王妃ユーナを失ってからのサントハイム王は、何とか公務をこなしている、というだけの状況だった。 新たな政策を打ち出そうともせず、勢力的に動く事もなく、ただ陳情を聞き、意見を他に尋ねる。仕事が終わるとすぐ部屋に 引きこもる。そんな事がもう一ヶ月も続いていた。…良くぞ内乱が起こらなかったものである。
 だが、そろそろ限界ともいえた。王の精神も、何もかも。
 王妃の死以来、王は部屋に人が入る事を嫌った。メイドもアリーナも。ただその部屋を、空気を全て ユーナがいたときから変えたくないと、そう言ってこもっていた。
 ふとした拍子にもれるうめき声。うつろな目。もし、部屋に入る事を許されていたならば、その人物は そんなものを見せられていたのだろう。
 気がつくと部屋には埃がたまり、清めの香のにおいが染み付いた、病んだ部屋と化していた。
 王は自らを眠ろうとせず、ただ死を嘆き、力尽き果てるとゆっくりと意識を失う。…病んだ 人間だった。
 今日も王は公務を右から左に流し、カーテンを締め切った部屋で、一ヶ月一度も日にさらしていない ベッドの上、王妃が伏せっていた別室から持ってきたシーツに包まり、あらぬ場所を見ていた。
 そして、夜も深けた頃。
 ”コンコン”
「……」
 ”コンコン”
「……」
 その音が、ユーナの発した音でないのなら、王にとってはどうでもいい事だった。
 ”コンコンコンコン”
「…誰も、入るな。」
 ぼんやりと王はつぶやいた。
 だが。
 ガチャ…ききぃ…
 鍵は開けられ、灯りが差し込んだ。
「入るな。」
「いいえ、入らせていただきます。」
 それはブライの声だった。王はぼんやりと顔をあげる。
 すると暗闇の中、ブライはテーブルに袋から出した何かを取り出していた。

「…何しに来た。」
「王、覚えていらっしゃいますか?ユーナ様との結婚式の前日のことを。」
 王は顔を伏せた。
「…その名を告げるな。」
 名を聞くと、ユーナがいないのだと思い知らされる。
 どれだけ呼んでも返事をしてくれない。どれだけ叫んでも還って来ない。
 なら、聞きたくない、その名を。
 だが、ブライは容赦なく話を続ける。なによりも王のために。
「あの時、私は…とても落ち込んでおりました。今の王のように。」
 興味は、なかった。今の王にはユーナ以外は目に入らないと言っても過言ではなかったから。
「失恋、していたのです。」
 だが、その言葉に、王は驚いた。目に生気が少しだけ戻り、頭を上げた。
「お前が、失恋?一体誰に?」
「…王の知らない方ですよ。その時、王が私に何をしてくださったか、王は覚えていらっしゃいますか?」
 記憶がない。ブライが恋をしていた事も知らない自分が、一体何をしたのだろう?
 ブライは、袋から最後の酒瓶を取り出した。
「飲みましょう、アーサー様。…今夜はあの時のように、二人で語りましょう。」


 二人の頭の半分は、酒に侵されていた。王の…いやアーサーの口は軽やかに滑る。
「美人薄命とはよく言ったものだ…ユーナさえいれば、ユーナさえいれば他には何もいらないと言うのに… 神はどうしてそこまで皮肉はことをするのか…」
 ブライは大きく頷き、酒をあおる。
「ええ…あれほど素晴らしい方だからこそ、神にも愛されたのでしょうが、それにしても皮肉すぎます。…ですが、 アーサー様…それではいけません。」
 アーサーは机をドンと叩く。
「お前に何がわかる!私は、私は最愛の人を、自分の命にも変えられる!大切なものを失ったのだ!!!」
 だが、ブライはにこりと笑えた。…笑う余裕ができていた。
「私はかつて失恋したのですよ、王。…その方も、もうこの世にはいません。…その気持ちはわかるつもりです。」
「だいったいだなー。その相手は誰なのだ?お前に想い人がいたというなら、私は全力でバックアップしたと言うのに! どうして今まで教えてくれなかったのだ?」
 その言葉に、ブライは笑った。
「言おうとは何度も思ったのですが…どうにもタイミングがつかめなかったのです。」
「で、教えろ、誰なのだ?」
「…そうですな。やがて私と王が天にあがったときお話しますよ。その時は、ユーナ様と三人でまた酒盛りでもしましょう。」
「もったいぶりおって…で、さっきの話の続きは?」
 ブライは自分を面白く感じていた。
 こんな風に笑いながらユーナについて話せる日が来るとは思わなかった。
 溶けた氷は、哀しみと共に、喜びをもたらす。空に雨が在るのと同じように。
 …空のように、湖のように、人は生きていくのだと、ブライは感じた。

