いいしな。」
「ふーん。」
わいわいと楽しそうに話すラグから、目を離さない。さっきからドキドキしている。休み時間ごとに女の子呼び出され、 そのたびに何か持って帰ってこないかとはらはらしているのだ、シンシアは。
鞄に入ったチョコレートがやけに重い。
「ねえ、シンシア。」
「な、なに?」
クラスの女子の呼びかけに、上ずって答えるシンシア。
「シンシアは、誰かにチョコレートあげるの?」
「え、えーと・・・お父さんには明日あげるわ。…あと、マーニャ先輩達とクリフト先輩やセレスティアル君に まとめて義理チョコあげたかな。剣道部の人たちにもあげる予定よ。」
「えー、シンシア、ラグリュート君にもあげたの?いいなぁ…ラグリュート君、皆からのチョコ、断ってる みたいだし、クリフト先輩もでしょ?」
「私のは、義理だから…」
その会話で天恵のようにひらめく。袋に大量につまった剣道部への義理チョコ。それをじっと見ながら考えをまとめた。
部活が終る。冬の部活は短い。日がすぐ暮れる為、大会前でもない限り、いつもより一時間も短くなるのだ。
『礼!』
全員が主将の挨拶で礼をしたあと、シンシアが声をあげる。
「あの、皆さん、よろしかったらチョコレートありますから、受け取ってください。」
その声に、全員がシンシアへ群がった。
「ありがとう!!」
と涙ぐむ生徒。
「うわー、俺、もらえねーかと思ってたよー」
と安堵する生徒。それぞれ皆嬉しそうで、その場で開けて大喜びしている。
「お、手作りじゃん!クッキー!さんきゅー」
型抜きクッキーをおいしそうにほおばる。
袋が空になる。ほっと一安心。皆が礼を言いながら帰っていく。シンシアは、下級生に混じって、後片付けを 始めた。
「結果は月曜日、僕がクリフトさんに何個貰ったか聞いてから出すらしいんだけど…面白いよね。」
「トトカルチョ…いいのかしらね?そんなことをしても。」
「先生に見つかったらまずいだろうけど…大丈夫じゃないかな。」
ラグが楽しそうに笑う。シンシアも微笑む。だが、会話が上滑りしているのがわかる。チャンスなら、今しかないのだ。
鞄の中から、袋を出した。
「あ、あのね、その、剣道部の人たちにクッキーあげたんだけど、一個足りなくて、それで、その、 ラグの分がないから、こっちあげるわ。アリーナさんたちに教える時に、作ったの。」
ぽん、と置く。ラグは受け取ってぼんやりした。そして、
「ありがとう。嬉しいよ、僕」
そう笑ったラグの顔は、妙に印象的で。
目を閉じても、いつまでもいつまでも焼きつくようなそんな顔だった。
寮に帰って、こっそりと袋を開ける。
何人もにチョコレートを差し出された。…その気持ちは嬉しかったけれどそれを受け取るわけにはいかないと思っていた。
欲しいチョコは、唯一つ。もっともすでに貰っていたから貰えないのは判っていたが、それでも他のは 正直言うと、欲しくなかった。それは、とてもわがままな気持ちだった。
だから、たとえついででももらえて嬉しかった。これは、自分のためだけのものだから。
はらりと、リボンを開ける。とても綺麗な色合いだった。中からは繊細なクッキー・ラングドゥシャが顔をのぞかせる。
一つつまんで食べてみると、見た目にたがわぬ繊細な味が、とてもシンシアらしく思えた。
顔がほころぶ。だらしがないとは思うが、本当に嬉しかった。
「でも…これ、全部食べちゃうのもったいないかな…でもな…」
そんな妙な気持ちで葛藤していたラグ。…そして、床に落ちた一枚のカードが目に入る。
不思議に思いながら拾い上げる。あけると若草に縁取られたカード。印刷された簡潔な文章。
”I am glad to meet you.”
そして、『To』と印刷された場所にシンシアの文字で『ラグ』。『From』とかかれた場所には『シンシア』。 …ただ、それだけのカードだった。
目が丸くなる。どういうことだろう、と考えてみる。
…よくは判らないけれど、これは自分のために用意されたのかもしれない、とラグは考える。
(ちょっとは、うぬぼれても、いいのかな…)
もう一個、クッキーをつまむ。それはとても嬉しくて、暖かな、味がした。
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