「くくくくくく、クリフト!」
 パサ。神官衣が地面に落ちる。そして、首の十字架をはずした。
「クリフト、この神官衣、お父様に貰った大切なものじゃないの!」
 アリーナの焦りをほぐすように、クリフトは朴訥で暖かい、それでいて凶悪な笑顔をアリーナに向けた。
「アリーナ様、今の私は神官ではありません。臣下でもありません。…ただのクリフトです。 これでも駄目でしょうか?姫。姫が望むなら、姫の心が癒える為なら私は岩にでも森にでも、 なんにでもなりましょう。」
 もう、駄目だった。頑張りの限界だった。涙が次から次へと溢れ出した。
「…お父様…帰ってくるかしら…来ないのかもしれない、そう思って…」
「そんな事ありませんよ、アリーナ様」
 アリーナは首を振る。
「お父様は、どうして立て札を残したの?私が困ってるなら直接言えばいいのにどうして?… お父様はきっと知ってたの…魔物に襲われる事も、そ、そして自分がいなくなることも… 全部知ってて…全部知ってて私を旅に出したの…だからきっと帰ってこない…お、お父様は… わたしを、私だけを守る為に…」
「アリーナ様…」
「私がもっと、もっと強かったら!…そしたら助けられたかもしれない…お父様みたいに、 立派だったら…お、お母様みたいに、おしとやかだったら…私お城を出て行ったりしなかったわ… 私にもっと、王族の…自覚が持てるくらい…強かったら…。」
(何…言ってるのかしら…私…もう、むちゃくちゃだわ…だけど、止まらない…)
 それに、クリフトは、きっと全部受け止めてくれるから…

 クリフトはじっと黙って落ち着くまで側にいた。そして、高ぶった アリーナに聞き取りやすいように、ゆっくりした声で言った。
「アリーナ様、そんな事ありませんよ。王様は帰っていらっしゃいます。」
「じゃあ、どうしてお父様は、私を旅に出させたの?」
「皆いなくなってしまったら、誰が王様を助けるんですか?王様はわかっていらっしゃったんです、 姫様が王様を助けようとする事を。そして助けられる事を。ですからきっと旅を許してくださったんですよ。」
 アリーナは、そっとクリフトの顔をまじまじと見た。
「…本当?」
「ええ、私はそう思いますよ。アリーナ様はお強いですから。」
「そんな事ないわ!私はまだ弱いもの!お父様みたいに強くなれない!お母様に似てるのも、外見 だけなの…」
「似てらっしゃいますよ。昼間、お聞きしたじゃないですか。」
 クリフトは、あっさり答えた。余りのあっさりさにアリーナはぽかんとした。
「王様も、最初から強くなられたわけじゃないのですよ。きっと勉強されて、そこではじめて王族の自覚を お付けになったのでしょうね。それにお妃様、そしてアリーナ様という大切な者を 見つけて、お強くなられたんですよ。お二人を守る為に、強くあろうと頑張られたのです。… アリーナ様もです。強くあろう、そう思う心がとてもよく似てらっしゃる、私はそう思いますよ。」
「…そうかしら…」
「そうです、それにアリーナ様はお妃様にも似ていらっしゃいますよ。」
 それはよく言われる言葉。そして言われたくない言葉。だけど。
(ふしぎね…あんなに嫌だったのに、クリフトに言われれば、そんなに嫌じゃないわ…?どうして…?)
「似てるのは外だけよ。中は全然違うわ。」
「いいえ、心がですよ。私はお妃さまを絵でしか存じません。ですが、神父様やブライ様にいろんなことをお聞きしました。 ですから思いますよ、見た目ではなく、心が似てらっしゃると。お二人とも、お強い方だと。」
「お母様は、とてもたおやかで、物静かな方だったわ。貴婦人の鑑のような方よ。…強いなんて…」
 困惑しながらそう言うアリーナに、クリフトは優しく笑う。
「ではアリーナ様。マーニャさんやミネアさんは弱いと思われますか?もし、魔法を使われなかったら 弱いと思われますか?」
「そんな事ないわ…みんな凄いと思ったわ。マーニャさんも、ミネアさんも、ラグも、トルネコさんも、ライアンさんも、 みんな強いわ。」
 仇を討った心。想い人を、ためらわず討った心。それを何も言わず見守る心。自分には出来ないから。
「でもお母様は…強いお方じゃなかったわ。皆守ってあげたい、そう思ってたのよ。私とは大違いよ」
「いいえ、似てらっしゃいますよ。」
「どこが?」
「綺麗な言葉を素直に出せるところですよ。」
「綺麗な…?」
 思いもかけない言葉だった。
「お妃様はちゃんとお礼の言葉も謝罪の言葉も素直に出せる方だったそうです。だからこそ、王様にも あれほど愛されていたんですよ。姫様もです。」
「…そんなの、当たり前のことじゃない?」
「いいえ、それがいえない人間もいるのですよ、高貴な方であれば、特に。それを当たり前だと思われるその心が、アリーナ様の 強さです。人に愛され、守られる事もきっと強さですよ。姫様もたくさんの方に愛されているお強い方です。 だから、私も姫の役に立ちたいとそう願うのです。姫は、これからももっと強くなれますよ。」
「ありがとう…」
 アリーナが言ったその言葉にクリフトは笑う。
「ほら、ね。」
 そうして二人で笑った。心の底から。

