バルザックは、強かった。だが、四人はそれよりももっと強かった。

 力を求め、狂ったもの。
 力あるゆえに狂えなかった者。
 その決着が今、つけられる。

「ぐぉぉぉぉぉぉ…」
 すでにバルザックは虫の息だった。マーニャはバルザックの正面に立つ。
「これで、終りよ!」
 そしてマーニャは毒蛾のナイフを構えた。そしてバルザックに向かい、一直線に走った。バルザックの心臓めがけて。
 マーニャはバルザックの胸に飛び込んだ。バルザックの空気が全身を包んだ。それはとても暖かかった。
 マーニャはバルザックの心臓を刺し、そしてその勢いのまま…マーニャは唇を一瞬、バルザックの唇に触れさせた。

 血しぶきが、バルザックを、マーニャを濡らす。
「ぐぉぉぉぉぉぉおおおおおお!」
 最後の咆哮。バルザックはマーニャ目掛けて、六本の手の爪を向ける。
 …そして…その腕は、そっと、マーニャを抱きしめた。

 …そうだ、ずっとこれが欲しかったのだ…マーニャのぬくもり。マーニャの鼓動…
 美しく、強いマーニャ。マーニャよりも、誰よりも強くなれば、手に入ると思った。だから、力を求めた。ただ、ひたすらに。
 どうして、間違ってしまったのだろう。どうして、道を分かつ事をしてしまったのだろう。

 …自分は、唯一つの太陽をこの手におさめたかった、それだけだったのに。

 背中に暖かいものを、感じた。…マーニャも、そっとバルザックを抱きしめた。
(あたし、こうしたかった。本当はずっとずっと昔から…ずっとこうしかった…ずっとバルザックの心が欲しかった!)
 愛している、こんな時になっても、忘れられない。狂いたかった。手に入らないなら。 こんなことになるのなら!いっそ狂ってしまいたかった!!

 ざらりと音がした。進化の秘法を使い、滅びぬ肉体になったはずのもの。だが、 少しずつバルザックの体は、砂になっていっていた。
(滅びる…自分は滅びるのだ…)
 砂になる腕で、バルザックはマーニャをきつく抱きしめた。マーニャもきつく、抱きしめ返した。 いくら抱きしめても足りなかった。自分たちの想いには。
 バルザックの腕が少しずつ、一本ずつ砂に変わっていく。
 ラグも、アリーナも、ミネアも、何も言わなかった。何も、言えはしなかった。ただ、その姿を見ていた。

 バルザックの眼が…昔の眼に戻った。マーニャが初めて会ったときの、その眼。
 バルザックは、マーニャの耳元で何かささやいた。そして、マーニャの唇に、そっと口付けした。
 一瞬、マーニャには昔のバルザックが、見えたような気がした。
 そして次の瞬間…バルザックの全ては砂となった。…マーニャの、腕の中で。

 血の付いたナイフが、床にカラン、と落ちた。マーニャはバルザックを抱きしめたそのままの格好で立っていた。
 まだ信じられなかった。腕の中に、何もいない事が。…ゆっくりと、マーニャは床に膝をついた。

 静寂だった。何の物音もしない、静寂がその場を支配していた。
 その静寂を破ったのは、突如現れた魔物たちだった。
「実験は失敗だったようだな、デスピサロ様に報告せねば」
「進化の秘法を完成させるには黄金の腕輪が必要なようだ」
「進化の秘法が完成したそのとき!暗黒の魔族の時代が来ようぞ!はっはっは」
「これは、デスピサロの仕業なのか!」
 ラグは、残る力を振り絞り、魔物に向かって剣を構える。
「お父様を、どこにやったの!答えなさい!」
 アリーナも構えた。だが、魔物はこちらをふりむき、言った。
「勝ったからといっていい気になるでないぞ、人間どもよ。こやつは、所詮捨て駒。」
「所詮、実験台なのだ。」
「脆弱なる人間どもよ。おびえるが良い!デスピサロ様が暗黒の闇をもたらすその時代が来る事を!」
 そう言うと、また、突如として、消えた。その痕跡を残さずに。

「姉さん!」
 ミネアはマーニャの元へ、駆け寄った。ラグとアリーナもマーニャの元へ走った。
 三人は複雑な気分だった。バルザックを倒せた事、それはとても喜ばしかった。デスピサロの手先を倒せた事、 父の玉座を奪う魔物を倒せた事、父の仇を倒せた事。だが…、マーニャとのあの姿を見て、手放しでは喜べなかった。

 三人は、マーニャを見た。マーニャは酷い有様だった。全身は血にまみれていたし、 顔はまるで人を食べたかのように唇が血にぬれていた。
 そんなマーニャの瞳から、涙が一粒、滑り落ちた。
「姉さん…」
 ミネアは既に泣いていた。父の仇を討った涙。姉が愛する人と永遠に離れてしまった、悲しみの涙。
「や、やだ見ないでよ。泣くと不細工になるんだから!」
 そう言ったマーニャは元通りのマーニャだった。涙は、もう止まっていた。
「やっと、やっとバルザックを倒したわね…やっと、父さんの仇が討てたわ…」
「ええ、姉さん…お父さんも…きっと喜んでくれているわね…」
 それは本心だった。自らの本心だった…父の仇を討てた事、それは二人にとって、とても嬉しい事だったのだ。だが。
「まだ、駄目なの?」
 そこに可愛らしい声がした。玉座をみつめる、アリーナだった。
「バルザックを倒してもお父様は戻ってこないの?」
 期待していた。バルザックを倒した後に、玉座に父が現れる事を。だが、そこは空だった。
「アリーナさん…」
「ううん、平気よ、ラグ。デスピサロを倒せば今度こそお父様は戻ってくるもの…平気よ。」
 そう言って、アリーナはにっこり微笑んだ。
 それを見て、マーニャは立ち上がる。そして寂しそうにため息をついた。
「バルザックはもういない。でも父さんも戻ってこない…当たり前か…」
 そんな事は分かっていた。バルザックを倒したって、父は生き返るわけじゃない。そんな事は知っていた。 だが、むなしかった。
 本懐を遂げた、その先に自分たちがいることが、少し空虚に思われた。
 その言葉を聞いて、ラグも心に針が刺さったようだった。胸の鍵を握る。考えてはいけない事を、考えてしまいそうだった。
(今の自分に出来る事…それを疑ったら駄目だ…駄目なんだ。シンシアの、みんなの為に 出来る事最後のなんだから。みんなの全てを奪ったもの、それが安穏に暮らしていることを僕は認めない、絶対に…)
 すでに握りなれた鍵は、何も答えてはくれなかった。




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