「空…が?」
(空なんて、そんな風に見上げた事、なかった。)
 いつだって上にあって当たり前のもの。…綺麗なんて思った事なかった。
「お花…嫌いなの?」
「好きですよ。でも、空の方が好きですね。」
 その言葉は、母を否定されたようで。
「どうして!お花はいつだって綺麗に咲いてるわ!でも、空なんて 曇ったり雨降ったりでいつだって綺麗じゃないもの!」
 そう怒鳴られた事に、クリフトは嬉しかった。
 初めて『本音』を聞かせてくれた。その事がとても。
 どうして花にこだわるか、知っているから慎重に言葉を口にする。
「…その代わり、花はすぐ枯れてしまいますから。」
 クリフトの口から空気を振るわせたものは、アリーナの心をゆさぶった。
 それはまるで、母の生涯そのもの。
「でも…でも…」
「それにアリーナ様。どうして空が曇るかご存知ですか?」
「うーんと、えっと、雨を降らすためよね?」
「ええ、神様が地上の水を空に集めて雲にします。そしてそれがいっぱいになったら雨を降らして下さります。」
「うん…でも、雨は好きじゃないわ…外に出られないもの…」
 そういうアリーナにクリフトはにっこりと笑う。
「ですが、雨が降らないとお花は育ちませんよ?雨は神からの恵。とても大切なものなのです。 …雨が降らないといつまでも空は曇ったままです。」
 クリフトは、アリーナと視線の位置を合わせるために、隣りにしゃがむ。
「ですから、アリーナ様。心に、雨を降らせて下さい。」
 アリーナは驚いて身を引く。
「アリーナ様の笑顔はいつだって曇っています。…雨を降らさないと、泣かないと、いつまでも曇ったままですよ。」
 その言葉に、アリーナはわけもわからず叫ぶ。
「でも、でも、雨は人を嫌な気持ちにさせるわ!お花はいつだって人を幸せな気分にさせるもの!雨なんて…空なんて…」
「ですが姫様。雨が上がった時の空はいっそう澄んでいて、幸せな気分になりますよ?それに…雨が あがったとき、見えるものはなんです?」
「…虹…」
 優しい言葉に、アリーナの眼に涙が浮かんでいた。
「クリフトは、アリーナ様の虹のような笑顔が、見てみたく思います。」
 ぼろぼろと涙をこぼしながらアリーナはクリフトの胸へしがみついた。
「ずっと、耐えていらっしゃったのですね…」
「お母様が…お母様が…」
 大声で泣きながらも必死に何かを伝えようとするアリーナ。
「お母様が、おっしゃったの…あ、アリーナは、いつも、笑ってって…って。」

 アリーナが最後に見た時よりも、母はもっと細くなっていた。顔色も悪かった。
 それでも微笑みながら、涙を流すアリーナに手を差し伸べて言った。
「…貴方は、いつも笑っていてね、アリーナ。…その笑顔は、皆を幸せに…してくれるわ… だから、…いつも笑っていて…」
 アリーナが、涙を拭いて笑う。むりやりにも。
「笑ってるよ!?アリーナ笑ってるよ!!だから、だからお母様!」
「あら…本当ね…おかあ、様、幸せだわ…」
「アリーナ、お母様の為ならなんでもするよ?他に、して欲しいことない?… なんでもするから!だから…!」
 どこかに、行ってしまわないで!!!!
 その声を自らの意思で押さえ込む。…利発なアリーナには、判っていたから。
『どこかに行く』ことが、母の意志ではないのだと。
 …そんな事、判らなければよかった。そうしたら、思い切り叫べたのに。
 それでもアリーナは、笑顔を作って、母に見せる。
 母は、少し顔色を悪くしながら言った。…最後の頼みごとを。
「…そうねえ…ブライを、呼んできてくれる?お母様、とても大切な、用があるのよ…」