 アリーナは砂を払いながら立ち上がった。
「ありがとう、クリフト。貴方にきてもらえてとても嬉しかった。」
「いいえ、お役に立てて光栄です。」
 服を着ながら、クリフトは言った。
「私、多分クリフトじゃないと駄目だったんだわ。何故だか判らないけど、きっとクリフトだから、素直に受け入れられたの。…私は クリフトがいれば、きっともっと強くなれるわ。」
 どうしてたか、判らないけれど。まだ、知らないけれど。
「これからも、側にいてくれる?」
 先ほどのクリフトの行動が罠ならば、今のアリーナの台詞もクリフトにとって罠だっただろう。 何せ泣きはらしたアリーナは、とてもとても可愛かったからだ。
「ええ、姫が私を望まれる間は。」
 アリーナの言葉に胸がいっぱいになったクリフトは、かろうじて言葉を放った。すると アリーナは輝くばかりに笑った。夏の青空にように。
「ありがとう、クリフト!」


 少しは眠れただろうか。それももう、判らない。ただ隣りで健やかに眠るミネアを起こさないよう、 慎重に起き上がり、身支度をして宿屋を出た。
 風が吹き、身に纏った布がふわりと揺れた。
 美しく輝く踊り用の、大きく長い羅紗だ。これを使い、踊りをゆっくりと大きく優雅に見せる布だ。 だが、マーニャはこの布を踊りに使うことはめったにない。激しい動きが出来ないからである。マーニャは手や扇などで 激しい動きを表現する方が、得意だったし性にあっていた。
 だが、今夜は久々にこれで踊ってみたい気分だった。本来この布は屋内で使うものである。風に布が流されるからだ。 だが、マーニャにはそれを物ともしない…いや、むしろそれを利用して、よりいっそう素晴らしい踊りに出来る腕があった。 なによりマーニャは今、ゆっくりと風にたゆたわせ、自分の気持ちを表現してみたかった。
 緩やかな気温が、マーニャの腕をくすぐる。マローニの歌声が、風に乗る。 マーニャはサランの町の奥…サントハイム王の立て札があった場所に向かった。 あの場所は人目につかず、踊れるほどの広さがある。

 踊ると、自分の中の気持ちが見えてくる。かつて自分がそう語った相手は誰だっただろうか。自分の今の気持ちが 判らなかった、ずっと。
 バルザックを討った瞬間は、確かに見えていたと思ったのに。
 見失ってしまった。だけど、取り戻したい。自分がどう思っているのか。どう、感じているのか。

 立て札があり、樹が植わっていた。花が咲いている。マローニの曲が、終りに近づいていた。
 布を持った。す、っと構える。歌が止まる。 この瞬間はいつもどきどきする。初めて踊った時から、こうしている今も、それは変わらない。

 そして、マローニがまた歌いだした。それにあわせて、マーニャは踊り始めた。
 それは切ない恋の歌だった。悲劇の歌だ。そんな皮肉な音楽にあわせて、マーニャが踊った。
 風が布と共に舞、マーニャの腕がそれを操る。それは自然であり、最高傑作であり、人の心を 表現されたものだった。
 この場に観客がいたら、その人間は魂を奪われただろう。またあるものは、涙が止まらなかっただろう。そして 声をそろえてこう言っただろう。「この世の全ての思いを表現した踊りである」と。

 だが、マーニャの心は闇だった。見えるものはなく、ただ、闇が映るだけだった。自分の気持ちさえも、自分の心に映りはしなかった。
 マローニの歌と共に、マーニャの踊りはクライマックスに差し掛かる。布は空中を舞い、踊りはさらに切なく、激しく、 そして表現豊かになっていく。
 その踊りにするりと割り込んできたものがあった。風に乗って白いものがマーニャと 共に踊った。白い、花びらだった。



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