ミントスは、夜も明るかった。町のはしばしに明かりが灯され、夜でも 安全に人が行き来できるようになっていた。
 一人と別れ、三人に出会った町、ミントス。その空には星が地上に灯りに照らされ、 心細げに輝いていた。

「どうしましたか?いつまでもそこにいらっしゃると冷えますよ?」
「クリフトさんこそ、まだ病み上がりですから、宿屋で寝てて下さい。明日出発ですから。」
 庭で外を見上げていたラグに、声をかけてきたのは新しい仲間、神官クリフトだった。
「勇者様たちに取ってきていただいたパテギアで、もうすっかり回復していますから大丈夫ですよ。」
 もう慣れてきたこととはいえ、毎回言われるのは辛かった。
「…僕、自分が勇者って言われるほどの人間なんてとても思えないものですから、 そう呼ばれるの、好きじゃないんです。ですからクリフトさん、 僕の事はラグって呼んで下さい。仲間なんですから。」
 そう言うとクリフトは少し笑った。
「なんだか姫様みたいですね。姫様も人に姫と呼ばれるのを余り好いてはいらっしゃらないようですから。」
「僕もさっきそう思いましたよ。クリフトさん達は…名前では?」
「臣下たる者それでは示しがつきませんし、姫の威厳にも関わる問題です。 なにより私は姫を心底尊敬し、敬愛しておりますから。けれどラグさん、 あなた方は外の方です。それに共感される所もあるようですから、 私たちと違い、アリーナ姫の良き友になっていただけると思っています。」
(私では友になるなどでさえ、おこがましい。けれどラグさんなら…勇者様なら、きっと 姫の隣りに相応しいのでしょうね…もし、いつか、そんな日が、来たら…)
 心の若干の闇。それを無視しクリフトは微笑んだ。

「…いいんですか?」
 ラグは控えめにきいた。その言葉は、自分の心の闇を 光で照らし出すようで。クリフトは顔を真っ赤にし、否定した。
「わ、私は姫を心から敬愛しております。けれどそれは臣下としての尊敬の念であり、それ以上のものでは、けっしてありません! 邪な心持つことなく、私は姫の幸せのみを願っております!」
「え、と…?僕は、その、僕みたいな、なんの貴族でもない人間が、姫の友なんて、臣下の方にしたら 不愉快な事なんじゃないかと・・・」
 戸惑いながらも、ラグがそう言うと、クリフトは照れたように笑った。
   すらすらと出てきた先ほどの言葉。それは言い慣れた言葉なのだろう、とラグは思う。 その言葉が、あせっていたその行動が皮肉にもラグに、クリフトの気持ちを悟らせた。
 だけど可笑しかった。とても生真面目そうで、神に心を宿しているだけだと思っていたのに。
(そういえば、いつもアリーナさんを愛しい目で見ていたような気がする…)
 そうじっと見ている目が、クリフトを冷静にさせたのだろう。
「…あの…ラグさん?」
 どこか照れたように、クリフトはラグを見上げた。ラグは親近感を持ちながら、笑って聞いた。
「いつから、アリーナさんのこと好きなんですか?」
「で、ですから!」
「とても良い事だと思いますよ、誰かを好きになるという事は。どうしてそんなにも隠そうとするのですか?」
 ラグの目をじっと見ていると、何も隠せないような、まるで神の御前にいるような、そんな気になった。 クリフトはため息をついた。
「…私はそんなにわかりやすいでしょうか?」
「僕は鈍いですけど…でもマーニャさんとか敏感そうですし、ミネアさんは人の心を見抜くのが お仕事ですし、ああ、トルネコさんも商人ですからお客の気持ちに気が付くのが得意なんじゃないでしょうか?」
 そういうとクリフトはあせったようだ。
「では、では皆様、気がつかれているのでしょうか!」
「判りませんけれど…マーニャさんに気がつかれたら、多分散々からかわれるので、気をつけたほうがいいですよ…」
「はい、肝に銘じます。」
 クリフトは真剣に言う。なんだかほほえましいそんな気分になった。自分とはもう、遠いところにあるものだから。

