「姫様!ここにおられましたか!」
 教会の扉が開き、ブライが入ってきた。祈りを終えようとしていた三人は顔をあげた。
「どうしたの?ブライ?宿屋にはいかなかったの?」
「何かあったのですか?ブライ様!」
「いやいや、ちょっと思い出したことがあってな。」
「思い出したことって、なんですか?ブライさん。サントハイムのことですか?」
 ラグの問いに、ブライはうなずいた。
「王の教育係は三人おってな。わしとゴンと、もう一人、わしよりも幼い頃に使えなさったしつけ係の 方が、この町にいるのじゃ。サントハイムのことを知ってらっしゃるじゃろうが… せめて姫様が無事でいらっしゃる事を伝えておこうと思っての。」
「ブライ!じゃあ、サントハイムの人間が、まだ無事でいるのね!本当に!私、行きたいわ!」
 自分の軽率さで全て失っていたと思っていた。それがまだ、生きていた。父を知っている人間が。
「ブライ様、私もお供させて戴いてよろしいでしょうか?」
「おお、来るがよい、クリフト。それからラグ殿も来ていただけませんかの?あそこに行くには 魔法の鍵が必要なのじゃ。」
「はい、良かったら。」
 そう言ってラグが笑った。父が帰ってこなかったことで落ち込んでいたアリーナが嬉しそうにしていることは、 ラグにとっても嬉しいことだった。

 四人は教会の横の階段から、あがり、ぐるっとまわる。
「随分と…その、奥の方に住んでらっしゃるんですね、その方は。」
「そういえば、ゴンじいさんも城の裏庭に住んでたわね…」
 ラグの意見にアリーナが補足する。クリフトとブライはなんともいえない表情で それを見ていた。まさか王の教育係にめったな事は言えないからである。
 その微妙な雰囲気を察してか、話し掛けてきた男がいた。
「また珍しいところをお通りなさるな。この先はじいさんの家しかないが、何の用だ?」
「わしは王の教育係でな。この先にいらっしゃるのは王のしつけ係だった方じゃろう?」
 ブライの答えにその男が目をみはる。
「そうか、あの城の中にも生き残ってたもんがいたか。そりゃ良かった。しかし不思議なことだのう。 サントハイムの歴代王には未来を知る力があったと言うのに、自分の災いは予知できなかったのだろうか?」
 その言葉に、アリーナは曖昧に笑った。未来を見る力。そして父の見た、恐ろしい夢。 その二つは無関係な事なのだろうか?
 男を適当にあしらい、道を急いだ。細い道の先に、家が見えた。
(姫様…)
 声をかかることも出来ず、ただ、クリフトはアリーナの顔色をうかがった。このことが アリーナの傷口をふさぐか、それとも広げるかクリフトには判らなかった。だからせめて見守ろう、そう決意していた。

「失礼します…。」
 アリーナはそう言って戸口を跨ぐ。二階から女性が降りてきた。
「どなたですの?」
 アリーナが名乗りをあげようとした時、ブライが声を割り込ませた。
「わしはサントハイム王の教育係だったブライと申す者。そしてこちらの方が王女アリーナ様じゃ。」
 女性は嬉しそうに笑った。
「まあまあ、おじいちゃんを訪ねていらしたの?嬉しいわ。おじいちゃんはサントハイム王のしつけ係だったことが 自慢だったからね。良かったらお話していって頂戴。」
「ええ、お邪魔致します。」
 クリフトがそれに礼儀正しく答える。ラグとアリーナも頭を下げ、そして階段を昇った。
 その先には小さな老人が座っていた。
(ブライさんといい…クリフトさんといい…昔抱いていた王宮の人ってイメージとはちょっとずれるなあ…)
 もっともそれを顕著に表すのがアリーナ姫だということは心の片隅によける事にしたラグだった。
「王…生きてらしたのか?…いや、失礼。おぬしは…もしや王の娘か?…目のあたりがそっくりじゃ…」
「はい、私はサントハイムの王女、アリーナです。」
 母に似ていると言われた事はあっても、父に似ていると言われた事がないアリーナは戸惑った。そして その戸惑いから、徐々に喜びが生まれた。自然に笑みがこぼれる。
「お父様のしつけ係…お父様、昔はどんな人だったの?」
「ひ…」
 ブライが止めようとした。
(いかん、王の昔話などされては、姫のおてんばがますます酷くなってしまいそうじゃ!)
 だが、耳が遠いのだろうか、老人は遠い目をして、語りだしてしまった。
「昔の王はの…わがままで、勉強が嫌いで、それでいて明るくて…優しいお人じゃったよ…おお 、そうじゃ、思い出した!たしか、あれは昔のことじゃったが、不思議なことを言った事があったな。」
「不思議なこと…って?」
「ある夜にな、王がうなされてな、起きたと思ったら突然わしにせがむのじゃよ。『ぼくのむすめが困っているんだよ。 立てふだをサランの町に立てておくれよ』とな。あれはどうしたことなのじゃろうな…」
「お父様が!私の為に…」
「それは、どこに立てたのですか?」
 クリフトが我先にと聞く。だが、老人はしばらく考えた後、のんびりと答えた。
「さあのう…『あぶないから、かくすんだよ』、と言ってな。なにやら奥のほうに立てたような気はするのじゃが… どこに立てたか、何を書いてあったかまでは思いだせんのう…」
「ありがとう、おじいちゃん!」
 そう言うが早いか、アリーナは家を飛び出した。
「お待ちください、姫!」
 クリフトも、それに続いた。ブライは老人に一礼をした。
「…生きていてくださってありがとうございますじゃ…いつか王が帰られる日まで、どうかご存命のお願いいたしますぞ…」
「おぬしも気をつけてな、ブライ殿」
 それをほほえましく見守り、ブライに続きラグは家を出た。