(そんなバカな!あの方が、そんな事を言うはずがない!)
 二階の廊下の窓。たまたま回廊の絵画のチェックをしていたブライは、アリーナの叫び声を聞いた。
「どうして!お花はいつだって綺麗に咲いてるわ!でも、空なんて 曇ったり雨降ったりでいつだって綺麗じゃないもの!」
 何事かと覗くと、自分が連れてきた少年と姫がなにやら話をしていた。
「…その代わり、花はすぐ枯れてしまいますから。」
 花が何を指し示しているか、ブライにも判った。
 ユーナは自分の心に咲いた花だった。あれほどに美しく、麗しく…そして枯れてしまった花。
 いつも、誰かを幸せにすることを望んでいた人だった。
 そして、いつもみんなの心に敏感だった。心と裏腹の偽物の笑いを何よりも 拒む方だった。
(そのユーナ様が、アリーナ姫様にそんな事を言うはずがない!)
 そう心で断言して、初めて気がついた。どうしてユーナがブライにアリーナの教育を任せたのか。 それを言い残して、幸せそうに死んでいったのか。
 どうして、いつもアリーナは笑っていたのか。
(…ユーナ様は、ずっと自分を信じてくれたのに。)
 何をやっているのだろう?こんな遠い、高い場所からただ姫を見守るだけなんて。
「だからね、ずっと私、笑ってたの。おかあ、さまの最後のお願いだったから…泣けなかったの… おかあさ、まがしん、だ、ときにも…さっき、お父さまの・・・ために、お花…摘んだのに…たたかれた、時も… おかあ、様が笑ってって…みんなの、ために笑ってて…って…」
(いますぐ、あそこへ行かなければ。姫は間違っている。ユーナ様の正しい言葉の意味を、早く伝えなければ。)
「…それは違いますよ、アリーナ姫様。」
 その言葉に、ブライは足をとめた。


「…それは違いますよ、アリーナ姫様・・。」
 初めて、初めてこの小さな少女が真の王族なのだと、クリフトは思った。
 誰かの為に自分の心を押し殺して、ずっと一人で頑張っているその心が、尊い心と言わずして、 なんと言う?
「王妃様は本当にアリーナ姫様の幸せを望んでいらしたんですよ。」
 アリーナは不思議そうに顔をあげた。その顔は涙にぬれ、真っ赤になっていたが、不思議と あの笑顔より可愛らしく感じられた。
「王妃様は、姫様に心から笑っていて欲しかったのですよ。…誰かを幸せにするような笑顔でいつもいて欲しかったのですよ。 …その笑顔は、作り笑いではいけません。曇り空と同じです。ちゃんと泣いて、心を晴らして、初めて 人を幸せに出来るのですよ。」
 クリフトの神官衣が涙にぬれるが、もちろんそんな事は気にしなかった。
「なによりもまず、アリーナ姫様がいつも本当の笑顔でいられるように、幸せでいられるようにしてください。 そうすれば、自然に笑顔がこぼれますから。私は、そんな笑顔が好きですし…王妃様もきっとそう望んでいらした はずです。」

 ”なによりもまず、アリーナ姫様がいつも本当の笑顔でいられるように、幸せでいられるようにしてください。 王妃様もきっとそう望んでいらしたはずです。”
「おかあ…さま…おかあさま・・・・・・・・・・おかあさま―――――――」
 またピクニックにいきたかった。お母様のつくったケーキ、また食べたかった。木登りできるようになったの、見て 欲しかった。勉強して、色んなこと覚えたの、聞いて欲しかった。
 大好きだった。それも告げられなかった。側にいて欲しかったのに。
 気づけなくて、ごめんなさい。ずっとずっと考えられなくて、ごめんなさい。
 そんな思いをこめて、ずっとアリーナは泣き続けた。


 姫が重くなっていくのを感じた。どうやら眠ってしまったらしい。
「よいしょっと…」
 6歳のクリフトには重かったけれど、肩に乗せる形でなんとか抱えあげる事ができた。
(窓からは帰れそうにないなあ…)
 怒られることを覚悟して、クリフトは正門まで足を運んだ。
 これから、この姫を守っていこう。
(私の手は小さいけれど、とても小さいけれど。精一杯守ろう)
 新しく出来た、自分の空を、精一杯守ろう。…命をかけて。
 …それが、自分の生きてきた本当の理由。
 父や母に捨てられたのも。教会に預けられたのも。誰にも心を開けなかった事も。
(きっとこの日の為に。この方の為にあったんだ…)
 全てに、感謝をしたい。神にも、人にも。
 そして、願いたい。…この方がいつも空のようにいられますように。
 心のままに笑い、怒り、泣き…そしてまた嬉しくなるような笑顔でいられますように。
 …大切な空へと、願いをこめた。


 笑みが、こぼれた。
 自分の目は間違っていなかったと。
 むしろ驚いた。
(あの方に会っていないクリフトが…あの方の心をどこかでうけとっていたとは…)
 そして自分の目がどれだけ曇っていたか、初めて気がついて、恥じた。
(背負た子に教えられる…とはこの事か…)
 まだ、アリーナの眼をまっすぐ見るのは辛いけれど。…そして生涯あの人の想いを忘れる事はできないけれど。
(ゆっくりと、ゆっくりとでかまいませぬか?…ユーナ様…)
 ゆっくりと、ゆっくりと愛していこう。大切なものたちの欠片を。
 そしていつか、アリーナ自身を愛せるように。
 ブライは窓を閉め、そしていまだふさぎこんでいる王のために準備を始めた。


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