「頑張ってくださいね、応援してますから。」
「ありがとうございます…けれど、私は一生この気持ちを告げるつもりはありません。」
「どうしてですか?」
 そう言うラグが、クリフトにはまぶしかった。とても純粋なもの。何も知らない、無垢な勇者。
「身分違いの…実らない恋ですから…それに伝えては姫の迷惑に…。」
「そんなこと、ありません、クリフトさん!」
 クリフトの言葉をラグは即座に否定した。
(この人は…ラグさんは本当に純粋に育たれた。身分だとか、そういうものに無縁に育たれた方だ。 王宮のどろどろしたものをまったく知らない方、だからそんな風にいえるのだ。汚い事に何もさらされていない、純白の方…)
 王宮に姫の教育係として入ったその日からどれくらいの月日が流れただろうか。 最初はただの可愛らしい普通の女の子で、むしろがっかりしたものだ。とても天真爛漫で、無邪気で、自分が 持ってない美徳を全部持ち合わせたような子だと。そう思っていた。
 けれど、わずかな間で、それが覆り…尊敬の念から気がつけば…愛情へ変わっていた。
 随分と心が汚れてしまったように思う。だけど、守りたいから。王宮のどろどろから、姫を守りたいから。 そして…なによりも、この汚れた心をもった自分から、守りたい、そう思う。あの方は空のように澄んでいて欲しいから。
(いくら思っても届かない思いを知らない方。目の前にあっても手を伸ばしてはいけない、そんな思いを 感じる事のない方。ラグさんは、神に愛された、勇者…)
 まぶしくそう思いながら、すっかりあきらめた口調でクリフトは言った。
「…ラグさんにはきっとわかりません。身分がどれほど距離を遠ざけるものか… 姫と臣下。それは決して実ってはいけない思いなのです。」
 ずっと昔から縛ってきたこと。そしてそれは未来永劫まで。 応援してくれるラグの気持ちには嬉しかったが、それが不可能だと言うその事実の痛みに クリフトはすっかり慣れていた。

「そんなこと、ありません!」
「そう言ってくださる気持ちは嬉しいのです。けれどこればかりは無理なのです。」
「どうして、どうして実らないんですか?アリーナさんとクリフトさんは生きてらっしゃるじゃないですか! 二人とも生きてらっしゃるじゃないですか!なのにどうして実らないなんて、そんなことはありません!」
 その瞬間、クリフトは自分を恥じた。さきほどの、ラグの言葉を思い出したのだ。
(そうだ…この方は、何も知らない方ではないのだ…きっと何もかも失われてしまわれた…方なのだ…)
 いくら思っても届かない思い。それはきっとラグにこそ抱えていた思いなのだ。
(どうして気が付かなかったのでしょう。どうして何も知らないなんて思ってしまったのでしょう… この方は私より、ずっと辛い思いを抱えてきて、それでも純粋に私を応援してくださっているのに…)

「二人ともこの世界に生きてらっしゃる!」
 永遠に届かない世界に行ってしまったシンシア。
「思いを伝えることが出来ます!」
 伝えられなかった言葉。ただ、思いをうけとるだけだった、あの時。
「そんな風に言っていては、…いつか手遅れになってしまいます!」
 自分とシンシアのように。
「初めからあきらめてしまっては、いつかきっと後悔します…ですから…」
 自分のようにはなって欲しくない。抜け殻のようになってほしくない。だから言いたかった。 たとえ余計な事でも。

 クリフトはラグのほうを向き直った。
「ありがとうございます…どうするか、判りません。思いを伝えたいかどうか、自分でも よくわかりません。私はただ、姫の幸せを願うだけですから。… だけど、最初からあきらめるのは止めにします。せめて後悔しないように、生きたいと思います。」
 王宮に入って、幾重にも結ばれていた鎖。その一つをラグが解いてくれた。
(自分には想像もできないほどの絶望を味わわれ、それでも純粋に、心優しくいられる人。)
 もしも、姫の次に優先できる方がいれば、それはこの人だ。
 クリフトはそう思った。この方に何かあれば、自分は命をはってでも守る事を、心に誓った。

「あの…すいませんでした…ぼく…」
 そういうラグに、クリフトは向き直った。
「…貴方は本当にアリーナ姫に似ていらっしゃる…誰かの上につく運命に生まれた事も、それがお気に召さないことも、 なのにその素質が誰よりもおありになる事も…そして純粋に人をひきつけずにいられない事も。 …ラグさん、貴方はお嫌でしょうが…それでも神が貴方を勇者と選んだ理由が、 私にはなんとなくわかる気がします…。」

 それがクリフトの最大級の賛辞だという事にラグは気が付いていた。

 また絆が一つ、結ばれた。果てしなく遠い、旅路まで。ずっとずっと繋がる絆が。


戻る 目次へ トップへ HPトップへ 次へ
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送