「その様な事がおありになりましたか…」
 長い長い、そして切ない話を聞き終え、オーリンはそっと息をついた。
「姉さんは…バルザックの事が好きで、バルザックも姉さんのことが好きだったのよ。たとえ あんな化け物になっても…」
「ええ、気がついておりました。キングレオの城で、私たちが殺されていないのは、きっとバルザックの采配だったのでしょうから。」
「私も、そう思いますわ。…けれど、バルザックを倒した事は…」
 そう言ってミネアは言いよどむ。オーリンはその雰囲気を受け取り、上手くいえませんけど、と前置きして言った。
「かつてのバルザックは、本当にエドガン様を心酔していらっしゃいました。私に及ばないほどの 熱意、知識をもたれ…私もとても尊敬していました…。 今の話を聞いて思いました。バルザックはきっと、変わらなかったはずです。エドガン様を侮辱しているはずなのに 、結局エドガン様の研究を使い、力を求めたのです。きっと、本当はエドガン様のことを尊敬していた あの時の心を持っていたのだろうと思います。バルザックはきっと エドガン様を殺した人間を許しはしなかったでしょう。バルザックは、殺されることを願っていたのでしょう、 マーニャ様に。」
 ミネアの涙が滝のように流れ出した。自分も好きだったのだ。バルザックを、兄のように思っていたのだから。 それを討った事、その事でバルザックの心が満たされたと言うのなら、それはとても哀しくて嬉しい事だった。
「オ…オーリンが…そう言って…くれて…嬉しい…で…すわ…」
「ミ、ミネア様!な、泣かないください…」
 オーリンはうろたえ出した。どうしたら、涙が止まるか、判らなかった。 そっと頭に手を伸ばし、頭をなでようとした。子供の頃のように。
 そして泣くミネアをみつめ…そっと、ぎこちなく肩を抱いた。

「あんたたち、何してるの?」
「マーニャさん!帰っていらしたんですね!…ミネアさんは?」
「今ごろ、オーリンと二人きりなんじゃない?で、一体なんなの?町中走り回って。」
「…マーニャさん。空から飛んできたのよね?…立て札、見なかった?」
 アリーナの問いに、マーニャは考える。マーニャは広場にある立て札を指差して言う。
「ここにルーラして来た訳じゃないからね、よく判らないわ。 とりあえず、その商魂たくましい立て札以外は知らないわね。他にもあるの?」
「ええ、どうやら、隠して立っているらしいのですが…」
「なあに、それ?立て札隠して、どうだっていうのよ?」
「わしもそう思うのじゃが…」
 五人で円を組んで座り込む。そして考え込んだ。マローニの歌声が、五人を包み込む。
「もう、なんなの、あの男。ずっと歌ってるじゃないの!」
 思考を邪魔されて、マーニャが怒鳴る。それを聞いて、アリーナが立ち上がった。
「そうだわ!マローニに聞いて見ましょう!マローニはずっと高いところにいるもの!街中をいつも見下ろしてるのよ!」
 サランの町の中央の教会、その一番高いところで、マローニはいつも歌っているのだ。マローニの元へ走ろうとする アリーナ腕を、クリフトはとっさにつかんだ。

「何?クリフト?」
「えっと…その…姫様…」
 まさかこんな時に、『他の男の元へ走り去るのを見たくなかった』などとはとても言えなかった。
(教会の上ならば、私も行ったことがあったはず…)
 その時見えていたのは、華やかで堅牢なサントハイム城。そこに住む兵士達。雲の上の 人たち。その風景に、憧れを抱いていた。
(雲の上にあるという神の城は、あんな感じなんだろうかと、いつも思いましたね…)
 自分は地にいるもの。姫は空に住まう方。それが痛感できる場所。そこには行きたくなかった。
「どうされました?クリフトさん?」
 顔色を悪くしたように見えるクリフトを、ラグが気遣う。
「あ、判った、クリフト高い場所嫌いだもんね、判ったわ。私が行ってくるから!」
「まったくなさけないのう…高所恐怖症など…」
 その言葉を、頭の隅で聞きながら、思い出していた。昔見たはずの風景。
「姫様!教会の裏手に、細い道があったはずです!多分先ほどの場所から回り込めば、教会の裏にいけるはずです! もしかしたら…」
「教会の裏、それは探していませんね!」
 と、ラグが言った時、目の前にクリフトはいなかった。…腕をつかまれたアリーナに連れ去れていた。
「まったく、姫にも困ったものじゃ…」
「あーあ、行っちゃった…いっそ二人きりにしとく?」
 ブライとマーニャのぼやきを聞き、ラグは一瞬頷きそうになったが、首を振った。
「いえ…そこに行く為の魔法の鍵は、僕が持ってますから…あ、せっかくですからマーニャさんにお返ししておきます。 後でミネアさんに渡して下さい。…大切な形見なのでしょうから…」
 そう言って、マーニャに鍵を渡した。マーニャは、複雑な表情で受け取った。
「…ありがと。じゃあ行きますか。アリーナなら、扉ごと壊しちゃいそうだし。」
(オーリンみたいにね)
 その言葉に苦笑しながら、三人はアリーナとクリフトの後を追った。
 

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