「……なんとか言ったらどうだ。」
 それは、入れたてのお茶が、湯気が立たなくなるほどまでに冷めていく時間。
 そんなたっぷりとした時間を、エリンはひたすら硬直していたらしい。
「……えっと、あの、なぜ、そうなるのですか。」
「お前は鈍いのだな。一国の王子が、お前のようなものに求婚する理由など知れているだろう。」
 王子は心底呆れたように言う。どう見てもその目線は、侮蔑とかそんな視線のような気がするのだが。
「そうです、あの、そんな私のようなものに、このようなことを言うのは、そのふさわしくありません。 第一国王様を初め、国民の皆様が納得しないでしょう。」
「そんなことはないぞ。お前はロトの勇者の仲間でもあり、異世界から来たものだろう。つまりは 神の使いのようなものだ。それを王族の血に入れるというのは、王族の尊貴を高めることになる。 何より父上はこの国で一番乗り気だからな、反対されることはないだろう。」
「は?」
 エリンは今まで、てっきり王子の暴走だと思っていた。だが。国王が乗り気なのだとしたら。
 突然の部署変更。学友としての教育。そして王子の秘書のような仕事。それに王宮で働くための行儀見習いとやら。
(……一体いつから仕組まれていたのかしら。)
 どうやら自分は本当に、にぶいらしい。そうショックを受けているエリンの手を、王子は握る。
「それで返事はどうした。まさか断るつもりではないだろう?」
「いえ、あのその、そんな恐れ多いこと、今まで考えもしませんでしたし、結婚なんて 考えたこともなくて、その突然の申し出で……、答えられません。」
 王子はさらに何かを言い募ろうとして口を開き、そして閉じて立ち上がった。
「まぁいい、考えておけ。どうすることが一番正しいか、お前には分かるだろう。」
 王子はそう言って、部屋を出た。後には呆然とするエリンだけが残された。


 結婚を申し込まれたのだ。つまりは。
 おそらくは、王子が自分のことが好きだ、ということなのだろう。あの高飛車だった 態度からは読み取れないが。
(まったく、気がつかなかったのだけれど。私は本当に鈍いのね。)
 そういえば、ルウトたちの嘘にも気がつかなかった。考えてみればあちこち旅の途中に答えは あったのに。なんだか情けなくなって、頭を抱えた。

 さて、考えてみよう。まず、自分は王子が好きかどうか。それはないと思った。
 だが、最初は好かない人間だと思っていたが、単純で、憎まれ口をたたきながらも課題に取り組む 姿には、なにやら情のようなものはわいていたことは事実だ。だから生理的に受け付けない、というほどではない。
 結婚は、いつかしてみたいと思っていた。そして子供を作ることも、できればしたかった。
 けれど冷静に考えると、自分は主婦や子育てに向いていない、と思える。すくなくともクレアのように 献身的にはなれないだろう。そもそも赤子なんて、ほとんど見たことがない。生まれて初めて 間近で見たのが、ルウトとクレアの娘だった。
 それを一人で家でこもって育てるという感覚がよく分からない。
 それならば、もし王妃になれば。おそらく乳母や教育係のようなものに任せられるのではないだろうか。
 そして、国王が関わっているなら、エリンに望んでいるのはお飾りの王妃ではなく、王子の補佐のような 内実的な仕事もできるのではないか。
 それは悪くないように思えた。元々、何かを、国を、人を守りたくてこの城に残ったのだ。
 もう誰も、苦しまないように。あんな地獄を味わう人間が現れないように。
 それができるのなら、そしてその喜ぶ人たちの顔が見られるのなら。これはきっと悪い話じゃない。
 結婚したい人なんていないのなら、悪くない話に乗るのもいいのではないか。そんな風に思えてきた。
 そう思って、ふと心に引っかかった。それが何か分からないけれど、けれどなにか引っかかったのだ。


 それからしばらくして、王からの呼び出しがあった。あれから王子は平常どおりで、 エリンもあまり気に留めずに、言い換えれば問題を放置したまま日常をすごしてしまっていた。
 呼び出しは謁見の間ではなく、王の自室だった。座って待っていると召使がお茶の準備をしていき、そして 王が現れた。
「陛下にあらせましてはご機嫌麗しゅう……、」
 立ち上がって挨拶しようとするのを、王は止めた。
「いや、楽にしてくれ。」
 そう言われ、エリンは言葉を止めて座りなおした。
「王子がそなたに申し出たようだな。」
 やっぱりその話題か、と思いながら、エリンは苦笑した。
「はぁ……。」
「それでどうだ?考えてはくれただろうか?王子はまぁ、あんなんだが、以前よりはましな性根になってきておる。」
「……いったいいつから計画されていたのですか。」
 この件はおそらく、国王が主体なのだろう。そう言って聞いたエリンだが、
「王子がそなたを好いたと知ってからだな。ちょうど、そう1年ほど前だったか。あやつはまぁ、 非常にひねくれてはおるが、あやつなりにそなたのことを好いておるようだな。」
 そう言われても、そんな気はまったくしない。今までもいつもどおり高飛車に、エリンに物を 言いつけ、議論し、突っかかってくる。
「わしとしても、そなたがわしの娘になってくれれば嬉しいのでな。 王子の頼りないところを、そなたが補ってくれれば、この国は もっと良くなるだろう。そなたは王子の申し出をどう思っておる?」
 国王にそう問われ、エリンは答えようと薄く口を開こうとした。
 受けようと思っていた。女の栄華などには興味はないが、誰かを救い上げるのに、王妃というのは良い地位 だと思う。
”だからさ……待ってて欲しいんだ。なんていうのかな、僕がいない間他に好きな人、作らないで欲しいなって。”
 その刹那、心の中に、声が響いた。
「申し訳ありません、お受けできません。」
 エリンは思わず、そう答えていた。

「理由を問うても良いか?」
「約束が、あるんです。その人との約束が果たされるまでは、お受けできません。」
 本当を言えば、それは約束ではない。一方的に言っていった言葉だ。
 それでも、それを思い出してしまったら、この話を進めることはできない。
「果たされたならば良いのか?」
「……わかりません。ですが、今はお受けできません。私にはそれしか……申し訳ありません。」
「なるほど、王子に伝えておこう。」
 退出を許され、エリンは部屋を出た。
 もったいない、という気持ちはある。けれどこれでよかったのだと、晴れ晴れとした気持ちになった。
 やはり自分程度に、王妃などと分相応すぎる。自分は自分らしく、地道にやって行こう。


 そして次の日。
「エリン、私は諦めないからな!!」
 頬を赤らめて叫んだ王子の言葉は、城中に知れ渡った。そう知れ渡ってしまった。
 エリンの激動の日々は、今日より始まった。
 『→Restart?』

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