それから、ピサロはこの森に訪れるようになった。
 けして少なくは無い時を三人で、時には二人で過ごすようになっていた。
 ロザリーは、暇さえあれば森に行っていた。以前は欠かさず共に行っていた姉の「仕事」にもついていかず、 森でずっと待っている事さえあった。
 姉は、さして興味が無いようで、散歩したいとか、花や果物を取りに行くなどと言った用事 の時に、たまたまピサロと会うと話しているようだった。
 しかし圧倒的に多いのが、ロザリーが姉を誘い、森へ会いに行く事が多かった。そんな時、姉はけっして 断らない。それを知っていたから、ロザリーはよく姉を誘って森へと言った。
「姉様、今日も森へ行きましょう。」
「ごめんなさい、ロザリー。今日はご使命を賜ったの。同じ森だけれど、 あの場所とは随分方向が違うわ。終れば行くから先に行っていて。」
「ええ、姉様!」
 ロザリーは嬉しそうに頷いた。そうして森へと駆け出した。

 ピサロと話すのが何よりも楽しい自分に気がついていた。
 ピサロと会えると思うと胸が弾む自分に気がついていた。
 そして…三人で話すより、二人で話すほうが嬉しい自分にも本当は気がついていた。
 だって、こんなに足が軽い。こんなにも浮かれる。
 それなのに、なぜか、毎回姉を誘う自分の矛盾には気がついていなかった。
 ただ、早くあの場所へ着きたかった。
(ピサロ様、今日は来てくださるかしら。)
 一昨日も昨日も来てくれなかったのだ、きっと今日は来てくれる。
 そして、『ロザリー』と呼んで欲しい。
 …あの人がつけてくれた、名前。
 皆知らない、秘密の名前。
 呼ばれると、どこかくすぐったい、秘密の名前。

 あの岩の場所につくと、そこは静寂に包まれていた。
(いらっしゃらないのかな…)
 それでも、冷たい岩の上に座る。
(それでも、いい。)
 私は、この瞬間、この時間を独り占めしているんだから…


 遠くで、爆音が響いた。
(ああ、姉様が…)
 昔は、とても辛かった。いいや、今でも辛い。自分だけ、できない。それはとても自分が駄目なのではないかと思える。
 姉はそうではないと言ってくれるけれど、そんな風には思えなかった。名のない自分。…誰にも見てもらえない、 自分。
 けれど、今は違う。少なくとも名を呼んでくれる人がいる。名を呼ばれるということは特別だ。自分が「誰でもいい」 存在ではなく「自分で無ければならない」と言われたようで。
 それがくすぐったくて嬉しかった。
 鳥と話し、樹木と歌った。それでも、待ち人はこなかった。爆音は、とっくにやんだのに、未だに姉すら現れない。
(今日も、いらっしゃらない…)
 待つのは嫌いではなかったけれど、これでは少し寂しすぎた。ロザリーはすくっと立ち上がる。
 そう言えば、最近このあたり以外の森に、行っていなかった。
 誰よりも仲良だった樹や、もうすぐ生まれるリスの子を、見に行きもしなかった。
(今日は、ゆっくりと森を回りましょう。)
 ゆっくりまわって、姉の元へと合流して、今日は帰ろう。
(そして、きれいなものがあったら、明日ピサロ様にお見せしよう。)
 その時のことを想像するとなんだか嬉しくなった。そうして上機嫌で爆音が聞こえたあたりに、ゆっくりと歩いていった。