 まだ、自分自身に言い聞かすような、説得力のない言葉だけれど。だからこそ、 言わなければなからなかった。
「ユーナ様は残してくださいました。アリーナ様を。たった一つの宝物ではありませんか。…大切にしなければ なりません。愛さなければなりません。」
「アリーナか…」
 アーサーは手で額を覆う。
「あの顔を見るのが、辛い。…なぜあれほどまでユーナに似ているのだ。なぜあれほどまで ユーナのように笑うのだ…」
「ユーナ様が、残されたからですよ。」
 ユーナの伝言を、最後の想いを。
「ユーナ様はアリーナ様にこう残されたそうです。『いつも笑っていて、そうすれば 人はそれをみて幸せになれるから』と」
「ユーナ…そうだ…ユーナは私にアリーナを残してくれた…」
「姫様を見て辛く思う気持ちは、誰しも同じです。…ですが、幸せにしなければいけません。ユーナ様の 御子なのですから。少しずつでいいのです。…アリーナ姫様自身を見られるように。」
 カラン。氷が軽い音を立てた。ブライは王のグラスになおも酒をそそぐ。
「ああ…そうだな…そのとおりだ…あれはユーナではなくアリーナだと、判ってはいるのだが…」
 王はぐいっと一気に酒をあおった。
 ブライはそれを見ながらちびちびと酒を減らしていく。
「…きっとそれだけ判っていれば十分です、アーサー様。」
 自分は、それすらわかっていなかったように思った。目の前に在る顔。それだけで自分の心が侵されるように思っていた。
 それと、最後に残った大切な言葉を、
 ブランデーの琥珀を顔に移しながら、ブライは言った。
  「そして、なにより、王、あなた自身が幸せにならなくてはいけません。 …それこそが、なによりのユーナ様の願いのはずですから。」


 光差す中庭。
「ブライ、見て、ホイミを覚えたの。」
「ブライ!ぼくとあそんで!」
 花のように笑うブルーかかった黒髪をまっすぐに流した小さな姫君と。
 空のように遊ぶ、栗色のくせげを持ち、武闘家風の服装をした、小さな王子がとても楽しそうに陽に浴びて輝いていた。

 ゆっくりと、ゆっくりと自分が光になろうとしているのを感じる。 光に溶けていこうとしているのを感じる。
 とても…とても長く生きた。常人には得られない知識を得、常人には体験できない冒険をした。
 伴侶は得られなかった。想いを遂げる事もできなかった。
(じゃが、わしは幸せじゃった…)
 とても、幸せな生涯だった。これほどまで幸せな人間はいないと思えるほどに。
「ブライ?」
「どうしたのブライ?…ごかげん、わるい?」
 二人が心配そうに顔をかしげる。
「いやいや、大丈夫じゃよ。わしも年じゃからな、色々物思いにふけっておったのじゃよ。」
「年だと、物思いにふけるの?」
 王子が首を傾げる。ブライは笑う。
「未来より過去が長くなるとなあ。ついつい昔を思い返すのじゃよ。」
 そのとたん、腕をつかまれる。見ると姫が目に涙を浮かべていた。
「いやだ、ブライ。…そんなこといっちゃいやだ…」
「泣くなよ、しょうがないな…」
「だって、おにいちゃん…ブライが…」
 そういう姫の頭をブライは撫でる。
「そろそろお父様が探してるじゃろうて。城に戻りなされ」
 そう言ったとたん、聞きなれた声が中庭に響く。
「あ、おとうさま!」
「父さん!じゃあ、ブライ、ぼくたち行くね!」
 手を振りながら走っていく二人。
 ”またブライ様のところにいたんですね。迷惑かけませんでしたか?”
 そんな声が遠くから聞こえる。
(もはや国で二番目の地位を得てるというのに、あやつは変わらぬなあ…)
 ユーナに任されたものは、新たな伴侶に託す事が出来た。…それが元は自分が連れてきた人間だという事を、 自分は少し誇りに思う。
 …たくさんの思い出がある。ユーナ様が体験できなかった、たくさんの思い出が。
 これを抱えて、天へあがろう。…そして、アーサー様が来るまでの間、たくさん語り尽くし… いつか天の国で三人でまた語ろう。
 自分の想いを告げた時の二人の顔を想像するとどこか楽しい。
 そんな風に思えるのも、自分の心の氷が溶けてからだった。
 氷が溶け、辛い思いを乗り越えたからこそ、心を揺らす事も温める事もできる。
 自分の心の湖が、とても輝いているのを感じられた。


 いつか天に昇る日を、楽しみにしている。
 緋い花が、湖に咲いたあの時からの物語を語る日を楽しみにしている。
 そう思えるだけで、幸せだったと語れる日を待ちわびている。
 遠からじ、その時を。


                                                    Fin

 
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