 使命を終えるころには、日が高く上っていた。
「見事だったな。」
 森へ入るとそこには、見覚えのある魔族がいた。
「ピサロさん、どうしてここに?」
「あれほどの音がすれば、誰でもここに何かあると思おう。」
「あの子が、あの岩で待っているわ。」
「ふむ。だが、私はそなたと、しばし話がしたい。ロザリーならば頃合を見計らって迎えに行こう。」
「そう、何が話したいのかしら?」
 さして感慨もなく、娘は岩に腰を下ろす。ピサロもその横に腰をすえた。
「また、神に命じられていたのか。」
「今日のご使命は大繁殖した毒蜘蛛を燃やしたわ。」
「それに対して、どう思う?」
「確かにあれほど大量発生しては、他の動物にも危険であるほか、当の毒蜘蛛の種すらも危うくなるでしょう。」
 その言葉にピサロは少し訝しげに聞いた。
「…本当にロザリーと姉妹なのか?」
「ええ、私とあの子は両親を同じくする、たった二人の姉妹です。」
「だが、余りに似ていない。」
 その言葉に、淡々と答える娘。
「髪や目の色は同一ですし、顔立ちも、よく似ていると里の者に言われますわ。…ロザリーのほうが、ずっと愛らしいですけれど。」
 他のものが言えば、そこには妬みが見えるものだが、この言葉は、ただただ事実を告げていた。
「…だからこそ、神の巫女にはなれぬのか。」
「神からの使命には様々な役割がありますから、私には何も言えないわ。」
 ピサロは目を見張る。
「何かを破壊するだけではないのか?」
「ええ、成長が遅い樹を育てたり、動物を保護したりも致します。」
「ならば何が違うのか?魔力か?そなたからは多大な魔力を感じるが。」
 娘は首を振る。
「ロザリーにも魔力はあります。」
「ああ、わずかだが、感じるな。…ならばやはり相性か。」
 考え込んだピサロに娘は、少しだけ考えたあと、ぼそりと言った。
「…私も、そう思います。」
「何の話だ?」
「ロザリーが可愛らしいから、神の巫女に選ばれないという話です。あの子の表情はくるくる変わって、 とても暖かくなります。神の巫女に選ばれるよりも、森のささやかなものに感動できる、あの子の力のほうが ずっと尊いですから。…神もその力を失って欲しくは無いのではないかと、思います。」
 そう言って、少しだけ、微笑んで見せた。
「…かもしれぬ。だが、私はそなたのほうがいい。そなたの笑みは、雲間から降りてくる、一筋の光のようだ。」
「ありがとうございます。」
 嬉しそうでもなく、困惑するでもなく、ただの無感動な礼に、ピサロは少し寂しくなった。

「そなたの心は、どこにある?やはり神か?」
「心とは、どういうことをいうのでしょう?」
 そう問われ、ピサロは黙った。
「自らの行動の指針といったところか。」
「ならば、私の心は運命のままでしょうね。」
「…それは、心がないのと同じだ。」
「貴方がそう言うなら、そうなのでしょうね。」
「ならば、何のために生きている?」
 その質問にも、娘は迷い無く答えた。
「生きる事に、理由がいるのですか?」
「ならば、神にしたがう理由はなんだ?」
 まっすぐ見つめる眼からそらさずに娘は答える。
「逆らう理由がありませんから。神様は、いつだって正しいのですもの。」
「神が正しい事は、誰が証明する?確かに良い方向に向いているかも知れん。だが、他により良い方法がなかったと、 誰が言えるのだ?」
「起こらなかった事を、正しかったと言ってもそれは無意味でしかありません。」
「だが、誰かに言われるままに行動した結果と、自らで導き出した結果も、重みが違うのは、また事実だ。 そなたには、生きている実感はあるか?不確かな正しさに身を任せるだけの生き方では人形と変わらないのではないのか?」
「人形、ですか?」
 その言葉にピサロが頷く。
「そうだ。なぜ神がそなたを良く選ぶのか、私には良く分かるぞ。 心のままに生きず、言われたとおりに動くだけのものにはさぞ入りやすかろう。」
「そうでしょうね…私はただ時を過ごしているだけです。ですが、鳥も花も樹も、みんなそうですわ。」
「だが、それならば考える能力を持って生まれてきた、神の意思とやらに逆らっているのではないか?」
「神の意思…そう、なのでしょうか?」
 はじめて、見せた迷いだった。そんな娘に、ピサロは優しく言った。
「生きる理由を私に預けてみないか?」

「そんな事をする理由がありません。」
 迷いもしない返答は、ピサロの予想通りだった。
「だが、それを断る理由もないのではないか?私と共に来ないか?」
「なぜ、その様な事を言うのですか?」
「そなたはいつも冷静で、魔力があり、合理的に物事を考えることが出来る。とても優秀な人材だ。 それに…そなたが妙に気になる。」
 娘は、じっとこっちを見ていた。
「その心を、満たしたいと思う。私自身の手で笑って欲しいと…思う。だから、私と来て欲しい。」
 それは、本人にも無自覚な告白だった。その瞬間までは。
 だが口に出された言葉は自分の心を定める。自分の気持ちに気づき、ピサロは顔を赤くした。
「そなたでなければ、駄目だと思う。だから、その、考えて、欲しい。まだ、心が なくとも、かまわぬ。」
 余りにも不器用な言葉だった。だが、だからこそ、聞いた相手には、その思いが伝わる。
 そしてそれは、側で見ていたロザリーにもそれは痛いほど伝わった。


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